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6/30 年金シニア夫婦の定年後のゆとりは、海外旅行から国内旅行へ

55才で早期退職し、16年になります。
71才と68才の夫婦は、傍から見れば、もう立派な高齢者ご夫婦です。
55才から65才までの10年間は、単調になりがちな退職後の生活アクセントとして、年に4回~6回海外旅行にでて いました。
バリ島ウブド・ホノルルワイキキ・タイ北部を中心とする、定期的なリピートミドルステイと、ラオス・ミャンマーなど の観光未開発地域、南米の秘境などを中心に、文字通り歩く、シニア夫婦の自由旅行でした。

それも、6年前に海外旅行は卒業しました。
理由は色々ありますが・・・
◆ カミサン65才から公的年金満額受給になり、1か月の生活の基本的な部分は年金の範囲内に収めよう。
◆ 老後生活のゆとりに当たる二人の趣味の範囲の旅行は、自己貯蓄の取り崩しから年120万以内に。
◆ そして最大理由が、気力・体力・好奇心の低下です。


現役時代にほぼ世界の人気観光地、秘境と云われる世界遺産の地を歩いてきました。 旅行の原資は、現役時代の二人のボーナスでした。
しかし、65才以降の基本公的年金だけでの生活となると、遠く海外の僻地への個人旅行は、かなり 毎月の財政を圧迫し、出費となり現実的ではありません。
ゆとり経費として、年間120万の予算の全てを旅行に費やしたとしても、二人の個人海外旅行となると、せいぜい 年に3~4回、近場、短期のお手軽ツァーが限度になり、私たちの旅のスタイルと合致しません。
最後のミャンマーで泰緬鉄道(戦場にかける橋の舞台)のミャンマー側の地を訪れた時、今までにない下痢をして これを人生最後の海外と決めて、パスポートは更新しませんでした。

海外旅行をやめて、国内旅行にシフトする
国内にシフトすると、先ず経費面がものすごく楽になります。
海外旅行も昔に比べて安く、国内旅行並みと云われていますが、それは短期の近場団体ツァー、弾丸ツァーの場合であって、 私たち高齢者シニアが目指す、あるていどのゆとりのある世界の辺境の地への旅は、昔とさして変わらずそれ相当の費用となります。
しかし、年金シニア夫婦の2泊3日の国内旅行、年間100万余のゆとり経費からの出費となるとかなり、頻繁に出かけることが可能になります。

私たちの場合、原則月に一度、2泊3日国内旅行予算は二人で10万円です。
今週、京都を卒業した私たちは、お気に入りの奈良に行ってきました。
この予算を公開します。
JR東海ツァーズの新幹線・ホテルパック利用をいつも利用しています。
交通  小田原・京都間往復新幹線 こだま自由席、京都・奈良間 JR乗車券込み
ホテル ホテルフジタ奈良 ツイン22平米ルーム・食事なしプラン
二人合計 JR東海ツァーズ支払い、48,800円

現地移動費  9,000円
観光入場料  6,700円
食事・喫茶 18,000円 3日間合計82,500円です。

若者のようなバックパックホテルではなく、シティホテルとビジネスの中間クラスのホテルで、今回で4度目の滞在です。
食事も旅先だからと云って特別贅沢もせず、普通にシニア夫婦らしくとなると、二人で一日三食6,000円はかかります。
何を安く、押さえているかと云うと、JR東海発売の「ぶらっとこだま」と云うチケットです。
私の最寄り駅から一番近い新幹線駅は「小田原」です。
「ひかり」も時間帯によつては、2時間に一本止まりますが、「のぞみ」は停まらず、大阪まで直通の「こだま」でも、 一時間に一本です。
各駅停車の「こだま」は解りますが、各駅で「のぞみ」・「ひかり」の通過待ち時間が存外に長いのです。
小田原を出た「こだま」は京都に着くまでに

三島
6分
新富士
6分
静岡
3分
浜松
5分
豊橋
5分
三河安城
5分
岐阜羽島
7分
米原
7分
合計44分 各駅で「のぞみ」・「ひかり」の通過待ちをします。
だから安いんです。
でも、自宅最寄り駅から、新横浜に出て「のぞみ」にすると、自宅・京都間の所要時間は30分早くなるだけ、料金は 二人で片道6,000高くなります。
「ぶらっとこだま」は原則、指定席ですが、私たちは自由に旅する為に、敢えて自由席に変えてもらっています。
指定席にすると、帰りの新幹線の時間を気にしなくてはならず、その時の体調や、旅の目的地、滞在時間に合わせて 帰りの時間を調整するために、帰りの京都からは絶対に自由席です。
今まで、10数回京都から自由席に乗って、座れないことは有りませんでした。
「こだま」は新大阪始発なので、絶対に座れるのです。
但し、行きの小田原発07:35の「こだま」は通勤客で意外と混んでいますが、それでも座れないと云うことは、今まで 一度もありませんでした。
現役時代のタイム・イズ・マネーと違って、私たちシニア夫婦には、取り敢えず今は時間はたっぷりあるのです。 何時まであるかは解りませんが・・・・


今回の旅の中心地は、明日香村です。
キトラ古墳・高松塚古墳と石舞台の地をゆっくりと廻り、奈良市の西ノ京を中心として、薬師寺・唐招提寺と歩き、 今開発中、平城京跡地を歩く2泊3日の旅の様子は、次回掲載します。


6/22 ティファナに集まっていた中米からの難民たちのその後

中米からの難民キャラバンその後ニュース、「ティファナ」に到着した人々はどうしているだろう。
日本のメディアも世界のメディアも熱しやすく、冷めやすいのは解っていますが・・・ 難民問題と云うと一時期には、連日報道されますが、一定のヒューマニズム報道を果たすとその後の報道はありません。
報道、ニュースとは、今が旬のもの、大衆が今知りたい事を報じるのが使命で、少し落ちついたり、交渉事の落としどころが 決まると、途端に関心は急速に薄れていき、情報そのものの価値は減少していきます。

ホンジュラス・ニカラグアを出発した人々はどうなっているのだろう。
何故私が、遠く離れたアメリカ国境のトランプの投票目当て政策について、わざわざとブログで取り上げるのか?
それは、昔、日本人もアメリカでかつて、彼ら中南米キャラバンの人々と同じ境遇・環境にあったことを知っているからです。

昔70年代前半、カリフォルニアのサンディエゴの友人を訪ねた時、メキシコ国境のティファナに一緒に行こうと誘ったが 彼は、一緒に行けないと云いました。
理由は、その時の彼の滞在ビザは、留学生ビザが切れる直前で、働いている会社に労働ビザの申請をしている最中であり 余計なリスクを負いたくない、と云うのでした。
私は、その時は90日の観光ビザだったのだが、「無理をするな」と云われました。

70年代前半と云えば、アメリカはベトナム戦争がまだ終わってない時代 1964年に公民権法したと云え、1968年にキング牧師が暗殺され、日本人はまだアメリカでは、黄色人種、アジア人と 見なされていた時代でした。
当時、アメリカに正式ビザで滞在していた日本人でも、いつ何時滞在証明が出来るように、パスポートを携行して 時代なのです。ですから、敢えて面倒を起こしそうな国境の先の町には近づかないのです。

時代は90年代に入り、経済大国となった日本国民は赤いパスポートで、ほとんどの国をノービザで旅行出来るように なった時代、私たち夫婦は、世界中を旅するようになりました。
アジア人のなかの特権「赤いパスポート」は何処でも通用すると思っていました。
ある時、中米旅行の帰り、ロサンゼルスの入管でストップされました。
英語よりも、スペイン語のほうが楽な私は、入国管理官の質問に南米なまりのスペイン語で答えたのです。
すると、入国管理官は私のパスポートの履歴を調べだしました。
乗って来た飛行機は、エルサルバドル発グァテマラ経由ロサンゼルス行だったのです。
確かに、この便には一般観光客風よりも、中南米ラテン庶民の乗客が多く、移民便とも呼ばれているようです。

「アメリカの入国目的は」?
「日本に帰る乗り継ぎのため」
「今晩のホテルは」?
「空港ターミナルのヒルトンエァーポート」
「日本への帰りのチケットは」?
「あれ、カミサンが持っているはず」

その時、カミサンは私より先に入管を通過していたのです。
慌てて、カミサンを探しましたが、ゲートを通過してその先まで行っていて、見当たらないのです。
私は、そのまま別室に連れていかれました。
パスポートの入国スタンプにはここ数年行った国が沢山押されています。
キューバ・ベネズェラ・ボリビア・ホンジュラス・ニカラグアそしてイラン、パキスタン、旧ソ連等々。
いちいち、何をしに行った、その旅行代金はどこから工面した、日本での職業は?と聞かれるのです。

私は、先ずうちのカミサンを探して連れて来てくれ、と頼むのですが・・・?
帰りのチケットだけでは信用しないと云うのです。
理由は聞くと、最近アメリカ国内に不法滞在するアジア人が急増している。
極東からアメリカ経由中米行の通過チケットで入国して、そのまま不法滞在いる手口が横行している、と云うのです。
私は、今夜のヒルトンのリザベーションコピーがあることを、係官に伝え、電話で確認してくれ、と伝えました。
係官は、笑って「通過偽装でヒルトンに泊まる人間はまずいない、念のために確認してみる」と確認して、ようやく 解放されました。
ここまで1時間。
カミサンは外の椅子で半べそで待っていました。
これ以来、私たちは南米へ行くには絶対にアメリカ経由便を使っていません。
カナダ便或いは、ヨーロッパ廻りにしていました。

ところで、国境に到達したあのキャラバンの人達は今どうなっている?
ネットで検索しても、一番新しい日付のニュースは2019年2月9日が最新でした。
アメリカへの不法移民は、実は減少しているのですが、トランプの低所得者階層向けのプロパガンダがあたかも増えていると の印象を与えてしまっているようです。
結局、現在の私たち日本人が知りえる範囲では、難民としてアメリカに入国出来た中南米キャラバンの人はゼロです。
国境沿いにメキシコ政府が設営したキャンプに6,000人ほどいた、難民(ほぼ全員が経済難民)のうち、1000人は、メキシコで の就労ビザを取得し、残りの5,000人は、メキシコ政府からの補助金で自国に戻された・・・ようです。

ハワイやニューヨークに住むと云う芸能人のビザはどうなっているの?
旅行ではなく、仕事する為とか、住まう為に海外の国に住んだ経験からして、TV画面でみるこれら芸能人の裏側の苦労は 解ります、恐らくはビザ取得専門の弁護士事務所に多額の費用を払って取得しているのでしょう。
ハワイのショップで働いている多くの日本人は、相当の専門知識でない限り、雇い主が労働ビザの申請をしてくれないと 働けません。日本と同じなんです。
ホノルルで働いている多くの日本人の住環境は、かなり悲惨なのを見聞きしています。
ほとんどは、日本での正規社員よりも低い週給で働いています。それでも彼らは、今、常夏の、憧れのハワイに住んでいる と云う、自己満足だけが生き甲斐となっているとしか、私には感じられませんした。
ハワイ・ハワイに住む為に必要なビザ事情については
ハワイロングステイ 移住・暮らす為のアメリカビザ・査証の種類 を参考にして下さい。
短期の観光目当てのロングステイだって大変なのに、その国に住み、その国で働き、稼ぐと云うのは、如何に大変なのかは 二十代の前半のアルゼンチンで経験しています。
今、日本のコンビニで働いている、アジアの若者も大変な苦労・我慢の生活をしているのではないでしようか?
もう少し若く、もう少し余裕があったら、彼らの為に何かしら出来ていたかもしれません。


6/16 過労もストレスもないはずなのに顔面帯状疱疹に

木曜日の朝起きると、妙に目の周りからおでこにかけて、痒い、鏡をみると左目瞼が腫れて いる。そう云えば思い当たる節がある、ここ1週間ほど左目奥が痛むのを感じていた。
そう、目の疲れです。
15日土曜日、鎌倉センターでセンターホームページ打ち合わせ会議あり、それに間に合わせての 資料造りを進める作業が、連日続いていたのです。

でも、こんなことは良くあることで、眼精疲労の目薬をさして少し、パソコン作業から離れていれば治るものでした。 でも、今回のセンターホームページ作業は、ちょっとやっかいな作業となっていました。
指定管理者制度として私たちのNPO団体が管理・運営している「鎌倉市市民活動センター」のホームページは、 私の先輩が20年以上前に造ったもので、市からは今期の予算で
・今風に画像を多用したビジュアルなもの
・スマホレスポンシブル対応化したもの
・活動団体との双方向性をもったもの
などと注文が入っていました。

