湘南・鎌倉から BLOG0

日々感じる事・出来事、そして年齢を重ねていく 団塊オジサンの独り言を綴っています


8/28 退職後の生活 ダウンサイジングそしてシンプルライフへ

ダウンサイジングと云う言葉を最近よく耳にするようになりました。
退職し、限られた一定の収入になったら今までの生活を見直して、決してたんなる節約だけの生活ではなく、 心地よさを重視した、身の丈にあった生活にすべき、と云う考え方がダウンサイジングだと思います。

何で今更悟ったように、そんな良い人ぶるの?
ロハスな生活、シンプルライフと云う言葉を聞くと、そんなに簡単に人間は色々な欲望をコントロール出来ないし、 何かとても偽善的な仙人みたいな生活のイメージをいだいてしまいます。
団塊世代のど真ん中今年67才というと、一般的には定年退職後二年から五年と言ったところですが、私の場合、既に 退職してから12年経過している立場です。つい最近までの60歳満期退職に置き換えると、退職後12年は72~3歳で、 あと数年で後期高齢者と呼ばれる立ち位置のはずです。 その年齢に達していたら、もしかすると「清濁併せ飲む」・「枯れて悟った老人」になっているかもしれませんが、 現代の退職・年金制度では、67才は自由に動ける、経済的にもさほど資産残高の心配もせずに、今までやりたかった 事にの没頭できる年齢のはずです。


何で今更、ダウンサイジング?





きっかけは、プリンターでした。
現役時代から、旅好きのせいで映像の世界にかなりのめり込んでおり、写真の世界では、古くはニコンFⅠから始まり づっとリバーサル一眼レフを愛用し、デジタルの時代になると、誰よりも早く、発売当時600万画素程度のデジタル一眼 に大枚をつぎ込み、退職男性の常である写真倶楽部に入り、毎月の例会出品作品の自宅印刷の為に、プリンターを買うように なりました。そして、この12年間、何回交換し続けてきたことか?

自分の撮影技術・センスのなさを、画像処理の技術で補正し、モニターの色の再生能力に毒づきながら、最後は 顔料8色、A3ノビのプリンター(画像の一番上のEPSON PX-G5300)に頼ってきていました。
静止画の世界と、動画の世界の二足ワラジに限界を感じ(ネットによる情報発信力の違いです)、写真倶楽部から 退会し、重い・大きな一眼レフデジカメは処分し、念のため残した高価なレンズ類は、カビが生えようとしています。

その残しておいたプリンターが突如壊れました。
写真の印刷はほとんどしなくなりましても、自宅にプリンターがないのは、不便です。メーカーに修理を依頼するとなると、 かなり高額になるのは解っていましたので、新しいプリンターを購入しようと、同等の機種(画像二番目のPX-7V)は、 調べてみると、63,000円ほどします。
もう、綺麗な大きい写真を印刷する必要もなく、(仮にあっても、ネット上の印刷のほうが安いですし、) テキストや簡単なチラシ程度しか印刷しませんので、単純に四色・A4を探したところ、何とスキャナー付きで5,200円 であるではないですか?写真倶楽部を止めるまで四色・A4プリンターは、全く眼中にない、莫迦にしていた 機種です。

写真倶楽部の作品展出品でない限り、もはやシニアの写真画像は、パソコンに残し一人楽しむ時代です。自分が 逝ったら家族の人が、故人を偲んでプリント画像を見てくれるか?、プロでもない限りまず残された家族は見ないでしょう。
デジタル画像は、パソコン液晶モニターで見るのが一番綺麗です。
このサイトに投稿される方々のブログに掲載されている画像の色の再現力・キレ・美しさにびっくりします。そして それらがコンパクトデジカメや或は、スマホで撮影されたものと解ると、もっとびっくりします。

ダウンサイジング・シンプルライフ

今回は、デジタルの世界の話、プリンターでした。
そして、リタイヤライフ、海外ロングステイにも同じことが言えます。
ご存じのように今年2015年は一度もパスポートを使っていません。
人間齢を重ねていくと意識しなくても、声高に叫ばなくても自然に、今の自分の身の丈にあった生活にダウンサイジングされて いくのだなと、実感しています。
※後日談

私の住む地域の危険物ゴミの収集は毎月、第三回目の木曜日です。
第三木曜日とは、第三週の木曜日なのか?その月三番目の木曜日なのか?考えたことはありませんか?どうも外国語的な 発想をする私と、カミサンの意見が違うのが続いていましたが、同じような疑問に答えたのか、ごみ有料化をスタートさせた 鎌倉市のゴミ出し案内チラシには、その月の第三木曜日的表現を使うようになりました。

危険物(燃えないゴミ)を無料で出せるのは、一遍が50cm以内ということで今回のプリンター・スキャナーを第三木曜日 の朝一番、共同住宅内のごみ置き場に出しました。ゴミ収集車が回収した後行ってみると、私のだしたプリンター・スキャナー が残っているではありませんか?、一遍が50cm以内なのに何故?と貼られていたチラシには、「ゴミ収集有料袋40Lに入れて だして下さい。」と書かれていました。
そうだった、有料化が始まっていたのだ・・・でも我が家にはそんな40Lもする大きな有料ゴミ収集袋は置いてないので 買いに行くと、10枚で800円もしました。
ダウンサイズするにも、ある程度のお金はかかることを実感しました。

8/21 海外で暮らす。食事と安全意識は齢と共に変化してきます。

今週、掲示板で海外、特にタイと日本の外食の値段と質についての投稿で賑わっているところに、 バンコクの爆弾テロのニュースが飛び込んできました。
爆弾テロの現場は、なんとエラワン廟というでは有りませんか!
 