そこで、広報責任者の私としては、古稀を過ぎた私のようなオジサンが中心となってホームページリニュウアル化 を進めるのではなく、若い世代が中心となって、新しい令和の世に相応しい、今風なホームページを造る為に、 若い世代の人材を求めました。
世間一般からみたらかなり低額の予算ですが、全くのボランティアではなく、神奈川県の最低賃金を保証して作業に 当たる人材を組織内で募集したのですが、今の若者はワード感覚でホームページを造る、「ワードプレス」や「Jimdo」 で造れても、web基本言語であるhtml・CSSで造れる人材はいないのです。
今や、「ワードプレス」や「Jimdo」で簡単にホームページが出来る時代です。
しかし、所詮、ソフトの提供するテンプレート・プラグインの範囲内であって、大企業や、公的団体の正式な ホームページを造るには難があります。
ホームページアプリでしか造ったことのない技術者が増えている昨今、「そんなことは」ない 何でも出来ると、云うのですが、正式に基本からweb言語をやってきている昔からwebエンジニアからすると、やはり 物足りない、細かい設定が出来ないことは、明らかなのです。

結局、集めたのはセンターの全責任を負う、センター長50代(web知識ゼロ)、普段からセンター広報のチラシ・ポスター の支援をしてくれているプロのイラストレーター30代、広報部会に昨年入ったweb言語知識のある60代リタイヤ―、と 71才の私でスタートしました。
しかし、一番期待していた60代の広報部員は、先月から週5日のフルタイムで働くことになり、実務の大半を私が 負うことになってきたのです。

帯状疱疹って、ストレスで発症するのではないの

木曜日の朝、おでこから左目にかけて、ブツブツ。そして左目瞼にも腫れがあります。
医療関係者のカミサンは、直ぐに「ヘルペス」・「帯状疱疹」と判断、医者に行って、先ず視神経に行っていると ヤバイので、先ず「眼科」へ、次に根本的な治療は「皮膚科」へ、云います。
先々週行ったばかりの眼科へ行くと、ドクターは「ヘルペス」・「帯状疱疹」です。と一発回答
このところ、疲労やストレスがありませんでしたか?と聞きますが、確かに多少疲れ気味でしたが、ストレスとは感じて はいませんでした。
眼科では、ヘルペスが視神経まで達しているかどうかの検査をしました。幸い、瞼の周辺で留まって いるようで、点眼薬2つと、瞼内の軟膏を処方されました。そして、このまま皮膚科の専門医に行くように指示され、隣町 の掛かりつけの眼科へ真っ直ぐに行きました。
掛かりつけの眼科のおじいさん先生は、「ヘルペス」・「帯状疱疹」は最近高齢者に多いんだよな、高齢者も 忙しく、疲れやストレスを抱えるようになってきた時代なんだな、と云います。
先に眼科に行ってきた、眼科では視神経まで行っていいな旨を伝えると、「それは良かった、視神経まで行くと厄介なんだ」 「帯状疱疹」は早期投薬治療が第一、10日もすれば治るよ、宣います。
10日後に、2泊3日の奈良旅行があるのだけど・・・とは云えませんでした。

結局処方された薬は5種類でした
皮膚科で処方された内服薬「バラシクロビル」は体内のヘルペスを攻撃する、一種の抗がん剤的な薬で、副作用について 説明をうけました。私の場合運転はしませんが、やはりある程度の発熱を伴いました。そして、びっくりしたのが、 この薬の高さです。ジェネリックなのに、1日二錠3回、一週間分で二割負担なのに、1,800円もしました。
まあ、これで治り、来週の日曜日からカミサンの楽しみにしていた、奈良に出かけられるなら良いのですが。


6/9 内向きな日本の若者と年金シニアの海外ロングステイブームの終焉

海外から日本にくる外国人は、10年前の2008年は年間800万人だったのが、昨年は3,000万を突破し、 政府・関係諸官庁は東京オリンピックの年には4,000万人の受け入れを目指しているといいます。
一方、海外へ旅立つ日本人はどうなのでしょうか?。
人口に対して、国外に旅行に出る人の割合を表すのが出国率と云う云います。
日本は13%と近隣アジア諸国に比べると低いです。
※これは全人口に対する割合の為、総人口が多い国は数字上は相対的に低くなります。

日本の若者は「内向き」と云われて久しいです。
海外旅行にも関心度が低く、日本の20代の若者の出国者数は1996年からの20年間で40%も落ちているという 数字がありますが、実はこの世代の出国率ほぼ変わらず、23.4%と全世代平均の13%よりも多く、 若者人口が減ったことに過ぎないようです。
そして云えることは、若者の二極化がすすんでいることのようです。
海外に出かける若者は、何度でも出かけるが、出ないものは全く出ていかない。
私の甥・姪はカミサンの親戚も合わせると、甥6人、姪2人の計8人います。
そのうち、海外に出たことが有るのは、二人だけで他の6人は海外へでたことはありません。
海外に出る甥っ子の一人は、仕事で海外出張が多く何度もでています。
もう一人の姪っ子は、新婚旅行で一度、 ハワイに行っただけです。

なんでそうなるのか?
一つは、私たちの甥っ子・姪っ子は団塊ジュニア、就職氷河期の子供たちです。
6人の甥っ子のうち、2人は上場企業正社員、2人は転職後中小企業正社員、後の2人は、非正規派遣です。
6人の甥っ子のうち、結婚しているのは一人だけです。
2人の姪っ子は結婚していますが、子供がいるのは一人です。
私たち夫婦二人と両家の親類の子供たちの状況は、今の日本の抱えている、格差社会、少子高齢化そのものを反映しています。
日本が抱える諸問題の根源は、日本の戦後の政治・政策・教育にあり、それを生きてきた団塊世代にも一因が あると云うのは、云い過ぎでしょうか。

ネットメデイアの影響もあるかも
今、海外の情報、映像は全てインターネット、パソコン、スマホで得られます。良い情報も悪い情報も、 私たちの若い頃、海外の映像、情報は数少ないTVの旅番組やドラマしかありませんでした。それも憧れる 情報のみが。
「地球の歩き方」が創刊されたのは、1979年私が31才の時です。
私たち団塊世代が20代の頃は、海外旅行は一つの夢でした。
その延長が定年後の海外ロングステイへと繋がっていったのです。

しかし、団塊世代が古稀を迎えると、この世代の海外旅行への興味は激減していきます。
私が退職して、「団塊世代の海外ロングステイ情報」サイトを立ち上げた頃は、「ロングステイ」は一種のブームでした。
マスコミ・テレビは、こぞって、退職者シニアのひとつの過ごし方、暮らし方として、日本の年金でゆったりと 暮らせる海外ロングステイとして、「タイ」・「マレーシア」・「ハワイ」・「オーストラリア」で優雅に 暮らす、日本人シニアの生活ぶりを取り上げていました。
私のサイトも、毎年アクセス数はうなぎ上りになり、年間200万にもなりましたが、私たちが海外旅行を卒業し た5年前(65才時)から徐々に落ちてきており、現在最高アクセス時の65%程度となっています。
それでも年間150万PVあるのは、だんだんと年老いて行く、団塊世代の自虐的・実況中継的なブログサイトと掲示板が 同じ世代の共感と、退職予備世代の覗き見的興味があるからでしょう。

定年後シニアの海外ロングステイ数の信頼できる統計はありませんが、確実に少なくなっています。
原因の一つは、私たちが当時目指した「年金だけで暮らせる」国がなくなったことです。
アジアの国々の経済成長で生活物価が上昇したこと、日本の年金の減額化・・・特に企業年金が少なくなってきている のが多くの要因と、私たちのサイトによる情報発信で、海外で暮らすことの問題点の提起なども考えられます。
もっと大きな原因は、60才定年が65才まで延長されのが大きな要因です。
65才で定年を迎え、さあ、自由な身、今まで考えていたこと、やりたいことをやろうと思っても、男性の65才シニアに残された 時間は、人間として生物学上70才になると、確実に体力・気力・好奇心は落ち、第二の人生ではなく、残された人生と 云う意味に代ることを悟るからです。

若者が海外にでない、シニアが海外に出なくなる、出国率が低い は、成熟した日本社会構造では、経済発展する新興アジア諸国よりも低いのが当たり前なのでしょう。

そろそろ、行く所がなくなったら「天国」の歩き方でも読んでみようかな。


6/2 定年後の田舎暮らし「とかいなか」が流行ってるいるようですが?

都会生活と田舎暮らしを両立できるエリアのことを、都会と田舎の間から「トカイナカ」という造語で呼んでいます。
主に多摩地方や東京寄りの関東近郊のことを言い、通勤通学に便利な交通手段もあり、 生活するのに便利な場所な場所・・・と云う解説はありますが、この場合、都内に勤務し、子育てを 比較的地価の安い、首都圏郊外でと希望する若い世帯向けに使われていますが、退職シニアの間では、もう少し 踏み込んで、田舎暮らし的なものを云っているようです。

・広い土地で、家庭菜園をしたい
・何時も自然に囲まれた生活をしたい
・音をだしても、近所迷惑にならない生活をしたい
・廻りの騒音にに惑わされずに趣味三昧の暮らしがしたい
・子供・孫たちにとっての田舎、帰省する場所をつくりたい
・何時かは逝く老後の住宅費に金をかけたくない
・東京首都圏まで2~3時間で行ける場所
・子供、孫たちが週末に泊まりにこれる場所
・大好きな海があり、釣り三昧出来る場所
・毎日、毎朝夕富士山の写真が撮れる場所

NHKの番組のなかで2か所の「とかいなか」を紹介していました。
一つは、中央線沿線、上野原市西原地区 上野原市定住サイト
ここでは、「とかいなか」生活の両輪、都会と田舎の両立を紹介しています。
首都圏通勤生活
JR八王子駅まで最短23分、JR新宿駅まで約60分。
都心で働き、自然豊かなマイホームで生活する。
都会生活と田舎暮らしを両立できることが魅力です!
子供すくすく、ペット生き生き、家族は団らん。
休日はガーデニングやDIYなど忙しくなるかもしれません。

田舎暮らし生活
市内中心部から自動車で約20分。
今でも水と緑に恵まれた豊かな里山が残っています。
静かな古民家で「モノづくり」をする人、都内と行き来して「創作活動」に取り組む人、大地を耕して作物と伝統を守る人、 あなたは何をするひとですか?と定年シニアに呼びかけています。

番組を見ていて感じたのは、「とかいなか」は中途半端なの、という想いです。
新宿まで60分と云っても、西原地区からではなく上野原駅であり、公共交通機関は首都圏郊外の大都市に暮らすひとから みればないのと同然で、必然的に「マイカー」は必須となるようですし、大病院は八王子まで、一日がかりの通院です。

次に番組では、同じく山梨県都留市を紹介していました。
都留市定住サイト
安倍内閣の地方創生政策のなかで、各地方行政はかなり力を入れて、若い世代の子育て支援、住宅取得、就業支援などを 行っており、関東首都圏では、この都留市が特に力をいれているようです。
数年前にお台場で行われた「シニアの国内移住イベント」の場で、NPOとして名刺交換して以来、山梨県都留市企画課 より、様々なイベントの案内が届いています。
「とかいなか」と表現がぴったりのロケーションです。
新宿からJR大月乗換富士急「都留市」まで2.5時間、高速バスでしたら、1時間40分です。
ほぼ、東京・熱海間の距離、時間なんです。
先月届いた、ご案内では、雇用促進住宅をリニュアルして、サービス付き高齢者住宅に生まれ変わらせる事業が 紹介されていました。

考え方によれば、これからどんどん、高齢化が進み、医療・介護、はたまた斎場までがいっぱいとなると予想されており、 団塊世代にとっては、都内或いは関東首都圏の大都市にこのまま住み続けるより、今の住まいのように、何でもすぐ近くに ある必要もなくなりだす、70代にはこのようなシニアライフに目を向けた行政・施策のある場所に住み替えるのも一考かと 感じました。
しかし、古稀を迎えてからの全く、地縁・血縁のない場所への住み替えは、やはり無理でしょう。
行くなら、退職後の数年に決断すべきと、私は思いました。


5/26 定年後の田舎暮らし「人生の楽園」の人々のその後どうなっているのだろう

テレビ朝日土曜夕方の「人生の楽園」は、私たちと同じような世代の方々の、定年後の生活、生き方などを紹介する 番組で、退職してから二人で良く見てます。

でも、いつも同じパターン、都会から田舎に越してきて、
・家庭菜園づくりから本格的に農業を志す。
・自分の家を改造として、カフェやパン屋さんをする。
・農家民宿を経営する。
・趣味の木工づくりで道の駅で販売する。
・地元に溶け込み、地域の公民館で活動する。
・趣味の蕎麦うちが高じて、そば屋を開業したひと 番組では、田舎のこんな所で商売になるのかと思うような場所、開業間もない素人のお店に結構なお客さんが入って いる様子が映し出されています。
恐らくは、撮影の時だけご近所や、友人知人が来てくれているのではないかと、推測して見ていますが。

朝日新聞「声」、オビニオン&フォーラム欄に18才、高校生の投稿がありました。
タイトルは、「農業は人との信頼で成り立つ」
投稿要約

私は新規就農したいと云う夢があり、高校で日々農業をまなんでいる。
夏休み、山梨の農家に研修にいった。
お世話になった家は新規就農者の家。
その方のお話では
・新規就農者は増えているが、多くは長く続かずやめていく。
・理由は、地域の人との信頼関係に問題があるようだ。
・お世話になった家も、地元にの人々に認められるまで3年かかった。
・農業技術があればやっていけるは、安易な考え。
・先ずは人に信頼されることか大切、と痛感させられた。と

若い高校生でも、短期の夏休みの就農・田舎暮らしでこれだけ学んでいます。
もっと人生経験が豊かな、そして少しばかり資金的に余裕のある定年退職シニアなら、もっと現実的に、地縁・血縁のない田舎 で暮らしていくという事はどんなことなのか、解っているハズなのでしょうが。
あるデーターでは、定年後の起業の3年以内のは廃業は9割と伝えています。

バリ島では日常的によくある話
昔、バリ島でロングステイごっこをしていた時、友人のインドネシア人が話していました。
ロングステイを目指して、バリ島にくる日本人は金づる、カモである。
インドネシア人からみれば10年も20年も遊んで暮らせる大金を持っている。
バリ島に1か月も住めば、すること、行くこともなくなり、そのタイミングで、土産屋や食堂の共同経営の話を持ち掛ければ 50%以上の確率で話に乗ってくる。
彼らは、儲けなくてもよく、トントンで良いと考える、今のこの毎日することのない暇な生活のなかで、現地の人とふれあい 退屈な日々から抜け出せる。と
・一番簡単なのは、開店資金を預かってトンズラするか。
・金を出させて、開店し、売り上げを誤魔化すか。
・本人が一時帰国後、バリに戻ったら、店は閉店していた。
・或いは、繁盛して金になりそうになると、警察や行政を巻き込んで、外国人の営業、権利を巻き上げる。
先ず99%、このパターンです。
ご本人の日本人が、本当にこの店で食っていこう、生活していこうと云う意欲がない限り、絶対に成功しません。

田舎暮らしの地での、カフェ・レストラン・そば屋そして幾ら家庭菜園が好きで始めた農業の真似事も同じです。
田中暮らしご近所の方々は、この地で生きて行く為に、働いてきているのです。
都会から、大きな退職金を持ってきて、昔の知人が住んでいた古い農家を買い取り、都会と同じようなリフォームをし 都会育ちの奥さんがお菓子作りが好きだからといって、田舎にはない、こじゃれたカフェを造っても、一二度は物珍しさ でくるでしょうが、さしてインスタントとドリップの違いも解らない、おばあさんはケーキの値段の高さにびっくりして、 来なくなります。
私はこの番組をみながら何時も思います。
この方は、この古民家を幾らで買い、リフォームに幾ら費やし、厨房器具やインテリヤや食器に幾ら費やしたのだろう。
その初期投資を何年で回収しようと計算しているのだろう。
恐らくですが、投資を回収しようとは鼻から考えていないでしょう。
老後の自分の夢、我が儘を実現したいだけなのでしよう。

この番組を見ていて一つ云えることは、夫婦二人全く、地縁・血縁のない土地で一時的に、仮の住まいとしてならともかく 人生の終焉まで過ごすと云うことは難しいということです。 カミサンはこの番組をみながら、いつも呟くのは

「この人達って、自分は病気にならないって思っているのかしら」
「奥さんにしろ、ご主人にしろ、残されたら一人で、この田舎に住み続けられると思っているのかしら」
「冬の田舎暮らしの様子を番組では、まずやらないわね」

毎回、同じコメントを呟いていますが、今週も見ていました。

5/19 スマホ時代、歩数計の一万歩って何キロな?

ガラケー・スマホになってから、一日歩いた歩数を気にするようになりました。
現役時代、万歩計というものがあることを知っていましたが、全く興味、関心はありませんでした。
大型建設現場での仕事では、一日相当の距離を歩き、建設途中のエレベーター・作業リフトがない時期の上下動 は地下三階から、10階までは歩く、階段を上ることは、仕事の性質上、全く当たり前でした。
それでも、私の場合監督者という立場から、道具、工具、材料はなく、図面だけの移動でしたら、実際の作業員、職人さんから みれば、楽なものでした。
当時、健康の為に歩くとか、ダイエットの為に歩く、と云う意識、認識は皆無でした。

退職し、携帯電話(ガラケー)、スマホ時代になり歩数計が当たり前の時代。
特に健康面で意識はしなくても、歩数計は気になるようになります。
日によっては、自宅自室作業となる日も多く、スマホは机の上に置きっぱなし。
一日ゼロなんて日があると、翌日は歩かなくては、という気にもなります。

歩かなくてはと歩数計を意識しだしたのは、古稀を迎えた昨年からです。
一般的なシニア、高齢者より自分は元気だ、スポーツも週に二回はしてる。
しかし、古稀を境に明らかに足の筋力の衰えを感じます。
特に鼠径ヘルニアの手術をしてからは、屈む動作がきつくなってきました。
これが老化なのか。

旅行に行くと、平気で一日二~三万歩ぐらいは歩きます。
団体パックのように、観光地から観光地に勝手にバスが連れてってくれるのと違い、免許証返納の私たち夫婦の 移動手段は公共交通機関が頼りなので、4Kmまでは歩くことにしています。
特に、お気に入りの京都の場合、市内の移動でバスを使うと渋滞で混みますから、定宿としている河原町・三条のホテル を中心に、清水は完全に徒歩圏内ですし、時間に余裕があれば、京都駅までしばしば歩きました。
京都2泊3日の3日間で合計8万歩ということもありました。
でも、翌日の足の痛みもなく、疲れたという意識もありませんでした。

しかし、古稀を過ぎた頃から二万歩近く歩いた翌日には疲労感が残ります。
この春、東京の桜を見に砧公園と新宿御苑と廻り、帰途、横浜のデパートをブラブラした翌日、予定していました、バドミントン をパスしました。かなりの疲労感が残っていたのです。
そして、なか二日あけて、幸手の権現堂さくらを見に行きました。
最寄り駅、東武日光線幸手から、桜堤まで距離は2Km、楽勝歩ける距離です。
会場シャトルバスはあるものの、30分以上待つので当然歩きます。
そして帰路も歩きました。
自宅に戻ってスマホの歩数計をみると、18,000歩。
たいした距離でもなかったのです。
翌日はスポーツの日、ラケットテニスの日なのですが、朝から疲労感が残り、右足股関節に軽い痛みがあります。
行っていけないことはないのですが、4日後には、南東北の桜ツァーが控えていたので、大事をとって休むことにしました。

この時に思い出したのは、40代の頃グアテマラのティカール遺跡に行った時、目にしたシニア夫婦でした。
メキシコにしても、グアテマラにしても、古代ピラミッドはみるだけではなく登るものでした。 現地のホテル発のツァーに大坂からいらしたシニアご夫婦がおり、一緒にいきました。
いざ、ジャングル奥地のピラミッドに到着すると、シニアご夫婦のご主人は登らず、下で待って、奥さんだけ登らせたのです。
どうして、こんな世界の果てまで来て・・・
そんなに急な傾斜のピラミッドでもないのに。
あのご主人、今思うと何歳ぐらいだったのでしょう。
当時40代の私には、お年寄りに見えたのですが、もしかすると、今の私よりも若かったのでは。
年をとる、こういうことなのか・・・と思った記憶がありました。

スマホの歩数計の取説に、理想とするのは1日一万歩と書いてありました。
一万歩って何キロ、なんメーターなのでしょう。
ネットで調べてみました。
ヤフー知恵袋 「一万歩って何キロmぐらいですか?」

【l距離】=「歩幅」×「歩数:1万歩」 ですよね。
歩幅は歩く人の 「歩行の速度」とその人の身体の大きさ、目安は「身長」で簡易的に割り出すことが出来ます。
■ゆっくり歩き 身長×0.37 (もしくは2足分) ■普通歩き 身長×0.45 (もしくは2.5足分) ■早歩き 身長×0.50 (もしくは3足分) したがって身長を165cmとした場合、 普通歩きでは「歩幅=74.25cm」となり、一万歩=【7Km425m】となります。
早歩きでは、一万歩=【8Km250m】となります。

私の身長は170cm、普通歩きでは170×0.45で0.76mとなり、一万歩は7.5Kmとなります。
これが本当なのか、実際に自宅から最寄り駅まで、歩数計ではなく、歩いて数えてみました。
自宅・駅間は、購入時の不動産会社の広告では徒歩9分と表示されています。
実際に歩数を数えると900歩、 距離測定アプリで調べると 結果は800m、徒歩10分と表示されました。
この時は一人で数えながらの早足でしたら、私の一歩0.88mとなります。
これで解りました。
私の通常の一歩は0.8mなんだと。

一日一万歩が健康の目安だとすると、1日8Km歩きなさいということになります。
自宅と駅を往復しても、たったの1.6km、2,000歩しかありません。
自宅内の一般生活で歩く距離なんて多寡がしれているので、では散歩は何処まで往復しなくていけないの? 距離アプリ、片道4Kmの場所を探してみました。
何と、1日一万歩の散歩コースは、自宅を出て、大船駅・鎌倉女子大・北鎌倉駅・建長寺を過ぎて、鶴岡八幡宮の裏手 まで行って帰らないと、一万歩にならないことが判明しました。
古稀を過ぎたこりゃシニアおじさんには、いきなり毎日は絶対無理だ。

私の所属するNPOセンター会員に 「かまくら歩け歩け協会」があります。
このなかのプログラムで「イヤーラウンド」というのがあり、鎌倉コースとして四つほど紹介されています。
このコース、10kmから25kmのコースが設定されており、私どものセンターが安全確認のスタンプを押していますが、 毎日、朝、センターに現れて、コースを完歩して戻つてシニア男性が結構沢山います。
ほぼ毎日、違ったコースを歩く方も数名いらっしゃいます。
皆さん、私よりは確実に年齢は上です。
お話を聞くと、行く所もすることもないし・・・行き帰りにセンターに寄れば若いスタッフの女性と会話ができるし、 金はかからないし、(安全管理・認定の為に200円はいただいています)、一人だから、気兼ねないしと云っています。

私にも何時か、何もすることがないので歩くか?と云う日がくるのでしょうか?


5/12 あしかがフラワーパーク 絶景の大藤と大谷石資料館

全ての情報が、目よりの映像となって久しいと、朝日新聞天声人語でも若干、嘆いていました。
これも、ネット・スマホの発達により、個人レベルの発信がSNS、インスタ、ツイッター等を通じて、毎日数万、数億の 情報として、世界中に発信・・・たれ流されている。

今回の10連休、365連休中の退職リタイヤ年金シニアの身でありながら、5月5日に、あしかがフラワーパークに 出かけました。
この混むGWの季節は、何処へ行っても混むのは必至なのに、何でわざわざでかけるの? そう、棺桶リスト(行きたい所リスト・やりたいことリスト・やり残したリスト・後悔しないためのリスト)のせいです。
何度も書いていますが、古稀を越すと、明日は、来年は、太陽が昇るように確実に来るとは考えないようになります。
数年前から一度は見てみたかったのはアメリカのニュースチャンネルCNNが選出した「一度は見てみたい、世界の絶景 世界の夢の旅行先」に、日本で唯一選ばれた、大藤の風景です。
私の住む湘南からは、上野東京ライン・湘南新宿ラインで3時間弱の近場ですし、何時でもベストタイミングで行ける・・・ いつでも行ける場所と云う感覚でしたが、今年の春のさくらで改めて、「花はタイミングとお天気」と悟るようになりました。

10連休中、大藤の開花状況とお天気を見ていると、この5月5日しかなかったのです。
混雑は覚悟の上です。
JR両毛線あしかがフラワーパーク駅は昨年、2018年4月1日に開業しました。
これを機会に、一気に観光客が増え、単線、1本だけのプラットホームは改札、入場制限をするほど混雑していました。
肝心の大藤ですが、確かに満開なのですが、ちょっと違う。
ネット・メデイアや、ポスターにある画像と違って、地に届くような長さではない。
私たちの持っているあしかがフラワーパークの大藤のイメージは、もっと長く、色も多彩なピンク色なのですが。