場所はバンコクに特別詳しくなくても、日本人観光客なら一度は行ったことがある、東京なら銀座4丁目の 交差点的な場所です。
日系のデパート・元伊勢丹のショッピングセンター・市内有数のスーパーBig-Cがあり、運河を渡れば 比較的庶民的な街や名物の屋台街がある場所、BTSチットロム駅はバンコクに住む日本人が多く住む スクインビット線です。バンコクに通っていた頃、この地域のホテルに滞在する ことが多かった地域です。

齢と共に変化する安全に対する意識の変化 この場所で爆弾テロですか!
しかし、こんな場所だから狙われたのかも知れません。
元々、旧名ZENと呼ばれていたこのショッピングセンターは過去に何度も、政変の度に民衆の占拠の 舞台となっていました。
若い頃・・人によって若い頃は違います・・私の場合は高齢者と呼ばれる65歳以前を若い頃、何処でも行け、 何でも食べられ、どんな宿、どんな交通機関でも楽しくチャレンジ出来た頃です。
私と同じ団塊世代、現在67・68・69才でも、満期退職して5年未満でしたら、これまで現役時代に計画し、 夢見てきた事を実行している時期で、第二の青春を楽しんでいる方も多いと思われます。

海外って危なくないの?
若い頃、何度もこの言葉を聞きました。
何が危ないの基準なの?と何時も聞き返していました。
確かに、日本の普通の生活を基準に考えると、海外の旅行者の安全環境度は劇的に下がります。しかし、何処かに 普通に旅していれば、自分は大丈夫だと、云う意識はあります。
そして、多少の危険・デンジャラス・治安不安も旅の経験として楽しまなくちゃ、汚い・危ない話のほうが 面白い、考えていました。
しかし、65歳を過ぎた今の考えは違ってきます。

経験のなさ・無知・無鉄砲・単に運が良かっただけ
今まで夫婦二人で世界の僻地と云う場所を旅してきて、強盗・スリ・置き引き・交通事故・政治暴動・詐欺 等に巻き込まれたことは一度ありません。
理由の一つは、私が比較的言葉が出来たこと(英語・西語)、危険な地域・夜は出歩かない、常に夫婦二人一緒 に行動してきたせいだと思います。
今、歳とって振り返れば、かなりヤバイ経験だった、と思う事は山ほどあります。
インドで泊まったホテルが帰国後全焼し、何人も亡くなったというニュースを日本に帰ってから知り、それ以降 は、泊まるホテルは自室を真暗にした状態で非常口まで行くルートを必ず確認しています。
昔、ブラジルのタクシーで高速道路で怖い思いをしたことがあり、それ以降は タクシーに乗る時は、必ず一流ホテルでドアマンにチップを渡して捕まえています。
長距離バスに乗る時は、大きな荷物を持たず、絶対にトランクルームに預けないで、抱えて乗っています。 何故?、バスの床下に預けた自分のスーツケースがいつの間にか無くなる事って、日本人は想像できないでしょうね

今時、日本の半値で外食出来る国は少ない 掲示板にコメントした時、当然ながら色々な方から反響がありました。
屋台やフードコートや地元のレストランなら、楽勝日本の半額以下である
その方々は、私より若い方、今、実際に定年後の海外生活をエンジョイされて方々でしよう。
確かに、地元の観光客のこないレストラン・屋台・フードコートで食事をするのは、旅の一つの楽しみ でもあり、一般PAC旅行者とは違った誇らしい経験・武勇伝かも知れません。
私たちもそうでした。しかし、それはある体験をするまででした。
ミャンマーの比較的安全そうな海外旅行者の多いレストランで飲んだフレッシュジュースが大当たり、 七転八倒の夜を過ごした後、帰国した翌日、救急車で運ばれた経験をしてからは、ミネラルウオーターを 買う店まで吟味するようになりました。 ましてや、屋台の食事は火の通ったものでも、使っている油・食器までも気になる始末です。
若い頃と65歳の高齢者では体力が違う
若い頃は、何でも、どんな所でもOKでした。
個人自由旅行者と団体PAC旅行の違いを変に意識し、粋がっていたのでしよう。
そしてもう一つ、 理由は・・・
誤解・反論を覚悟で書きます。
旅行者とは云え、現地から見れば日本の比較的裕福な高齢者夫婦が、沢山ある一般ホテルに泊まらず 、若者が集まるゲストハウスに泊り、屋台で食べている姿は微笑ましいと映るか?或はそれまでして? と哀れに映るか?
ご本人達にしてみれば、旅先の一つの経験・アドベンチャーなのかも知れません。あの国でこんなに 安く食べれた、と。でも現地の普通の同じ世代のご夫婦はまずは行かないような場所が結構多いのです。

これまた大反論を覚悟ですが、私は現役時代から吉野家の牛丼は大好きです。松屋・すき家ではなく 吉野家なんです。でも、私と同じ年齢以上の老夫婦がカウンターで食べている姿を見るのは好きでは 有りません。どうしても、今読んでいる「老後破産」・「下流老人」を 思い起こしてしまうのです。

最近、掲示板に書かれていた老醜を映し出す鏡を意識しだすことが多くなって きています。

若いと云う事、知らないと云う事、他人の目を意識しないと云う事は、高齢者と呼ばれる年代から みるとある意味、特権なのかもしれません。


8/14 TVワイドショー 「老後住みたい街NO1、鎌倉の魅力」の本音

8月11日朝、市役所の国民健康保険課に足の痛み緩和・補正用靴の足底板を再度作り直ししましたので、 保険適用申請し、一時立替払い金額の7割戻してもらうため に出かけようとしましたら、カミサンがTBSの朝のワイドショーで 「老後住みたい街NO1、鎌倉の魅力」をやるみたいだから、見て行ったら、と云います。
どうせ何時もと同じ、ワンパターン・ステレオタイプの取り上げ方だろうと、思いましたが、一応見てから出かけることに しました。

「老後住みたい街NO1」の根拠は何だ?データーソースは

誰が、何の調査で鎌倉が、老後住みたい街NO1として選んだの?
一応番組ではサラっと示していたようですが、 根拠・ソースは、「マンション購入意向者に聞く、住んでみたい街アンケート」 の中の「老後住みたい街」のようです。