これまでに、世界の絶景と云われる画像を多く見ていますが、実際にみるとかなり違います。
先月の喜多方日中線枝垂れ桜は、枝垂れ桜が地に着くようなピンクのトンネル風景でした。
秋田角館の武家屋敷のJRのポスターは、町全体が薄いピンクに染まっています。
TVで映し出される、沖縄の今帰仁城址の空、海、桜はもっと鮮やかなんです。
「地下神殿」のようと云われる大谷石採掘跡の地下空間は、実際の古代エジプトの神殿を知っている私たちからみれば 、宣伝用画像から比べると、かなり貧弱です。

理由は・・・全く当たり前のことなのですが。
映像プロが、最高の人材、機材、技術、タイミング、お天気で撮影し、後加工されているのです。
素人が行って、最高の映像が撮れるのは、奇跡的なことなのです。
私たちに出来ることは、ひたすら、撮影に行く時間・タイミングを個人レベルで決めることぐらいなのです。



あしかがフラワーパーク1 あしかがフラワーパーク2 あしかがフラワーパーク3
あしかがフラワーパーク1 あしかがフラワーパーク2 あしかがフラワーパーク3
あしかがフラワーパーク1 あしかがフラワーパーク2 あしかがフラワーパーク3


5/5 棺桶リスト・行きたい所リスト・桜百選

かなり前、2007年にヒツトしたアメリカ映画「最高の人生の見つけ方」の英語タイトルが「Bucket list」ということを 今週知りました。Bucketとは棺桶・・・自己流のトラベル英話力では必要のない単語ですが、映画の内容から辞書を引くまでもなく 解り、覚えました。
71才にして、新しい英単語を覚える必要もないのですが・・・、それもBucket=棺桶とは、ブラックジョークのようです。
何故12年前の映画の話題かと云うと朝日新聞のコラム、「天声人語」で上皇后となられ公務から解放された、 美智子妃殿下は今後、私たちと同じような定年後のながーい人生をどうお過ごすになるのか、何を楽しみにされているのか、 過去に公表された、妃殿下の文章のなかから推測されていたからです。
・「庭でマクワウリを作りたい」
・「殿下が関心をお持ちのイヌビワの木を植えたい」
・「ジーヴスも二三冊待機しています」
【注釈:英国作家ウッドハウスの小説の主人公】


アメリカ映画「最高の人生の見つけ方」 とは。
キャッチコピーは
・人生でやり残したことを叶えるために。
・棺おけに後悔を持ち込まないために。
・そして、最高の人生だったと心の底から微笑むために

見ていない方に、簡単なストーリーを
勤勉実直な自動車整備工と、大金持ちの豪腕実業家。出会うはずのない二人が、人生の最後に病院の一室で出会った。 家族のために自分の夢を犠牲にして働いてきたカーター、そして、お金だけは腐るほどあるものの見舞い客は秘書だけというエドワード。 お互いに人生の期限を言い渡されたという以外、共通点は何もない。 そんな二人を結びつけたのは、一枚のリスト――棺おけに入る前にやっておきたいことを書き出した “バケット(ル:棺おけ)・リスト”だった

かれら二人のバケットリストはこうだった

  • 壮厳な景色を見る
  • スカイダイビングをする
  • 万里の長城をバイクで走る
  • ピラミッドを見る
  • 香港に行く
  • ストーンヘンジを見る
  • ローマを見る
  • タージマハルに行く
  • 入れ墨を掘る
  • 泣くほど笑う
  • ライオン狩りをする
  • 世界一の美女にキスをする
  • 見ず知らずの人に親切にする
  • エベレスト登頂

ただの金持ちの贅沢と云う見方もありますが、実際の映画のエンディングでは
ネタばれ・・・
二人は死にます。
そして二人の遺灰が入ったナッツの缶がエベレストの頂上に、そっとしまわれました。

さて、私たち団塊年金シニアの棺桶リスト、と云うか
  • 「やりたいことリスト」
  • 「やり残したリスト」
  • 「行きたい所リスト」
はどうなんでしょう。

私たちは、この映画の一方の主人公のような大金持ちではありません。がしかし、古稀を迎えて2年目、 まだもう少し時間は残されています。(いるでしょうが正解かな?)
世界遺産は全て見てみたいと、現役時代からチャレンジしていましたが、資金的・体力的な問題と、 ユネスコの経営的戦略が見え隠れし、次々に新しい世界遺産を登録するので、もう十分。
ひと様の何倍もの、世界遺産、世界の絶景を見てきましたから。

今、当面の私の「行きたい所リスト」は、もう少し年齢的には厳しいかも知れませんが、「日本の桜百選」全部見る事です。
色々な日本の桜百選がありますが、私は、トリップアドバイザーの口コミによる百選にしました。 実際に行って見た人のコメントがあります。何よりも、この百選には、上野公園や、目黒川とか、横浜で云うと大岡川 等が入っていないのが、却って新鮮で信頼できると、判断したしだいです。

トリップアドバイザーが選ぶ日本の桜百選
1,姫路城
2,千鳥ヶ淵
3,新宿御苑
4,京都 東寺
5,夙川公園 西宮
6,兼六園
7,三春滝桜
8,仁和寺 京都
9,白石川堤一目千本 宮城
10,権現堂桜堤
11,長谷寺 奈良
12,善峯寺 京都
13,錦帯橋
14,さくらのやま公園 成田
15,熊本城
16,弘前城
17,新倉山浅間神社
18,松山城
19,吉野山 奈良
20,松本城
21,栗林公園 香川
22,山崎川四季の道 名古屋
23,退蔵院 京都
24,厳島神社 広島
25,三井寺 滋賀
26,高遠公園 長野
27,青野川 静岡
28,淀川河川公園背割堤地区 大坂
29,国営昭和記念公園 立川
30,彦根城
31,京都御苑
32,三千院 大原
33,実相寺 神代桜 山梨
34,松前公園 函館
35,原谷苑 京都
36,五稜郭 函館
37,万博記念公園 大坂
38,神戸市立王子動物園
39,海津大崎 琵琶湖
40,天龍寺 京都
41,伏見稲荷大社 京都
42,高台寺
43,千光寺(千光寺公園) 尾道
44,身延山久遠寺
45,竹田城跡
46,出雲大社
47,砧公園
48,宝塚 花のみち
49,ミホ ミュージアム 滋賀
50,三渓園

51,日光田母沢御用邸記念公園
52,上賀茂神社
53,清水寺
54,又兵衛桜 奈良
55,合戦場のしだれ桜 日光
56,大阪城公園
57,角館
58,はままつフラワーパーク
59,根岸森林公園
60,鶴山公園 (津山城)
61,鹽竈神社
62,犬山城
63,京都府立植物園
64,小石川後楽園
65,淡墨公園 岐阜
66,吉水神社 吉野
67,南禅寺
68,靖国神社
69,常盤平さくら通り 松戸
70,和田堀公園 杉並区
71,五条川 桜並木 愛知 岩倉市
72,桜が丘通り 函館
73,富岩運河環水公園 富山市
74,奈良公園
75,東京ミッドタウン
76,大学通り 国立
77,丸亀城
78,増上寺
79,哲学の道
80,展勝地 北上
81,龍安寺
82,都立小金井公園
83,北海道神宮 札幌
84,六義園
85,井の頭恩賜公園
86,中島公園 札幌
87,阪神競馬場 宝塚
88,石神井川緑道 板橋
89,八芳園
90,平安神宮
91,三ツ池公園 鶴見
92,皇居東御苑(旧江戸城本丸跡)>
93,北海道庁旧本庁舎
94,千波湖遊歩道 水戸
95,後楽園 岡山
96,なばなの里 桑名
96,毘沙門堂 京都
96,吉高の大桜 印西 千葉
96,丸岡城
100,池上本門寺

これらの桜百選のうち、春の季節、実際に桜を愛でたことのある場所や、桜の季節以外に 行ったことが有る場所も多数ありますので何とかクリアできるかもしれませんが、春の桜は一斉に 咲くので、時間との競争になるでしょう。
でも、当面の目標が出来ました。
カミサンは喜んでいます。
どうして・・・、暫く、私が死ぬ、死ぬ、我が家は短寿命家系と吹聴しないでしょうから。


4/28 喜多方 日中線跡枝垂れ桜並木再び 個人自由旅行の利点と短所は

先週、南東北7つの桜名所巡り団体パックツァーに参加し、喜多方の枝垂れ桜並木は、全く蕾で全滅、ノックアウト
会津鶴ヶ城も五分咲きの状態で、16年前に初参加した弘前、角館の桜団体旅行の時を思い出していました。
やはり、観光はお天気とタイミング、特に桜は毎年季節・気温によって違うのを思い知らされていたのですが、 ついつい、今年は阪急のあまりの安さに釣られて、ポチをしてしまい後悔してました。

2日の強行軍からの帰路、昨年に続いて、今年も喜多方の日中線跡枝垂れ桜並木の不調で、再度、今年のチャレンジ をしようと決めました。翌日から毎日ネットで、「喜多方 桜開花状況」「喜多方 天気」を検索し、乗換案内で 「大船」・「喜多方」のルートと料金を調べる一週間が続きました。
開花情報は徐々に進むのですが、なかなか満開になりません。
当初の予測だと、満開は26~28日、しかしお天気は徐々に崩れる方向ですし、少し良くなる27、28は、最悪の GW10連休に入ってしまいます。半分諦めかけていた22日の夕刻、喜多方観光協会のサイトを覗くと、ついに満開 の字踊っています。23日のお天気は快晴と云うのは解っていましたので、さっそく、翌日出かける旨をカミサンに 宣告しました。
当然カミサンの言葉は「バカじゃない」でした。

自宅から喜多方へのルート
起床04:45
大船05:37 東京上野ライン 06:51大宮
大宮07:06 新幹線自由席 08:20郡山
郡山08:29 磐越西線 09:40会津若松
会津若松09:53 磐越西線 10:20喜多方
乗換3回、所要時間 4時間43分、JR料金 8,530円
少しでも節約しようと、新幹線は東京ではなく、大宮にしました。
出かける時間と、郡山に停車する新幹線を考慮すると、東京で乗るのも、大宮で乗るのも、郡山からの 先の磐越西線は同じなのです。それなら安いほうが良いに決まってます。1,100円ほど安くなります。 往復、2,200円ですから、これは個人旅行としては大きい、無視出来ない金額です。

この時間帯の東海道線・新幹線やまびこは満員、座れません
大船から05:37の電車は東京駅まで座れませんでした。
昔は、平塚始発電車が多かったので座れる可能性はあつたのですが、今は、沼津・熱海・小田原などからの 始発電車が多くなり、大船では早朝の電車でも絶対に座れません。それは解ったいたのですが、大宮から乗り換えて 新幹線ホームに行ってびっくりです。
都内のターミナル駅同様の通勤客が列を造っています。
私が乗り換えた大宮発07:06、やまびこ203仙台行は、東海道新幹線で云うと、各駅停車の「こだま」と同じです。 10両編成のうち5両が自由席と云う編成ですが、大宮到着した列車はほぼ満席状態で、座れたのは列車のなかほど、 三列シートの真ん中でした。それでも座れず立っている人もみかけました。
大宮・小山・宇都宮・那須塩原・新白河を過ぎると、空き席が目立ち始めます。
現役のサラリーマンは、私たちの世代より厳しい時代を耐えているのだな・・が実感でした。

郡山からの磐越西線も満員、座れない
新幹線は郡山に08:20に着いて、磐越西線の電車は08:29ですから、新幹線から在来線乗換時間は9分しかないので、 予め駅の構内図をコピーし、一番近い車両に移動し、駆け足で磐越西線ホームに行くと、ほぼ満席状態です、 辛うじて、トイレ前の空き席に座れましたが、発車間際までどんどん乗客が乗ってきます。
観察すると、ほぼ全員がシニア層のおじさん・おばさん観光客のようです。皆さん私とおなじやまびこ203で 来たようです。

会津・喜多方間は東京のラッシュアワー状態
会津若松09:53乗換の磐越西線は2両編成ですし、時間的に会津観光客がちょうど喜多方を目指す良い時間帯 に当たるのでしょ、通勤客・通学客もいないのに、観光客でもっと混んできました。

撮影予定滞在時間が足りない
先週の団体パック観光で、写真・ビデオ撮影時間が満足いかなかったので、個人自由旅行ですから、たっぷりと 時間も決めずにと、当初は思ったのですが、磐越西線は1時間に一本しか有りませんし、今日中に鎌倉に戻る 日帰り旅行なので、一応、帰りの会津若松行きの列車を考慮して、滞在時間を2時間と決めました。
先週来ていますので、だいたい2時間も必要ないだろうと思っていたのが大間違いでした。 時間が大幅に足りない、焦りました。
団体パックと個人自由旅行の長所と短所
先週ツァーバスで来た時、さくらが咲いていませんでしたのか滞在時間は30分でした。
ツァーバスの駐車場は日中線枝垂れ桜並木3kmの中間点に近い場所でしたので歩い5分で桜並木へ出て、 そこから10分ほどで撮影名所のSL広場に着きます。
しかし、個人旅行の場合、JR喜多方駅から5~10分ほど歩いて、枝垂れ桜並木入口に到着します。そして絶対に 行かなくてはならない撮影スポット、枝垂れ桜のトンネルは、一番奥にあるのです。
それも大勢ののんびり歩くシニア観光客・我が物顔で撮影にはしゃいでいる中国人観光客の脇をかきわけ、すり抜け、 進まなくてはならないのと、蕾状態であった先週と違い、撮りたい被写体が目の前に沢山あるのですから。
かなり焦って、JR喜多方駅に戻る途中、道を間違えたことで、着いたのは会津行き電車の10分前で、この日は 気温が高く、大汗をかきました。

鶴ヶ城までバスで30分もかかるなんて予定外
今回の日帰り撮影旅行は、喜多方の枝垂れ桜がメインですが、折角往復20,000円かかって来ているのだし、 前回は3分、5分咲きだった桜と天守閣の絵も欲しい、カミサンから、福島のお土産定番「柏屋の薄皮饅頭」も頼まれて いるので、帰りは会津に寄ることにしました。
帰りの電車・新幹線の乗り継ぎを計算して、滞在時間は2時間10分にしました。
当然楽勝のハズが大間違いでした。
数年前、会津に2泊したことがあり、市内観光専用のバス2台が一時間に2本あるのは知っていました。 駅に着き、観光客周遊バスの「アカベエ」に乗って、鶴ヶ城を目指したのですが、ここで気が付きました。 この周遊バスは、時計回りの「アカベエ」と反時計廻りの「ハイカラさん」があるのです。私の乗った「アカベエ」 飯盛山方面から東山温泉を廻って、鶴ヶ城へ着きました。この間30分もかかってしまいました。
先週の団体パックの時は、この鶴ヶ城の大駐車場で降ろされて、集合時間まで1時間あったのですが、 今回、個人旅行の会津駅からの予定時間は、2時間10分、行き帰り1時間もかかつてしまう上に、帰りの郡山行に 乗る為には、鶴ヶ城での滞在時間は20分しかないのが判明しました。
カミサンから頼まれた「柏屋の薄皮饅頭」を買う時間もなく、数枚の静止画と動画を撮影して、バス停に向かいます。 運転手さんに駅とお城の間の時間を訪ねると、「アカベエ」も「ハイカラさん」も同じで30分、ちょうど中間点に あるのだそうです。急ぐのならタクシーで10分程度だそうですが、根っからの貧乏性、210円のバスを選択しました。

Post script
会津若松15:04の列車で郡山・大宮と乗り継いで、予定通り大船に18:47に到着しました。
帰りの新幹線は「つばさ146」で停車駅が宇都宮・大宮だけでしたら行よりも少し早かったです。大宮から の小田原行は大宮で乗った時には既に満席近く、池袋・新宿・渋谷・大崎とまわる湘南新宿ラインの夕刻の ラッシュアワー時間で、大船までつり革がもない満員状態でした。
朝、5時台の電車で通勤して、7時台の満員電車帰宅なんて・・・現役時代を思い出す1日でした。
でも、念願の、リベンジの「喜多方 日中線枝垂れ桜並木」の良い映像が撮れたんだから大満足の1日でした。 そして、団体パック旅行の利点・長所も、個人自由旅行の短所も、改めて実感した旅になりました。


喜多方の動画を見る

4/21 東北七つの桜名所を廻るツァー、三春滝桜、花見山と四つの日本名城百選

団体パック旅行と云うと、一日中バスのなかの時間が長く、さして興味も撮影意欲も湧かない場所に連れて行かれ、 大の大人が、添乗員の掲げる旗の元、ゾロゾロとついて行く、主催会社のバッチをつけた、少々くたびれた感じの 老人・中高年の集団と云うイメージが強く、
「あれは点と点を移動し、連れて行かれる、大人の遠足であって旅ではない」
と豪語していた私ですが、あまりの安さと、行きたかった目的地がぴったりと一致してしまい、ついついパソコン上 で「ポチ」とクリックしてしまいました。

白河小峰城 36名が降り立ったのは、新幹線JR新白川駅です。
この時期、阪急・クラプリの団体パック大手二社を迎えるバスは、新白河駅前にざっと見ただけで 10数台は見えました。
桜の名所、日本百名城の一つであることは、全くしりませんでした。
次の目的地三春の途中に程度と考えていませんでしたが、確かに名城です。
このお城が名城である由縁は、石垣の美しさです。
この日まで知りませんでしたが、2011年東日本大震災でこのお城の石垣が大きく崩れたのです。そう、あの熊本城と 同じなのです。そして、8年後の今年、私たちが訪れた翌週、4月21日修復完成披露がされると、ボランティアガイド の方のお話でした。
ここで培った城壁修復技術が現在、熊本で活かされているそうです。
今回のツァーでは、日本百名城を4つ見ましたが、最初に訪れたここが、桜と共に一番良かったです。

三春滝桜 現役時代、福島浜通りに点在する某メーカーの工場建設を担当して月に何度も、東北自動車道から、いわき、浪江、 に通っていた頃、三春町を通り「三春滝桜」の看板を目にしていましたが、その頃は仕事オンリーで、全く 興味がなかったのですが、退職し、海外ロングステイを卒業し、日本国内に切り替えてからは、いつかは行きたい、見たい リストに登録してから、やっと来れました。
いろいろ旅好きの友人に聞くと、個人レベルで行くには交通アクセス事情が悪いとか、何度か行ったが、 早すぎたり、遅すぎたり、天気が悪かったり、パーフェクトな状態の「三春滝桜」は見ていない、という話が 多かったのですが、今回、初めてですが、開花状況もお天気も奇跡的に完璧でした。
観光客でごった返しているとの情報がありました。
確かに駐車場には、何十台ものツァーバスが停まっていましたが、この阪急のツァーでの最大目玉なので 滞在時間は1時間以上とられており、ゆっくりと、この日本三大桜の撮影は満足いくものでした。

花見山公園 花見山公園は、旅行会社の桜ツァーパンフレツトで私が目にするようになったのは、ここ数年のことです。 聞いていた情報は、生け花用の花木を生産する花卉園芸農家の山で、所有する山に多くの花木を植えている のを、昔写真家の「秋山正太郎」がこの地を訪れ、「福島の桃源郷」と紹介したのが始まりのようです。 この山のオーナーが、この山を無料で一般公開してから、人気となり、毎年この季節全国からツァーバスが 集まるようになった地です。
花見山が人気になるにつれ、この地の花木を中心とする花卉園芸家たちも、全国から訪れる観光客の為に 周辺を整備し、各園芸農家の花木の庭を眺められるようにして、今日に至っています。
花見山は遠くから眺めると、吉野千本桜のように、様々なピンクの桜に彩られ、そこに桃や梅が 一斉に咲き誇る様は、まさに桃源郷と呼ばれる所以です。
桃源郷を撮ったサイトを紹介します。 美しい日本、この一枚

一日目
朝、東京駅7時45分の新幹線で新白河で下車し、福島県中通りの3ヶ所の桜名所を巡って、 この日の宿泊地、裏磐梯のホテルに入ったのは、夜でした。
二日目
朝、ホテルの外は昨夜の低気圧で雪景色に変わっていましたが、空は青空、この日は、福島の会津地方の 桜を巡り、山形まで足を延ばし、最後は再び福島中通りに戻って、最後は二本松霞城です。

会津若松鶴ヶ城 福島の気候は、太平洋側の浜通り、真ん中の中通り、阿武隈山地を超えた、会津に分かれます。
このツァーに出る前から、毎日、ネットで七つの桜名所の開花状況をチェツクしていまたが、ツァー二日目の 会津の桜は絶望視していました。
4月16日、実際に鶴ヶ城に入ると、ネットの情報、予想よりは咲いていましたが3分~5分咲きといった状況でした。 画像の手前の開花している桜は、染井吉野よりもかなり早咲きの「高遠小彼岸桜」です。
やはり、会津は同じ福島でも、浜通り、中通りと違ってかなり寒いのでしょう。

喜多方日中線枝垂れ桜 今回の桜ツァーで、「三春滝桜」の次に期待していたのが、喜多方の枝垂れ桜でした。実は昨年は弘前の桜と 一緒に廻る予定でしたが、弘前の桜に照準を絞っていたので4月26日、喜多方はすでに終わっていて 素通りしたのです。
今回の桜ツァーのチラシを見た時、昨年開花状況を思い出し、もしかすると「三春滝桜」と「喜多方の枝垂れ桜」 を同時に見れるかと、期待したのですが、4月16日、昨年よりも10日早いのですが、やはり無理でした。
ネットの情報どおり、蕾状態でした。
桜は難しい・・・
お天気が良く、満開の桜映像を撮るには、団体パック旅行は無理と云うことを改めて知らされた喜多方でした。

山形霞(が)城 山形霞城は、喜多方よりもかなり北にありますし、2週間前、銀山温泉の帰りに寄っていましたので、ここも 先ず、90%咲いていないだろうと、あきらめていたのですが・・・
ツァーガイドがバスの中から、山形霞城公園事務所に電話で問い合わせると、7分から1分満開と云うのです、 あの固い蕾だった桜が2週間で満開・・とは、半信半疑で行ってみると、会津若松鶴ヶ城とは大違い、お堀には 霞城の名に恥じず、満開の桜が映っています。
二週間前の3月28日、寒々としたお城が、4月16日、2週間後に桜満開とは。
もしかすると、東北の桜は、関東首都圏と違って、蕾から満開が早いのかもしれません。

二本松霞(かすみ)城 このツァー最後の桜の名所、二本松霞(かすみ)城に着いたのは、陽が傾き始めた5時半を廻っていました。 そして、今回の桜ツァーのお城のなかで唯一の山城なのです。
城郭全体が東を向きで、東に大手門があり、桜も大手門から沿って天守方面に植えられているので、せっかくの 霞のように大量が満開なのに、映像的には全く使い物になりませんでした。
6時を過ぎて、ぼんぼり提灯に灯りがはいり、何とか「絵」にはなりましたが、かなり残念でした。

Post script
16年ぶりの団体パックツァーでした。
帰りの新幹線は20時18分、新白川駅の待合室は、クラブツーリズムと阪急の団体客で溢れ、待合室の椅子の奪い合いの状態、 帰りの夜のお弁当を立ちながら食べる人までいます。
このツァーについてのお客様アンケート用紙が配られました。
添乗員の女性はとても気配りのきく方で満足でしたが、どう考えても、桜の開花時期の違う7か所を2日で 廻る、ツアー構成、日程に疑問があることと、やはり映像をやる人間には1ケ所の滞在時間が短い、 お城の撮影には、陽の向きを考慮した時間設定が必要だと、勝手なことを書いて提出しました。
やはり、桜を撮影するのが目的の人間は、団体パックツァーはダメなんだと、改めて実感しました。 でも、この安さは魅力なんですが・・・。

今週、再び会津と喜多方へ出かけます。リベンジです。
カミサンは呆れて行かないので、一人です。
交通費は新幹線と在来線往復、18,000円です。
団体ツァーが一泊2日4食、入場料、移動費込々で29,900円ですから、如何に個人自由旅行が高いかは 解りますが、もうこの先、何回桜を見れるか解らない年ごろですから、好きなことにお金を使おうと 考えを改めました。
そのうち、喜多方、日中線の素晴らしい枝垂れ桜の映像が撮りましたらUP致します。


4/14 年金・リタイヤシニアおひとり様が行く関東の桜幸手権現堂桜堤

現役中の桜の季節は、新年度事業がスタートしたり、新入社員が入って来たりして、桜は毎日の通勤電車の車窓から眺めるのと 週末の夜のお花見宴会ぐらいで、特別な感情はありませんでした。
退職して、自分の時間・空間をコントロールできるようになり、自分の撮った画像や動画が、簡単に個人レベルで世間に 公開できるネット・電子技術環境になってからは、被写体として絶好の素材と意識するようになりました。

桜はお天気の良い日、そして咲き具合。
定年退職後、春の桜の季節京都を中心に出かけました。
しかし、お天気と桜開花がドンピシャリと合うのは稀です。
吉野の桜を目指した時も、何回も宿をキャンセルしたものの、たった二日遅かったこともありました。
昨年は、関東も関西も、平年よりも開花が早く、琵琶湖湖畔は全て散っていました。
今年の関東の桜は変です。 東京都内都心の桜は平年よりも四日早かったのですが、私の住む湘南エリアは、平年通りまたは、平年よりも 若干遅めでした。
そして、私に残された春は後何回と意識しだした今年の目標の桜は、関東でも有数の人気地「桜幸手権現堂桜堤」です。
三月末から四月に入ると、毎日ネットで桜幸手権現堂桜の開花状況とお天気を見ていました。