このブログで何回か書いていますが、鎌倉はイメージ先行で、実質的には市民生活・行政サービスは 他の同程度の地方都市と比較しても全てが遅れています。
湘南・海・江ノ電・歴史ある古都・作家、文化人の住む街、そして今は映画「鎌倉ダイヤリー」のイメージなのですが、 観光で週末の一日を過ごすのと、づっと住み続け、生活するのには、当たり前のことですが違います。
勿論、海外ロングステイはもっと違うのですが。

鎌倉市が一番遅れているのが、行政のIT化です。
鎌倉市のホームページの見にくいこと、使いにくいこと、一つの情報を探すのに、何と4クリックもしないと 、欲しい情報に辿り着けないのです。そして、最後には情報の全ては手抜きの重いPDFのみです。
※この記事を書くにあたり、本日覗いて観ると今年2月ようやく、リュニュアルしたようです。

原因は、各課・各部署の素人の職員が自分の部署のホームページを造っている為、全体の連携がないのが大きな 要因となっており、私たち専門家が、市の担当に指摘・申し入れても、経済的・予算的な問題で出来ないというのです。
鎌倉市正規職員の給与・退職金はかつて、全国で一番高かったことがあります。現在では是正されているようですが、 満期退職者の部長クラスの退職金は10年前は、4000万円を超していました。
参考 神奈川県市職員の平均給与ランキング
一見、民間ベースよりも低いと思われますが、このデータは平均です。新卒者から定年間際の全職員の平均が 1位の逗子市で723万ですから、結構高いと思います。

行政のIT化の遅れに関しては、今日も実感しました。
足の痛みの原因を緩和する靴の足底板の保険適用の申請をするのですが、鎌倉市には五つ行政区があり、各々の行政事務所で 各種住民サービスの受付をしているのですが、今回の申請は鎌倉の本庁舎に出向かないと出来ないのです。
確かに国民健康保険の還付に関する、お金が絡む問題ですから、慎重に対処するのはも当然ですが、申請用紙ぐらいは 事前にネットでダウンロード出来るようにするか、最悪各行政事務所で入手するようにすべきなのですが・・・
17,000円弱の還付金の為に、この猛暑の中電車代往復、310円かかりました。

老後の生活に必要な「医(医療)・食(買物)・足(交通)」はどうか

鎌倉と云っても広うござんす。
鎌倉には、五つの行政区があります。旧鎌倉幕府の七つの切通内の鎌倉はJR横須賀線の北鎌倉と鎌倉を含む地域で 皆さんがイメージしているとおりの地域です。

JR大船駅の東側の戦後の闇市がそのまま残った商業地域が大船です。

JR大船駅の西側 、フラワーセンター・清泉女学院・栄光学園・公文国際学園などがある文教地域が私の住む玉縄地区で、 最近、小田原北條氏の付城で町おこしが盛んです。

湘南モノレール開通後、大規模宅地として発展した深沢、大邸宅・高級別荘地として有名な 鎌倉山もこの地域ですが、元々は鎌倉唯一の大企業三菱電機の工場と共に発展して来た地域です。

最後に残る腰越 は、義経の腰越状でも解るように、旧幕府時代は鎌倉の外でした。湘南モノレール開通後、湘南の海のイメージと共に 首都圏に通うサラリーマンの住宅地と発展してきて、近年もっとも人気の地域です。
医(医療)はどうか?
鎌倉の大きな医療中核となる病院は、大船と玉縄にあり、交通の便も良く、東京首都圏の地方都市としては ほぼ合格点です。が、介護系はどうなのか?、後数年、私の廻りの需要がでてきた時に判明することでしょう。

食(ショッピング)はどうか?
大きなスーパーがあるのは、大船地域、大規模駐車場のショッピングモールがあるのは、玉縄地区、 各地域には地元系の小・中程度のスーパーがあります。
食(ショッピング)の面で一番遅れているのが、鎌倉地域です。駅に隣接した東急ストアーと高級スーパー の紀伊国屋しかありません。勿論大きな駐車場はなし、ちょっと離れた緑に囲まれた環境の良い住宅街の鎌倉夫人 にとって、鎌倉・北鎌倉地区の買い物は大変です。

足(交通)はどうか?
一般的な地方都市に較らべれば、良いほうでしょう。
一番便利なのは、玉縄・大船地区です。JR東海道線・横須賀線・京浜東北線・湘南新宿線とモノレール線があり、近隣への バスも便も多くあります。
鎌倉地域は、東京首都圏のなかでは、平均点よりもちょっと下、65点かな。
三浦半島へ向かう横須賀線一本しかないので、事故ひとつで完全に足が無くなります。
深沢・腰越地区は、弱小電鉄である江ノ電と湘南モノレールが唯一の頼りですから、車はなかなか手放せません。大船・玉縄から 較べると30点、老後の生活にはかなり不安があります。

ワイドショー的取り上げ方

結局、最後までみませんでした。
海外ロングステイものと全く同じ、ワイドショーは報道ではなく娯楽・バラエティー番組、夢や未来への明るさが 必要ですものね。
市役所へ行く横須賀線の車内は、いつもこの時間 は鎌倉観光へ行くデイバックに帽子のシニアのおじさん・おばさんがいっぱいなのですが、 お盆も近いせいか少なく、若い女性でいっぱいです、みんなビーチに行くのでしょうね。鎌倉を楽しんでください。

8/7 嬉しいけど、ちょと後ろめたい気もする、市からのお知らせ


郵便受けに鎌倉市から「重要」印がついた封書が二通入っていました。 一つは、いつ届くのかなと待っていた、「高額療養費支給申請のお知らせ」でした。 4月に鼠蹊部ヘルニアで入院手術した時の、限度額を超えたものの申請書が、自動的に送られてくるのを、 待っていました。

もう一通は、期待も、予定もしていなかった「臨時福祉給付金のお知らせ」でした。 あれ、昨年一回だけではなく、今年もくれるんだ。
安倍政権のバラマキ、大判振る舞い政策の一環で一人、6,000円、二人で12,000円のお小遣いです。
高額療養費還付金にしても、臨時福祉給付金にしても、キーワードは、市民税非課税所帯です。 本当に困っている人には申し訳なく、ちょつと気恥ずかしく、後ろめたいのですが、我が家は市民税非課税で、国民健康保険も 介護保険も、最低基準なのです。特別脱税している訳でもなく、単純に所得が低いだけの話なのです。

これまでの私のサイトを見ている方は、「ちょっと待って変じゃない」と思われるかもしれません。 現役時代、あれだけ世界の僻地を旅して、50代半ばで老後資金を造って早期退職し、毎年海外にロング・ミドルステイして いる世帯が、何で市民税非課税で、臨時福祉給付金をもらったり、たいした入院費でもないのに、還付金が入ったり、 国民健康保険料が最低基準なの、おかしいじゃない、と思うのは当然なのですが・・・

日本の課税方法ですと、1年の収入を基準にしています。
つまり、幾ら財産があってお金持ちでも、前年の収入・所得がなければ、翌年の課税対象にはならないのです。
お金持ちは、お金持ちらしく、土地や不動産に多くの税金を払い、預貯金・投資の利益所得に分離課税を払い、消費に 貢献して、消費税をお金持ちらしく、多く払っているのです。
私の場合、そんなお金持ちではなく退職した瞬間から収入がないだけの話です。
初年度に昨年の地方税をざっくり払い、私55歳、カミサン52歳ですから、 国民年金も払い続けなければいけなかったのです。当然、超低所得者世帯です。
やがて、12年になりますが、これまでに一度だけ、市民税課税対象になった年がありました。

春の所得申告を真面目に、正確に出したのに、その年の後半になって、申告漏れがありと、市から通知があり 追徴課税と住民税の支払い請求が 届き、何があったのかと、市の税務課に赴いて確認した所、昨年の市主催のweb講座の講師謝金10万弱が申告漏れと指摘され、 それに伴い、今まで公的年金だけの世帯収入が住民税課税対象ギリギリだったのですが、講師謝金分オーバーしたため、講師謝金分以上の地方税及び 国民健康保険の支払いが 発生したことがありました。
翌年からは、講師のボラバイト(時給1,100円から所得税10%を引かれいてます。)を限度額まで減らし、天引きされていた、 所得税10%の返還請求をしており、市民税課税対象額をオーバーしないようにしています。

幾らまでなら市民税非課税になるのか?
・65歳未満 公的年金収入金額98万円以下
・65歳以上 公的年金収入金額148万円以下
夫婦二人の公的年金が凡そ年250万円以内なら、住民税非課税になれるのです。

奥さんが専門職で、ご主人が一流建設業界でも、年金収入が250万以下なの?

カミサンは、現役時代二人で海外の大自然や古代遺跡に出かける度に、職場を辞めて転職の繰り返し、最後は派遣ですし、 私の場合、所属していた会社が合併・吸収・M&Aなどで、大きくなっただけですし、そもそも30才で入社し、55才で 退職しているので、正味25年しか働いていません。その前は、日本年金制度の及ばない外国の企業でした。
ですから、こんなものです。

日本の平均的な世帯の年金収入は幾ら?
日本年金機構によると、モデル世帯(ネット参照)の年金月額は約22万6000円(平成26年11月現在)とのことです。 内訳は、夫の老齢厚生年金が約9万8000円、老齢基礎年金が約6万4000円、妻の老齢基礎年金が約6万4000円となっています。 ちなみにモデル世帯とは、夫が厚生年金に40年加入し、妻が第3号被保険者を含め、国民年金を40年納めた場合です。
25年しかまともに働いていないのですから、良しとしなくては。
参考データーAll aboit

250万以下でやっていけるの?
250万円と云うと、首都圏の共同宿宅生活で月20万円ですから、食って、寝て、年に数回のバスツァーに行く程度 の生活は出来ますが、ゆとりある生活は、当然出来ません。あと最低150万は必要になり、自己責任の蓄えの取り崩し になります。

高額療養費還付金の仕組み
所得区分 自己負担限度額
標準報酬月額83万円以上の方 252,600円+(総医療費-842,000円)×1%
標準報酬月額53万~79万円の方 167,400円+(総医療費-558,000円)×1%
標準報酬月額28万~50万円の方 80,100円+(総医療費-267,000円)×1%
標準報酬月額26万円以下の方 57,600円
被保険者が市区町村民税の非課税者等 35,400円

今回の鼠径ヘルニア一泊二日手術の場合
医療機関の総費用 248,570円
療養を受けた病院へ支払いした一部負担金(三割) 74.571円
高額療養費限度額 35,400円
支給申請額 39,171円

保険会社がTV・CMで盛んに不安を煽っていますが、普通に納税し、普通に国民健康保険を払ってきている 日本国民は例え大きな病気であっても取あえず100万円の一時的に支払余裕があれば、自己負担額は、少なくて済み アメリカのように、医療費支払いの為に路頭に迷う事は先ずありません。
病院では高額療養費の申請を事前に行うことにより、一時立替分も軽くなると説明しています。そして私の場合、 住民税非課税所帯なのかどうかは知りませんが、こちらから市の国民健康保険課に申請しなくても、市のほうから 申請書を送ってまいります。


余裕・ゆとりのある団塊シニアの貧乏自慢ととられる恐れを危惧していますが、日本と云う国は、 ちゃんと、自己責任で働いてくれば、まんざら捨てたものでもない 良い国だとの想いを綴りました。