私の理想とする日は
1,平日(土日は混み過ぎそうですから)
2,満開からニ三日後(一番絵になります)
3,お天気は、やはり青空にこしたことはないのですが
 上記条件を全てクリアしたのが4月9日(火)です。

幸手権現堂桜堤への行き方
湘南から埼玉県も栃木県境の幸手までは色々なルートがあります。
退職後年金ライフの鉄則、自分への「縛り」は 条件によつては変えていますが、原則「早い」よりは「安い」を選択、 世の中便利になり、目的地までのルート選びは色々な条件で検索できます。
湘南から幸手まで一番安いのは、徹底的にJRを使わずに私鉄にすると、最大で片道400円以上安くなります。
急ぐ旅でもないので、座ってゆっくり行ければ良いのですが、大船・横浜間のみJR、その後は東急東横線、 メトロ半蔵門線・東武日光線と乗り継ぐと、
 乗換えターミナール駅での混雑しそう・・・
 長時間座れないかもしれない・・・
 都内は地下鉄のみで外が見れない・・・
結局、大船・上野・北千住までJR、後は東武の急行で幸手に着きました。
交通費は片道1,433円也、
幸手駅から、権現堂桜堤まではバス便もありますが、一時間に一本ですし、距離は2Kmですから、私の定年後の歩ける距離メーターから いくと、楽勝の距離なので、躊躇なく歩きます。
幸手駅から幸手権現堂桜堤へは、昔の「日光街道」です。
観光協会のマップはとても見やすく、全く迷わずに25分で到着しました。

4月9日(火)平日 結構の人出です。
観光協会の方のお話では、先週の土日6,7がピークだったそうで、日光街道の歩道は、さくら観光客で溢れていたそうです。
昨日は雨でした。
この日は幸手祭りの最終日で、この日の夜から屋台・夜店の撤収にかかるそうです。
ここまでは、外国人観光客は来ていないだろうと思っていましたが、来ています。
中国・台湾系、或いは韓国系のアジア人なので、それほど解りませんが、はっきりと解る瞬間は、カメラの前に立った時のポーズです。
文字通り記念写真、来た証拠写真が欲しいのです。
何の為、インスタ、フェーブックでUPして、自慢・誇示したからなんでしょう。
日本人カップルの写真は、二人の思い出の共有のためです。

シニア男性お一人様の姿
他の桜観光地では少なく、この幸手権現堂桜堤で多く見かけたのは、シニア男性一人旅です。
桜見物と云えば、多くはカップル、グループが多いのですが、ここ関東のさくらベスト10上位にランクされている名所では 大型一眼レフカメラや、高級機種ビデオカメラ、三脚を抱えたシニア男性が目立ちます。
皆さんお一人様です。
今回の私も、年金・リタイヤシニアおひとり様です。
元もと、今年はカミサンと一緒にこの桜名所「幸手権現堂桜堤」に来る予定でしたが、開花状況とお天気の判断で4月9日と決めた のですが、カミサンはこの日、お友達鎌倉婦人との食事会の予定が入っていました。
夫と栃木・埼玉県境の桜名所に2時間半かけて行くか?、お友達との食事会へ行くか? 迷うはずはありません。
私も、じっくりと撮影したいので、「あっそうね楽しんだね、僕は一人で行くから」。

幸手権現堂桜堤は思っていたよりも良かったです。
何よりも、桜の手前の菜の花畑が、他の都内公園にはない借景があるからです。
でも・・・写真クラブの例会写真には向きません。
あまりにも絵画的であり過ぎ、どこを撮っても「何処かで見た写真」になつてしまいます。 動画ならまだ、写真と違って編集によってオリジナリティがだせるかもしれません。

自宅から2.5時間かけて、最寄駅に着き、歩いて30分で目的地
目的地滞在時間、90分で再び最寄り駅まで30分歩き
帰りも自宅まで2.5時間の予定が、東武線の架線トラブルで車内に30分缶詰がありました。

朝8時半に家を出て、帰宅は午後の4時半 カミサンはお昼のランチ食事会なのにまだ帰宅していませんでした。
交通費往復3,000円、お昼ご飯は北千住駅ターミナル内の「てんや」天丼がいつの間にか540円に値上がりしていました。
カミサンのランチは幾らだったのだろうか・・・
さて、これで都内・関東の桜は終わりました。
来週、月曜日から、南東北の桜ツァーに乗ってでかけます。
10数年ぶりの団体パックツァーに参加します。
南東北の桜の名所7か所を1泊2日ですから、公共交通機関だけでは無理なのです。
ネット情報では平年よりも6日遅れの開花予測・・・。
ツァーだから、花が咲いてなくても行くなくちぁ・・・。


4/11 団塊世代の終活、東京都内の桜を見に行く

団塊世代の私たちは、古稀を過ぎた頃から後何回桜をみれるだろうかと考えるようになりました。
今年二月71才になり、終活として、今後の自分の残された人生のなかで、何処の桜を見に行くかのスケジュールを 造り始めました。

■ 日本の桜百選全てを見たい。

55才での退職直後、初めての団体ツァーで青森の桜を見に行って、半分は見れませんでした。
確かに、南北に長い日本列島、桜の咲く時期は異なりますが、「潔い」と云う言葉で表すように、桜の開花から散る時期 は短く、最良の桜見物のタイミングは難しいことを、このツァーで、今後の退職後の人生では、桜見物は、多少お金はかかっても 個人・自由旅行でなくては悟るようになりました。

今年の東京の桜開花宣言は3月21日で、ニュース報道によると平年よりも4日早いとのこと。
去年も早かったです。
滋賀県琵琶湖湖畔海津と長浜の桜を予定して、過去の満開時を調べると、京都市内よりも1週間か 10日遅いことが判明し、4月10日に出かけたのですが、既に葉桜の状態でした。

東京の靖国神社の標本木の開花宣言の後、毎日、東京の桜の名所の「上野公園」の桜開花状況がTVニュースで報道 されているのを見て、私の住む鎌倉との違いを毎日実感していました。
私が住む鎌倉は、関東南部でも比較的温暖、暖かい地域として知られています。
私の家の前に児童公園があり何本もの桜が植わっています。
毎日の上野公園の桜のニュースが流れているのに、自室の窓越しに見る公園の桜はまだ蕾がやっと膨らみ、色づいて いるような状況なのです。

開花宣言から10日経ち、TVニュースでは、満開の桜のしたでの宴会映像が流れているのに、我が家の周辺は3分咲きの 状態でした。
この時期ちょうど季節外れの寒波、東北、信越、上越では雪模様の天気が続いたのが影響したいたのでしょう、が、 東京都心の桜は、日本全国でも別格の早さなのです。
つまり、東京は都心の発する熱で、同じ関東でも緑の山々、丘陵、海に囲まれた鎌倉よりもかなり早いのです。

特に2019年、3月の平均気温が高かった今年の桜撮影の目標は 東京都内桜の名所トップ20から、今までこの季節に行ったことがない場所から選びました。
1,目黒川
撮影済み
2,新宿御苑
行ったことがあるが、桜は未だ
3,千鳥ヶ淵
撮影済み
4,上野公園
撮影済み
5,六義園
撮影済み
6,代々木公園
行ったことがあるが、桜は未だ
7,昭和記念公園(立川)
行ったことがあるが、桜は未だ
8,靖国神社
撮影済み
9,飛鳥山公園
撮影済み
10,六本木ヒルズ・桜坂
撮影済み
11,砧公園
行ったことがあるが、桜は未だ
12,東京ミッドタウン
撮影済み
13,小金井公園
×行ったことはなし
14,井の頭公園
撮影済み
15,明治神宮外苑
撮影済み
16,高尾山
行ったことがあるが、桜は未だ
17,石神井川桜並木
×行ったことはなし
18,播磨坂桜並木
撮影済み
19,アークヒルズ
撮影済み
20,国立市桜通り
行ったことがあるが、桜は未だ

都内25年間、仕事をしていましたから、20の名所のうち、行った事もないのは2か所だけです。
後の場所は、一度行ってます。
今回、お天気が良く、満開で、交通の便良い所を半日でも廻れ、撮影する場所として ランキング2位の新宿御苑と、11位の砧公園に行くことにしました。

■ 世田谷砧公園の桜

場所は、環八から東名の入口の直ぐ脇にある、世田谷区の広大な公園です。
最寄り駅は、東急田園都市線の用賀。
用賀は昔、南米から帰ってきた一時期住んでいた場所で40数年ぶりです。
用賀駅は東急グループの拠点駅ビルとなり、大きく変貌し、昔通った銭湯のある商店街の面影はありませんでした。
用賀駅から徒歩10数分の砧公園の桜は、広大の芝生の中にある巨木で、樹齢100年近いのに、手入れが良いのでしょう 枝ぶりにも勢いがあります。
場所が、都心から外れているせいか、外国人観光客の姿は少なく、ほとんどが世田谷、或いは田園都市線沿線に住む、 ファミリー層で、ピーカンの青空の元、広大な芝生で、巨木の満開の桜を楽しんでいました。

■ 新宿御苑の桜

新宿は高層ビル・東京都庁などの仕事上の拠点事務所があった為、地元感覚で知っています。
特に、新宿御苑は昭和天皇崩御の際の、平民で云うお葬式が行われた場所で、この仮設工事を担当した経験があるので 良く知っていますが、特別桜の季節に来たことはありませんでした。
用賀から田園都市線・半蔵門線・丸の内線と乗り継いで、御苑の新宿門にどり着いて、びっくりです。
入口に長蛇の列、入口の手荷物検査、入場券売窓口まで15~20分と云う表示がありました。
並んでいるのは、外国人観光客が目立ちます。
私たちは、この長蛇の列をパスして、大木戸門へ廻ると行列は全くありませんでした。
新宿御苑も広大な芝生のなかに、樹齢を重ねた巨木が見事に青空、背景にはニューヨークの摩天楼を思わせるNTTドコモビル を従えて満開の桜を楽しむ人々でいっぱいでした。

今年の東京都内の桜は今週で終わるでしょう。
しかし、今年の桜行脚は続きます。
今週のお天気の良い日を狙って、かねてからの計画どおり、「幸手権現堂桜堤」を行ってきました。 今週中に記事をUPします。
来週は、南東北福島県の「三春滝桜」「会津城」「喜多方日中線枝垂れ桜」を予定していますが、まだまだ早すぎるようです。
でも、団塊世代に残された年月はそう多くはありません。
失敗でも、何回もトライするしかないのです。
行ってきます。


4/7 年金シニアの格安温泉旅行 初めての山形の旅 銀山温泉

山形のかなり辺鄙な雪深い温泉地、銀山温泉を知ったのはかなり前のこと、ちょうど早期退職した 2003年、銀山温泉の老舗旅館「藤屋」の和服を着こなした外国人美人金髪女将さんジニーさんを起用したTVCMでした。
ジニーさんは女将業と子育てに加え、華道、茶道など日本の伝統文化を身につけた“大和撫子”として登場。 「ニッポン人には、日本が足りない」というCMコピーとともに、 日本人以上に日本文化や習慣を理解する米国人として有名になり、同時に銀山温泉を全国区にしました。

このおかみさんは二人の子供を連れて帰国、その後現在に至るまで帰ってきていません。
もう一つ、銀山を有名にしているのが、かの超有名NHK朝ドラ「おしん」の奉公先モデル撮影地として、 ここ銀山温泉が使われたということです。
確かに、雪に覆われた山形最上川の小舟での今でも心に残る別れのシーンと、3月末だと云うのに雪に 覆われた銀山温泉街のノスタルジックな大正ロマンかおる佇まいは、あのドラマとマッチしています。

銀山温泉の一人勝ち神話
山形には、今回私たちが泊まった「天童温泉」の他に名の通った温泉地は沢山あります。
温泉専門サイトで推奨する山形の有名どころは

  • 大正レトロな町並みが人気「銀山温泉」
  • 強酸性の湯「蔵王温泉」
  • 日本海側を代表する鶴岡、「あつみ温泉」
  • 傷が癒える湯!?「肘折温泉」(大蔵村)
  • 情緒あふれる温泉城下町「かみのやま温泉」
  • 共同浴場の豊富な「赤湯温泉」

交通アクセスが悪いのに何故
銀山温泉の最寄り駅は、奥羽線「大石田」駅です。
山形新幹線停車駅ですが、13時台に2本の他、その他の時間帯は1時間に1本、山形からの各駅停車も 1時間に一本です。新幹線と云っても狭軌在来線の単線を走るのですれ違い時間が多く、新幹線では 山形から30分、各駅ですと約1時間かかります。
そして、大石田からのバス便は1日5便のみとなります。
はながさバス参照