7/31 終の棲家はご近所との関係が濃厚な、ラジオ体操ある街

今日で、今年の夏の朝のラジオ体操は終わりました。
私が住む地区では、ラジオ体操は、夏休みが始まった7月31日から月末の31日までで、 8月は行われません。
お隣の横浜市栄区のいたち川に面した笠間地区では、年間を通して毎朝、ラジオ体操 が行われているようです。

これまでラジオ体操をしている地区に住んでいませんでした
地方から東京に出てきて以来、中央区・明石町、世田谷区・用賀、台東区・池之端、世田谷区・羽根木 と引越しを繰り返し、横浜市・東戸塚に自分の家を購入し、早期リタイヤして、ここ鎌倉市・玉縄に 移り住むまで、ご近所で朝のラジオ体操をしている地区はありませんでした。
東戸塚の駅前大開発の高層マンション群までは、仕事を優先して住まいを決めていましたので 私が知らなかっただけで、実際には行われて居たのかも知れませんが。

それほど、ご近所に住む人との関係は希薄で、東戸塚のマンション群は特に、全ての住民が 他地域から移って来た人々で、元々住んでいた地元、地縁のある方は皆無なうえ、マンションの構造が 両面バルコニータイプ、向かい合う2つの住戸で一つのエレベーターの為、同時に偶然に家のドアーを 開けない限り、顔を合わせる事のない環境でしたから、21年住んでいても、お向かいの方と言葉を交わした のは、ほんの数回と云う、まさに都会のマンションだったのです。
子供のいない共働きの夫婦でしたから、子供を通じてのご近所・自治会などとのお付き合いも 有りませんでした。しかし、それで全く不自由は感じず、これが都会の生活、煩わしくなく良いと 思っていました。

鎌倉・玉縄に越してきて
国内の終の棲家になるかもしれないと選んだ街にしても、以前のマンションと比べ物になりませんが、 小規模とは云え共同住宅ですから、同じような生活になるかと、思っていたのですが・・・

自宅の目の前の公園は、放課後は游ぶ子供たちでいっぱいです。
世の中、少子化とか云われ、子供たちは小学校から塾通いと聞いているのに、ここの子供たちの多さ、 おおろかさにおどろき、朝夕、犬を連れて散歩する人々は、知らない、新住民のマンションの私にも 挨拶をします。
これまで経験したことがないことばかりです。
回覧板の存在、町内会費、町内会の役員、公園のお掃除当番・街灯の電球交換(本来なら行政がやること)、 今まで知らなかったことばかりなのですが、ほとんどは、元々この地域にお住まいの戸建の方々が担当しており、 新しいマンション住民は、自治会会費だけ払っていれば、お構いなしのようです。

12年経って、徐々に顔と名前を知るご近所が増えました。
朝のラジオ体操に参加するようになって、4年目になります。
自然にご挨拶する方々が増えてきました。
私が知らなくとも、お相手はご存じのケースが多いのは、私が大船地区のNPO関係者でしょっちゅう、センターで 見受けられ、ここを拠点に活動する市民クループのITサポートをしているからでしよう。
退職して、新たな住環境にするのは、一時的には大きな出費が伴いますが、今までの仕事オンリーだった生活と区切り、 決別するに大変有効な手段だと思います。
しかし、子供のいない夫も妻も、かなり自分から積極的に出ていかないと、地縁・血縁の濃い地域への溶け込みは容易 では有りません。
特に男性の場合は、どうしても元の会社・地位・学歴を引きずりがちになります。
思い切って、それらは相手に聞かれるまで、そして最低限の範囲までしか、話さないと云う誓いは必須でしょう。

例え、海外ロングステイをしようとも
退職したら、二人で海外ロングステイ・・・、それが目的、楽しみで退職を心待ちにしている心境は、このサイトの 読者の皆様はよくご存じです。
そして、何時かは日本の自宅に戻ってくることも良く理解しています。
海外ロングステイはせいぜい、退職してから5年、最長でも10年です。どうぞ、日本の住まい、ご近所、地域と 良好な関係を築けるよう、現役時代から、少しづつ努力する事を、お勧めします。


7/24 今が旬の北陸新幹線で金沢へ行って見ました

信州、善光寺の境内で育った私にとって、北陸の富山・金沢・福井は遠い土地でした。 信越線の直江津経由で行けるのは解っていても、文化圏としては関西圏と云う感覚があり、 東の東京よりもづっと遠いイメージがありました。

首都圏に暮すようになって、北陸はもっと遠く感じる事になりました。
富山出身、千葉に住む友人は、退職後、独身の弟さんと暮す田舎の母親の介護で頻繁に富山に帰るようになって、 西廻り東海道新幹線 、米原乗換の在来線特急か、上野発の信越線経由の特急「はくたか」か、或は飛行機で富山空港か、その度悩んでいました。
今年開通した北陸新幹線は、彼にとって画期的な出来事でした。
母親の体調の変化があっても、 その日の朝でも出かけ、お昼前には駈けつけられ、夕方・夜には千葉の自宅に戻ってこれるのですから。

確かに、近くなりました。
その分、新幹線が開通した地元の人たちにとって、負担・不便が増加しています。ご存じのことと思いますが、新幹線が出来ますと 並行して走るJR在来線は、JRから切り離され第3セクター運営の民営鉄道になります。
運行本数は減り、料金は高くなっていきます。私が子供の頃東京に出る際に利用していた碓氷峠超えのアブト式の信越線は、 軽井沢と横川の間は、行政的県境の為なくなり、群馬県と長野県の間の鉄道網は、新幹線以外の選択余地は無くなったのです。 必然的に車社会となり、一家に2台・3台の車が必要な社会となりました。


車の免許証のない私たちの観光の足は、路線バスです。 今回の金沢市内観光は、画像の市内観光周遊バス、1日乗り放題で500円、一回200円ですから3回で元はとれます。これを使って 金沢の観光名所を廻って、夕方、金沢市内で最も趣のある「ひがし茶屋街」のほんのりと灯が燈る 夕刻時に行こうと、バスの時刻表を見ると、なんと18時が最終なのです。
金沢は北陸の中心地、大都会なのに、夕刻6時にもうバスがないのです。

その分、地方のバスシステムのIT化、情報化は進んでいます。
バス停の案内板は、下記の画像のように電子パネルに、乗ろうとするバスの現在地がリアルタイムに表示され、予定到着時刻も 表示されています。
沖縄でも同じような経験をしました。バス停で待っている地元の人たちは、皆さんスマホで運行状況を リアルタイムでチェツクし、到着2・3分にバス停に来ているようでした。
バスを利用することのない私たちは、東京首都圏でもこのようなシステムがあるかどうか解りませんが、私の住む湘南・横浜 地域でこのようなバスシステムは見かけたことは有りません。或る意味、地方だから必要なシステムなのかもしれません。 しかし、IT弱者の高齢者(もしかして、私も含む)には、通信費の費用ばかりが増えていきます。

市内バスマップ


能登半島に行ってみました。
私は、金沢・福井・能登は2回目です。バブル華やかな頃、現場の旅行として、小松空港から入り、昔ながらの大名旅行で 輪島に泊り、日本海の荒波が打ち寄せる高級旅館・高州園の露天風呂に入った思い出があります。
カミサンは初めてなので、能登・輪島に行こうと調べてみると、能登半島への鉄道は七尾までしかなく、後は高速バスだけしか 有りません。効率よく1日で名所を廻るには、金沢発の1日観光周遊バスしかなく、そのバスは昔泊まった高級老舗ホテルでの 昼食付き、朝市・千枚田・輪島塗見学・キリコ会館・千里浜なぎさドライブウェイで一人7,500円と云うことで、奮発しました。 (一日の観光費二人で15,000円と云うのは、私たちにとって大出費なのです)

金沢への旅の間、ノロノロ台風11号が上陸している時で、能登半島のお天気が心配されましたが、曇り時々小雨の状態で 、却って2日前の北陸地方のフェーン現象の37度の時よりも快適に過ごせました。

観光バス 輪島・老舗 高州園の昼食
今回の旅で一番印象的・衝撃の思い出は、この北陸鉄道「わじま号」についていた、高州園の昼食でした。
あまり旅先の名物料理や地元名産ものに興味がない私たちですが、今回、金沢のホテルは近江町市場の目の前でしたので、 ある程度リーズナブルでボリュームのある海鮮丼を食べようと、下調べして食べた画像スライドショーにある 「特盛海鮮丼」・「白エビラーメン」はまあまあまの高評価でしたが、期待していた輪島の老舗旅館・高州園の昼食には驚きました!! あまりのお粗末さにあきれ返るのを通り越して、食べる側に恥ずかしさを覚えさせる貧弱さなのです。

この食事内容のお粗末さの原因と責任は、輪島老舗ホテル・高州園の責任ではなく、 この観光バスを運営する北陸鉄道グループの経営責任者 にあると思います。観光バスのガイドさんも、運転手さんも、チケットセンターの窓口も皆さん親切で丁寧でした。それなのに せっかく、北陸新幹線が開通し、奥能登まで観光客が足を運んでくれる観光客にたいして、昭和30年代にもないようなお昼ご飯の 提供は、北陸鉄道グループは勿論、能登・金沢に対する悪印象さえ与えてしまいます。

観光バス運営事業部は、このバスの稼働率・収益を計算し、輪島老舗ホテル・高州園に昼食の提供を相当低い金額で申し入れて いるのでしょうけれども、ある意味高州園にも責任があります。老舗としての品格を損なうような金額の提示なら、断るべきです。 昼食に寄った観光客が売店で買い物するのを見込んでいる割には、ロビーのお店は閉っていたり、店員さんはオジサン一人だったり して、やる気が見えませんでした。

ブログで批判的、中傷的なことは、これまで書きませんでした。
齢を取ると短気・攻撃的になるのかもしれませんが、観光バスの乗客全員(23名)が、あきれ果てた内容でした。もし、この記事を 見た北鉄グループの経営陣の方がいらっしゃいましたら、お忍びでこの「わじま号」に乗車され、観光客と同じ高州園の昼食を 召し上がってみる事を、強くお勧めいたします。

北陸・金沢ブームが一過性ではなく、定着するように。
次は福井、永平寺と小浜・若狭に行ってみたい。

旅行の動画、サイト内ビデオワールドで公開しました


7/16 オフ会って何か楽しそう、でも、どうしようかな

先週末、名古屋でこのサイトの掲示板でお知り合いになった数名によるオフ会が開かれ、 楽しかったようです。

オフ会とは
一般的には: オフ会とは、パソコン通信やインターネット上で活動するグループに所属するメンバーや、 特定の掲示板・チャットなどによく出入りする人々が、実際に集まって行う会合のこと。
ネットワーク上、すなわち「オンライン」に対し、現実世界を「オフライン」としてこのような呼び方がされている。 ネットワーク上の知り合いが実際に顔を合わせる数少ない機会の1つであり、 主に談笑など、インフォーマルな催しとして行われる傾向が強い。

そんな難しい言い回しをしなくても、ネット上の意見・コメントを見ていて、実際にこの人と、Face to Faceで 会って話をしてみたい、色々な経験談を聞いてみたい、と云うことでしよう。
特に、このサイトの投稿者は、年齢的にも 高く、経験も話題も豊富そうで、実際に会ってはなしを聞くときっと楽しいでしょすう。、 そして、若い世代のサイトと違って、ただの出会いを求めたり、人脈作りだけではなさそうですし、実際に会ってからのその後のトラブルも ないだろう、と思われるのでしょう。

掲示板管理人としてはどうするの?
なーーーにもしません。と云うのが六十代半ばのサイト管理人の公式発言です。
私もこの掲示板に投稿される方々に会ってみたい衝動にかられます。きっとみんな魅力的な良い人ばかりなんでしょう。 色々な世代、先輩や、同世代、そしてこれからリタイヤを迎える世代の方々と、face to faceで語り合えば、翌朝までだって 話は尽きないでしょうが・・・、私には踏み切れない理由が幾つかあるのです。