銀山温泉は一時、おしんと外国人おかみで、他の温泉街よりもアクセス環境が悪いのに活況を博したのですが 2011東日本大震災で観光客の落ち込みが激しく、ピーク時の半分ほどになったのですが、復活したのは、 まさにインバウンド、外国人観光客のせいと、温泉街あげての改革でした。
一つには、街並みを古いノスタルジックジャパンに統一し、外国人向けサイトを充実させ、海外のTV、 映画ロケを積極的に誘致して、古き良き日本の温泉地をアピールしました。
そして、SNSの効果も大きく、Instagramで「#銀山温泉」とハッシュタグを付けて画像を付けた書き込みは、 1月24日時点で3万3000件超。多くの人が雪のちらつく夜の銀山温泉を撮影して投稿している。
「#ginzanonsen」も約4000件ほどの投稿があり、「国内外の方が情報発信をしている。 銀山温泉で検索をした方が十分に魅力を感じることができ、 実際現地に訪れていただくことにつながっている」(商工観光課)のだといます。

もう一つの理由は
団体客よりも個人客にターゲットをしぼったこと。
私たちが銀山温泉に着いたのは一番のバスで入った10時半から帰りのバス13時25分の3時間ですから、 温泉街には、団体宿泊旅行客は全くいませんでした。
そもそも、銀山温泉には団体客用の大型宿泊部屋があるホテルは、入口に一つあるだけです。 銀山温泉組合は、最初から個人客をターゲットにしているのです。 それ故に、銀山温泉に行きたいが、高い、予約がし難いとの印象が広がっているのを、温泉街の人達は 憂いていました。

温泉街じたいに見るところは少ない
観光的には、温泉街の一番奥にある「白銀の滝」のみです。
銀山温泉の最大の売りは、レトロな東北の温泉街の佇みと、雪と、ガス灯に照らし出される夜景なのです。
私たちの行った3月27日の銀山温泉はときおり、小雪が舞い寒い日で、温度計は3度でした。
温泉街を端から端まで歩いて、滝を見て、お土産物屋さんを覗いても帰りのバスまで、3時間はつぶせません。 そこで、事前にしらべておいた、日帰り湯で一番評判のよかった、「瀧見館」でお風呂に入り帰りの時間まで ゆつくりとすることにしました。
※銀山温泉には、温泉組合経営の著名建築家「隈研吾」氏設計の共同浴場「しろがねの湯」があるのですが、 この日は水曜日で休館日でした。
わりと閑散としたイメージの温泉街だったのは、水曜日でお休みのところが多かったかもしれません。 でも、温泉街のお店、旅館に定休日があるんですね。

温泉街の各旅館の半数ほどは、日帰り入浴をやっています。
時間帯は、宿泊客が帰った後11時から、この日の新規客チェツインの3時までが一般的のようです。 入浴料は600円、フェースタオルは300円販売、バスタオルは200円レンタルでした。
日帰り入浴のほとんどは、若い世代のカップル、グループのようで、有名温泉場で良く見かけるオバサンシニア グループは全くいませんでした。

それでも時間は余ってしまいます。
露天風呂に入って滝をじっくりと眺めても、30分も入っていることは出来ません。 この瀧見館では、日帰り入浴客専用のちょつと横になって寛げる場所は特別提供していませんので、ロビー にいるしかありません。バスの出る1時間前にバス停にいきましたが、外は寒く、近くに公衆トイレはないので 、バス停そばの銀山温泉で一番大きいホテル「銀山荘」に行き、トイレを借りることにしました。
ロビーは暖かく、カミサンの大好きなお土産も沢山あります。
フロントスタッフはとても親切で、「バスがくるまでここでゆっくりして下さい。 無料のコーヒーサーバーもどうぞ自由にお使い下さい。」・・・と云ってくれます。
マネジャーは「私たちは皆さんのようなシニア個人客を大切にしています。次に銀山温泉に来るときは 是非、泊まって、美しい夕景を撮影して下さい。」とおっしゃって下さいました。
次に来る機会は解りませんが、ネツト、SNSでこの銀山荘の対応の良さはしっかりと書いておきます、とお礼 申し上げました。
銀山温泉・銀山荘さん、寒いなか、本当にありがとうございました。
但し、高級すぎて私たちは泊まれないかも(一泊2食付き二人で38,000円、但しネット上の言い値ですが)
居心地の良い銀山荘でのんびりし過ぎたのか、帰りのバス停は長蛇の列で満員。大井田まで40分立って帰える ことになりました。まあ個人自由旅行にはよくあるケースです。


3/31 年金シニアの格安温泉旅行 初めての山形の旅 季節外れの山寺へ

海外旅行を卒業した65才以降、基本的には、毎月一度2泊3日の国内旅行をしています。
自由に動いて、映像撮影をしたいので、団体パック旅行は原則敬遠し、大手旅行代理店の宿と足、 ホテル&トレインorフライトパックを利用しています。
二月の下呂温泉に続いて、今回の場合、阪急交通社の温泉バックです。

天童温泉Aクラスホテル2泊と東京・山形間の新幹線指定席往復が含まれて、一人30,000円です。
東京・山形間の新幹線料金は、個人ノーマルで買うと、往復22,000円。
天童の温泉旅館のこの時期の一泊二食料金は およそ13,000円が一般的ですから、このプランですと正規料金は48,000円で、36%引きの値段となります。
この3月末、桜には早く、雪も花もお祭りもない季節の山形ですから、ホテルもJRもかなり割引商品をだしています。
36%割引には条件があります。 行き・帰りの列車の指定は出来ません。

いつもの阪急のパターンですと、「ゆっくり出発・早めのお帰り」でJRの一番空いている時間帯を安く仕入れているようです。
今回の旅では、東京駅発10時、山形着12時44分、帰りも同じく山形発13時、東京着15時48分ですから、 1日目、3日目は移動日となり 2泊3日と云っても、実質観光として動けるのは、中日だけとなります。
今回は、山形に13時に到着、帰りも山形発13時ですから、上手く自分でスケジュールを組めばこの中途半端な時間を 使えますので、3月末の予定のない3日間、一人3万、二人で6万、現地移動・観光費、 お昼代とカミサンの旅行目的の一つ お土産代を入れて総予算80,000円で組みました。

1日目 山寺へ
山形ミニ新幹線は12時44分山形着で12:56分発の仙山線に間に合うので、1日目の後半は予ねてから行きたかった山寺に 行くことにしました。
お天気は曇り時々晴れ。
JR仙山線山寺駅は、日本の駅百選に選らばれています。
和風の趣のある駅舎は、この日も若い鉄道ファンが沢山写真を撮っていました。
駅から山寺への参道は思っていたよりもこじんまりとしていました。
善光寺の仲見世で育った私は、この人気の名刹立石寺も、大都市の同じような大観光地としての お土産・仲見世街を想像してしたのですが、 季節なのでしょうか、あの買いまくる団体オバサンシニアも少なく、ましてやアジア系の観光客の姿 もありませんでした。

お寺参りではなく、半分登山の雰囲気
大規模なお寺さんは"山"全体がお寺の敷地、聖地となっています。
高野山も比叡山も、奈良の吉野も、私の地元鎌倉でも、建長寺・円覚寺などは大きな敷地とともに"山"となっています。
この立石寺が別名「山寺」と呼ばれるのは、まさに切り立った岩山に、寺院が建てられているからなのでしょう。
山寺のパンフレットには山門から奥の院1,050段と書かれています。
それもかなり金毘羅さんのような幅広の階段と違って 急峻な狭い階段ですから、シニアにはかなりきつい登りとなります。

パンフレットには、山門から奥の院まで往復時間の目安として、1時間から1時間30分と書かれていました。
仙山線は、一時間に一本ですから、駅からの距離・時間を考えて登らないと、帰りの列車待ちが一時間となる可能性が 大きいのと、ゆっくりと休むようなしゃれたカフェテラスもないので、自由、列車派の旅人は注意が必要です。
私たちは、この山寺で2時間半過ごしました。
撮り鉄ファンのとしては、このゆったりと時間の流れる山寺の鉄橋を渡る、仙山線の列車を往復撮れるチャンスが 十分にあったので満足しています。

初めてのミニ新幹線、山形新幹線で今回の宿 天童へ
新幹線と云っても、在来線り上を走るミニ新幹線ですから、福島からは全くスピードがあがりません。
奥羽本線に入ると、単線ですから新幹線なのに、在来線電車の行き違い待ち時間が結構あります。
軌道幅がちがう、新幹線と在来線車両、構造的にどうなってるのでしょう。
線路をみましたが、二本しかありません。
ネットで調べてもあまり良く解りませんでした。

天童温泉
天童駅から温泉街へは徒歩12分、歩道にはいくつもの詰将棋が埋め込まれていて、流石は将棋の駒生産量日本一の 町です。
この時期、まだ寒く、何にもありません。
天童温泉が一番賑わうのは、桜の季節人間将棋が行われる4月半ばだそうです。
でもこの季節、2泊3日新幹線込み一人30,000円は到底無理でしょうね。


3/24 退職後の老後の住まいについて考える

3・11東日本大震災の8年目の記事を読んでいて、私たち団塊世代の退職後、老後の住環境と同じだなのだ と思いました。
「新しくできた災害公営住宅に住む人が人が増えて来た。 高層の集合住宅は、人間関係を希薄にしているようで”仮設のほうが人間らしい暮らしだった”」との声が多い

私の住む鎌倉周辺でも、どんどんと夫婦二人だけ、或いは伴侶を亡くして一人暮らしの家庭が増えている。
しかも、それがいわゆる「閑静な高級住宅街」に多く見受けられるのです。
70~80年代、鎌倉周辺では大手不動産でデペロッパーによる大規模な住宅地建設が進められた。
何れも最寄ターミナルからバスで20分程度の郊外の丘、山に建てられた、敷地が60坪以上の「○○台」と名付けられた、 戸建て住宅街です。
購入した住民のほとんどは、東京に職場を持つ大手企業に勤めるホワイトカラーの人達です。
30代から40代で、憧れの鎌倉周辺の閑静な住宅街を手に入れ、毎朝、専業主婦が運転するマイカーで駅まで 送ってもらい、帰りは駅からタクシーで帰るような生活を定年まで続けてきました。

やがて、60才、定年退職するころ、子供たちは成長して、この鎌倉郊外の閑静な・・何もない、買い物・交通の便 の悪い土地を嫌い、出て行きました。
同じ時期に入居、同じような収入レベル、同じ学歴、同じ年代層の人達が住む「○○台」には、偏った世代層の人々のみ が住む、子供たちの声もない、まさしく静かな住宅街となっているのです。

夫がなくなったら、ここを売り払って駅近くのマンションに住もうと思っていた主婦が多かったのですが、いざ 売ろうと思っても、なかなか買い手が現れません。
このような「○○台」では、住民の自分たちの町の環境を守ろうと、入居数年後に自主協定を造ったところが多くあります。

  • 塀は生垣以外は造らない、ブロック塀は禁止
  • 土地を売る時に分割・分筆をしてはいけない
  • 自宅土地にアパートを造ってはいけない
  • 物販、商店を造るには、全住民の合意が必要
 などなど多岐に亘っているようです。
これが障害となったり、或いは敷地が広すぎて、今の若い世帯では手の届かない価格となり売れない状態です。

最初から戸建てを敬遠して高層集合住宅に入っていた私たちの場合は
高層の集合住宅は、人間関係が希薄・・・はまさにそのとうりです。
私たち夫婦は、80年代横浜市内の新駅駅前開発の第一号棟を購入、入居しました。
駅から歩いて3分、85平米、当時横浜市内で平均価格が一番高いマンションでした。
両面バルコニーですから、共通廊下はなく、向かい合わせの2戸で一つのエレベーターの縦長屋的な構造です。
エレベーターを共有している前のお宅とは、偶然にドアを開けた時にしか顔を合せない構造ですから、21年間住んでいて、 前のお宅のご主人とお話したことは一度もありませんでした。
子供でもいれば、或いはカミサンが専業主婦で1日中在宅でもしていれば、接触する機会も多かったのでしょうが。
ご近所付き合いは全くゼロでした。
入居当初、近所にお店は一軒もなく、スーパーは隣の駅まで行くしかなく、当時コンビニはありませんでした。

確かに駅前マンションは便利です。
しかしそれは通勤・通学に便利であって、毎日が日曜日の定年退職者にとっては、20年以上 住み慣れたとはいえ、隣の部屋の住民の顔も知らない環境や、窓から見える風景は、その後20年間に建てられた高層マンション群 や、駅に向かう通勤の人々の姿、バス、車の車列です。
却って、退職直後の暇な60代の男性はストレス、焦りを感じることは間違いない・・・と退職1年目に売り払い、老後の生活に最適な 場所を目指しました。