一つ、私は下戸で酒は一滴も飲みません。アルコールが入り、場が盛り上がり、人と人の垣根が低くなっていく中、一人だけ素面の人間が 居たのでは、面白くないと思いませんか?
一つ、そんな席で、50代半ばで9ケタの資金を造って、早期リタイヤした自慢話を聞かされる相手の立場を考えると・・・
一つ、私自身が全く同じ経験を何度もしています。
このようなサイトをやっていますと、どうしても会ってお話をしたい、と云う方は結構いらっしゃいます。一度はお断りするのですが、 海外或は関東首都圏から遠い方がわざわざ、その為だけに鎌倉で来るとなると、ついつい3回ほどお会いしたことがあります。
皆様がご想像通りの展開・話です。
皆様の海外での武勇伝に始まり、如何にして海外で成功したか、事詳細に数字まで暗記して話される方、会社での地位、卒業大学、 息子さんの勤め先、可愛い孫の話・・・、お会いして情報・意見交換ではなく、兎に角自分の事を話したくて仕方ないご様子です。
解った、解った、凄いですねーーーーー。

カミサンは大反対です。
A君(私の事です。)は、ネットで好きな事を勝手に書いて、きっとどうせ自分のことは 少し格好良く、私の事はわがままな鬼嫁みたいに描いているのでしょうけど、 A君は、世間の皆様にさらけ出すような六十代半ばの容貌ではないのだから、恥を晒さないでね。昔だったら少しは 髪の毛があったから良いものを、今では シクラメンのかおりの「小椋 佳」よりも負けているじゃない、と云います。
「小椋 佳」には負けていないぞ、これまでに、絶対に自分と解る映像は公開していませんでしたが、 今回は反論証拠写真を初めて公開します。
同級会の写真の定年退職後の同級会に集まる人々の オンマウスで現れる現在の写真の後列・左端です。
ここまで公開したのなら、カミサンも公開します。このサイトのなかで一枚だけ映っているのがあるのです。 ゴールドコースト のページに登場する日本人女性が かの悪名高き我儘、鬼嫁、私の背広を処分したカミサンです。


7/10 生前・老前整理・断捨離?、ついに背広が我が家から消えた

友人はこれまでのブログを読んで、私は、モノに対する執着心が薄い方だと云われています。
高齢者と云っても70前の六十代後半で、写真・アルバム・手紙類・書籍・海外でのお土産類など、自分が 生きて来た思い出の品、証をどんどんと捨てて行くのだから、自分にはとても出来ない、と云います。

そうかもしれません
でもまだ完全に捨てきれないものが、残っていたのです。それは仕事着でもあった 背広とネクタイです。退職して12年、まだウォークインクローゼットのかなりの 部分を占有していました。

前々から衣替えの季節になると、カミサンからこれらの背広をどうするの、こんなに沢山のネクタイがあったって 使わないでしょ、何時か必要になるって言ったって、この12年間、冠婚葬祭以外に着たことがあった?、仕立ての良い ブレザーとパンツの二つもあれば十分じゃないの?、と捲し立てられました。

男の背広は仕事着だ

私たちの世代は男として、一番脂が乗っていた働き盛りの40代、世の中はバブル景気でした。建設現場 では会社支給の作業着で十分なのですが、日本を代表するような象徴的な建造物の部門の責任者として 携わっていると、外との会議・お付き合いも仕事のうちで、ある程度の仕立てレベルの背広が要求されるような 立場でした。

そこで、会社は現場経費として、一年に一着背広を仕立てて、それを作業着として経費で落とすのを認めてくれました。
勿論、誰でもが、何処でも、どんな高いのでも、と云う訳ではなく、会社が指定したデパートの紳士服売り場に事前に 連絡し、社員証を提示すると、部署・役職に応じた、生地が提供されると云う仕組みでした。

今では、紳士服のチェーンが高品質の背広を驚くべき値段で提供していますが、あのバブルの時代、大手デパートのイージーオーダー・ 仮縫い・一部手縫いの背広は、軽く12万~15万はしてましたし、そんなものだと思っていました。
会社の決めた上限金額はあるものの、現場で稼いでいる、会社に十分な利益で貢献していると自負していたあの時代、今思えば かなり高額な、今、手にしてもかなり良質な背広が、ウォークインクローゼットに残っているのです。

退職後、背広・ネクタイは必要か?

こればかり、千差万別、生き方、定年後の過ごし方、社会との関わり方によって違いでしょうが、私の場合、現役時代に仕立てた これらの思い出深い背広は、退職後一度も袖を通したことはありません。
ひとつには、退職数年前から、退職後の生活に備えてかなり体をシェープアップ・ダイエットしたせいで、あのバブル期の背広が 少しフィットしなくなったのが大きな理由なのですが、上下背広、ネクタイをして出かける用事、出かける先がないのが大きな原因です。

出かけるのに、何時も、何処でもカジュアルな服装と までではないのですが、所謂サラリーマンの制服・通勤着としての背広上下は必要なく、退職後に買い揃えた 二着のブレザーとパンツと、冠婚葬祭用の黒のスーツ夏用・合着で間に合い、あとはユニクロと、 お気に入りのブランドジーンズで十分です。

ネクタイとワイシャツに限って云えば、観光葬祭用の二本で十分、特に最近ノーネクタイが容認されており、一種の格好良さもありますから。 昔のリタイヤ先輩がしていた、アスコットタイや、ポーラー・タイ(紐タイ)は、かえって気恥ずかしいやら、未練がましくて 出来ません。

私の背広の行き先は?、でもBook Offは嫌だな

カミサンがおっしゃりますには、幾ら生地・仕立ての良い背広でも、体格の変化・年齢によって似合わない ものを着ている高齢者のみっともない姿を貴方は見たことない?、処分すべきよ。
解った、12年間確かに着てないし、処分しても良いよ、だけど「Book Off」は勘弁して、あの1Kg幾らを見るのは忍びないから 、古着を無料回収して、それを資源として輸出したり、売ったりした資金を役立てているボランティア団体NPOがあるから、そこに 渡して、とお願いしました。

ある日、その団体は車で取に来て、一切合財持っていったようです。
私の部屋のウォークインクローゼットはさぞかし、スッキリしたであろうと覗いて観ると、女性用の 洋服が占有していました。
まあ、仕方ありません。カミサンほうが私より20年は長くこの部屋を使うのでしょうから。


7/3 中高年夫婦が気持ちよく泣ける映画 「愛を積むひと」


先週の「海街ダイアリー」も良かったのですが、しかし中高年のオジサン・オバサンが泣ける場面がなかったのは 原作が若者向けのコミックだったせいかもしれません。 それでも、多くの私たちよりもふた世代下の人たちの共感と、舞台が鎌倉の極楽寺、昔懐かしい昭和の民家 と云う設定が、興行的には成功しているようです。

今週の映画「愛を積むひと」の監督は、松竹の看板映画「釣りバカ日誌」シリーズの朝原雄三監督で、制作者側の意図は、中高年50代・60年代の夫婦 を如何に心地よく泣かせるか、ではないかと疑うぐらい、気持ちよく泣ける映画でした。

あらすじは

東京の下町で営んでいた主人公夫婦、篤史と良子。
2人は、第二の人生を大自然に囲まれた美しい土地で豊かに暮らそうと、 北海道の美瑛町へ引っ越してきた。

購入した家は、以前に外国人が住んでいたらしい洒落た一軒家。
良子の方はガーデニングをしたり、家の内装をアレンジしてみたりと豊かな生活を満喫していた。
一方で、篤史は根っからの仕事人間。仕事がなくなった途端、何をしていいのか分からずに毎日の暇を持て余していた。 それを見かねた良子は、長年の憧れでもあった石塀造りを頼む。

しかし、幸せな日々は唐突に終わりを告げる。以前から心臓を患っていた良子は、 本当に突然この世を後にした。
最愛の妻を失い、悲しみに暮れる篤史のもとに一通の手紙が届く。

自分がもう長くないことを悟っていた良子は、 自分がいなくなってからの篤史の事を案じ、二人の家の中にたくさんの手紙を隠していたのだった。
手紙には、良子の想いがつまっていた。篤史は良子の想いを受け止めて、閉ざしていた心を開き、 自分の周りの人の人生に少しずつ関わっていく。
良子への想いを積み上げるように石を積んでいく篤史の人生も、少しずつ前に進んでいく。 その石に折り重なるように、彼らの人生もまた重なっていく。 そして、ある出来事をきっかけに、長年疎遠だった娘・聡子と再会するが・・・。

樋口可南子56才・佐藤浩市54才と、実年齢は少々現実のリタイヤ世代に比べて若く感じますが、しかし考え見れば 私たちがリタイヤしたのが、夫55才、妻52才でしたから、違和感は全く有りません。

男は常に自分が先に逝くものと信じています
映画のテーマは、残して先に逝く妻の夫に対する愛・・・なんでしょうが、しかし世の中の男の99%は自分が先に逝く、と 信じています。
それが生物学的にも普通であるからなのですが、実際には私の廻りにも多くの奥さんに先立たれた方がいらっしゃいます。

長年の奥様のがん闘病生活を支え、見送った80代の公認会計士の方。
ある朝、同じベッドで心筋梗塞で亡くなっていた妻を発見した60代の元先生。
そして、有名な文芸評論家「江藤淳」氏、彼は長年看病の末に逝った後、

「家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、 決して家内を1人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまったいまとなっては、 そんな目標などどこにもありはしない。
ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向って刻一刻と私を追い込んで行くのである』
と書き残して、自殺したのは鎌倉の友人の隣の家でした。

寡夫・男やもめの老後とは
特に公式の調査・統計を待たなくとも、離婚離別男性者の余命・配偶者死別の男性の余命・未婚の男性の余命は、 一般的な家庭の配偶者のいる男性よりも6才~8才少ないと云われているのは理解出来ます。

それほど、配偶者に依存・甘えていると云う事実は本当です。
私も現役時代は、食事も洗濯も掃除もしていました。カミサンがフルに働いており、それが二人の将来のリタイヤ の為であることは実に身に染みて理解していたので、当然のこととして、家事を分担していましたが、二人とも 仕事を辞め、自由な身、一日家にいる事が多くなると、自然に家庭内の事は、カミサンがやり、対外的なことを 私がやるようになりました。

その為、自分の夏物・冬物の衣類のある場所も解らず、分別ごみ収集日も知らない、オジサンになっています。

男おひとりさま


今日、この映画を見て、数年前の本を思い出しました。
このサイトの問い合わせメールに、著者のジャーナリスト中澤まゆみさんから、定年後のおとこお一人様 の生き方に関する本を出版したく、このサイトの記事を引用したい、旨がありまして、快諾したことがあります。
この本の内容と関しましたはWebで広がる団塊の輪をご覧ください。

私の場合、99.99%男おひとりさまにはならないでしょう。
ブログで書いているとおり、私は生物学的に平均よりも弱者です。
子供のころから、60代半ばまで、入院生活を10回も経験しています。
そのうちの3回は一か月~三ヶ月以上でした。 ですから、リタイヤシュミレーション資金計画でも最長78才、おそらく、72才か73才と設定しています。
つまり 、後5年、東京オリンピックが見れればラッキーなのです。
と云う事で、私はこの映画のように、妻が残した手紙を読んで涙に呉れる、と云う羨ましいような状況・ 感動的な出来事はないでしょう。
また、そんな手紙を書くようなカミサンでもないか・・?

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