老後の住まいの条件は。
1,退職後10年は、頻繁に海外へ行くので、成田空港へ乗換不要な横須賀線沿線。
2,駅前は不可、徒歩10分以内の5階までの中規模マンション。
3,地域環境は第二種中高層住居専用地域。
4,近くに大規模公園、或いは緑地のあるところ。
5,予算は、現住まいを売却してプラス1,000万以内。
6,買い物に便利な(大型スーパー・コンビニ)が徒歩圏内
7,地域基幹大病院が徒歩圏内

一年間さがし歩き、決定したのが、今住んでいる場所です。
適当に便利、適当に静か、廻りには戸建ても多く、小学校、幼稚園、有名進学校もあり、家の前は春は桜が咲く 児童公園で、毎日子供の声が聞こえ、朝はラジオ体操、夕方は愛犬を連れて散歩するご近所さんの姿、 20年間住んでいても、自宅周辺の道路でご挨拶することまなかったのが、ここでは、名前は知りませんが、 顔見知りのご近所さんと、ご挨拶するようになりました。
現在の共同住宅の住民は、初めて自宅を購入する若い世代だった為、子供は多く、今働き盛りの管理組合活動は活発です。

誤算・予定外だったのは
予算オーバーしました。
16年前売り出した駅前マンションは、まさにバブル後の底値の時でした。
ちょうど私の住む棟では、転売も目的でバブル高値で購入した投資物件が破綻し、競売物件が続出した時期で、その値段 に引きずられ、今の物件購入の際プラス1,000万の予算をオーバーし、引っ越し・新居調度類をいれると、プラス1,500万の 超過となり、退職計画予定資金からの出費となりました。

でも、今のところこれで良かったと思っています。
高層の集合住宅は、人間関係を希薄にする、は本当です。
特に、新しい、知らない土地での老後年金シニアの生活は、なかなか地域社会に結び付きません。
積極的に、自分から出向かないと新しい展開は望めません。
退職後に、住環境を変える・・・は、ある程度の下準備、調査、そして資金が必要なのは言うまでもありません。


3/17 月に一度、横浜の日の出町、黄金町、福富町界隈に行く理由

首都圏、横浜地区にお住まいの男性の方はこの住所の意味することはご存知だと思います。
そして、定年退職した団塊世代のおっさん、まだそんなに元気なの?思うかもしれません。
この「日の出町、黄金町、福富町界隈」とは、都内ですと、新宿歌舞伎町や千束が相当する、地域です。
退職して15年になりますが、月に一度出かけています。
一つは、関内駅近くに事務所を構えるNGOのサポートの他に・・・
・・・後から書きますが、若い頃のような理由ではありません。

現役当時、仕事は建設業、それも大型現場の監督ですから仕事柄、職人さんの会社との付き合いが毎週のように あります。
懇親会やら技術講習会やら安全講習やら何かと理由をつけて、一つのプロジェクトを最後までみんなで力を 併せて竣工のまで事故なくやりましょう。的ないわゆる親睦・飲み会・憂さ晴らし会、ガス抜き会 で、二次会から先、若い、元気な有志 に誘われて、嫌々ながら?一緒に行き、汗を流し、タクシークーポン券で帰るような、特殊な風俗指定地域です。
地域にも格がありまして、関内から近い伊勢佐木町から遠くなるほど格がさがり、黄金町は、黒澤映画「天国と地獄」で 場末のモデルとなった場所、10年前はかなり、外国人で荒れていた場所でした。
私が月に一度行く場所は中間の日の出町です。
誤解を招かないように書きますが、仕事の為です。
ご存知かと思いますが、風俗業界が一番ネット化、web化、スマホ化をいち早く取り入れた業界なのです。
気軽に、家庭、事務所の電話では話しづらい内容を、携帯、パソコン、スマホで出来るようにしたのが、この業界です。

退職直後、専門学校に入り直して、web言語、プログラムを学びました。
専門学校で一緒に机を並べていたのは、超若い世代ばかり、そのなかで30代後半の若者が一番年が近く、何かと 出来ない50代のおっさんの面倒を見てくれました。
彼は、元のweb会社を退職し、失業手当を早くもらうために受講しているだけで、講座の内容は全く必要なかったのです。
卒業と同時に新しいweb会社に勤めました。
その会社の主な客先が、横浜の風俗業界だったのです。

卒業して1年後、彼は勤めていた会社から独立した時に、会う機会がありました。 仕事の内容を聞いて見ると、横浜の風俗店を専門にやっているようで、その中に、知っているお店がありました。
そんな、話をしてから数か月後、そのお店のページを手伝ってもらいたいと云う連絡がありました。
彼が仕事でそのお店で雑談のなかで、私が現役時代よく接待で使ったと云う話をすると、店長が覚えていたそうで 懐かしいので一度一緒にきてくれと・・・という話になり、その後忙しい友人からその店のメンテ、書換を月に一度 頼まれるようになりました。
通常、ホームページの書き換え、メンテはオンラインで済ませるのですが、このお店の店長とは、昔ながら戦友的な 意味合いもあり、月に一度、お掃除のおばさんたちと交じって、午前中の数時間お店の事務所でやっています。

ああいったお店には、待合室や入口にカメラがあります。
仕事をしながら見ていると、もう平日の午前中はお客さんは、圧倒的にシニア男性ばかりです。
どうみても私よりも年上のおじいさん、店長に聞くともう20年近く通っているとでか、脳梗塞の後遺症で歩きづらい男性も いますし、車椅子の若者、介護施設の送迎車でくる身障者の姿見ています。
ここの女性たちは、天使の如く、優しく接してくれているのを私は良く知っています。

もうしばらく、少なくともあと数年は、このお店の裏から、シニア男性を眺め続けることでしょう。


3/10 アカデミー賞作品賞受賞の映画「グリーンブック」をみてきました

雨の日曜日は、映画日和です。
退職して湘南に越してきて数年後、私の最寄り駅から二駅目の駅前に、湘南一の規模の大ショッピングモールができ、そこに 10スクリーン 計2,000席の大シネコンが出来ました。
数年後には私は、立派な高齢者に達し、何時でも1,000円が見れることなり、最寄り駅からJR往復でも400円以下、併せて1,500円で 予定のない暇な午前の数時間を、大スクリーン、ゆったりとした椅子で過ごすことが出来ます。

映画が終わると、ちょうどお昼時、3階フロアーの大きな部分を占めるフードコートで一人、普段カロリーを気にして食べないようなもの を食べています。
月に一度、このようなショッピングモールに来ることは、普段自分の住む閑静な住宅街と、ボランティアサポートの拠点と鎌倉・大船 駅周辺で過ごしていると、全く違った世代層と人々を目にし、すれ違います。
普段の生活で接するのは、平日昼間でお見掛けするご近所のシニア層と、NPOセンターでお会いする、環境・教育・子育て・ゴミ問題 ・生涯教育・外国人支援・国際協力・地方自治・消費者・地域安全等々・・・の市民活動に携わる比較的、社会意識の高い、年齢的に も私と近い方々ばかりです。

ですから、月に数度このような大ショッピングモールで、全く接触・接点のない世代層の姿を見るだけでも、勉強になります。 数多くのショップにカラフルな色、デザインの商品が溢れています。
普段目にしている、商店街には置かれていないようなものばかりです。
でも、欲しいもの、必要なものはありませんが、カミサンたちが云う、ウインドーショッピング、目の肥やし、息抜きは、シニアのおじさんに も必要なのです。

さて本題の映画「グリーンブック」とは。
本年度のハリウッドアカデミー賞作品賞受賞作品で、宣伝も良かったのか、229席のシアターは日曜日の10:30開演で満席でした。
題名の「グリーンブック」とは、アメリカで公民権法が施行される前の1960年代、カラードが南部を旅行する際に、泊まれるホテル 入れるレストラン等を紹介した旅行ガイドブックです。
カラードとは、黒人だけではありません、日本人を含むアジア人も含まれていました。
この当時、大統領がJFケネディの時代、私の中学校の女子同級生はアメリカに一年間留学していて、やはり、ディーブサウスでは、いろいろ 差別扱いがあったそうです。
そしてそれは南部だけではなく、比較的開放的な西海岸でも感じていたそうです。
週末になると、同級生の家に招待されることが多く、必ず着物を着てくれと頼まれたそうです。
何度か、そんな経験をして彼女は、東洋からの珍しい見世物と感じるようになって、行かなくなったそうです。
別に1960,70年代でなくとも、21世紀に入っても私たち夫婦は中米を旅行している際、カミサンはアジア人をからかう差別的な言葉をしょっちゅう 浴びていました。
かれらは、昔の一時期、日本人男性が日本に水商売で出稼ぎに来てる、フィリッピン、タイ女性に対してと 同じような視線、言葉を投げかけてくるのです。
そのほとんどは、社会の底辺で暮らす教育環境にない、社会の低下層労働者なのですが。
しかし、この映画舞台、デーブサウスでは1960年代初頭、北部アメリカの白人は、黒人の本当の姿を知らない、人権を 訴える気取ったヤンキーと思われていたのです。

グリーンブックの粗筋
ニューヨークで天才的なピアニストと評価の高い黒人男性は南部へ3週間の予定で車でコンサートにでます。
その運転手兼ボディガードを募集したところ、ニューヨーク下町ブルックリン生まれ、育ちのイタリア移民の、キャバレーでボデーガードをしている 男性が現れます。
店が改修工事で2ケ月閉まるので、応募してきたのですが、客が黒人と解り、一度は拒否するのですが、高給に誘われて 一緒に南部へ旅立つお話です。
ここまで、ネットの予告編を見て、だいたいのストーリーの流れや、云いたい事、エンディングまでが想像ができました。
そして、見終わって、全く私が予想していたようなストーリー、内容だったのです。
でも、まあまあ良かった映画で、カミサンは「どうね、私が見ても解る映画」と聞くので、50、50だね。
と答えました。
朝日新聞やネット映画評論に日本人とアメリカ人二人の論評があるので引用します。

Review01 川口敦子 評価:★★★☆(3.5=満点は★4つ)
「娯楽」の衣着た社会派
『ブラック・クランズマン』『ビール・ストリートの恋人たち』と、過去を背景にしつつも、トランプ政権下の アメリカこそを突く問題作が目につく。
962年、人種差別がはびこる米南部を旅した“おかしなふたり"の実話から生まれた『グリーンブック』もまた、 人種間の偏見や憎悪を平気で あおる大統領の下、人と人の間にも分厚い壁が築かれつつある今をにらむ。
壁を破る希望の芽のありかをそっと指し示す。 監督ピーター・ファレリーは弟ボビーと共に“健全なアメリカ"に笑いでたて突くタブー破りのコメディーを連発してきた。
弟監督作の核心にはしかし、人の心の機微をうがつ物語術が健やかに息づいていた。
最新作も然りだ。
差別主義者のイタリア系タフガイとカリスマ的黒人ピアニスト。
あまりに違うふたりは旅を経て互いを知り、 知らなかった自分も知り美しい友情で結ばれる。
と、こう書けば紋切り型の展開とも響くが、ファレリーはあえて古風なシンプルさをその道中記に採り入れ、 観客を温かな気持ちへと導くのだ。

Review02 クラウディア・プイグ 評価:★☆☆☆(1.5=満点は★4つ)
「差別の現実」見ていない
いつから人種差別は愉快な話になったのか。
実話に基づいているとしても、深刻なテーマにユーモアを見つけようとするのは、 無知で浅はかだ。
演技は力強いのに、シナリオが単純すぎるし、しばしば不快ですらある。
道中では笑いを誘う出来事が起こり、2人の違いが強調される。
教養を身につけた黒人ピアニストのドナルドと、口汚くて粗野な白人運転手トニー。
対照的な2人組の友情物語とロードムービーを交ぜたストーリーが進む。
しかし、表面的なユーモアを探すあまり、現実にある人種差別を過小評価している。
ドナルドは上流階級のホールで演奏するほどの音楽家なのに、 黒人専用のモーテルにしか泊まれず、レストランやトイレにも入れない。
気取ったシナリオや冗談で済ませるには、あまりにも痛々しい歴史があるのだ。
もし、米国に人種をめぐる一触即発の状況がなければ、もっと好意的に受け止められたかもしれない。
しかし、物語は現状からずれているし、 人種差別は過去のものだという誤った認識を持つ白人に心地よい内容になっている。
2人の思いがけない結びつきを通し、「グリーンブック」の歴史を語るドキュメンタリーの方が、 人種差別問題を深く掘り下げる作品になったと思う。


3/3 古稀を過ぎ、あと何回、さくらを愛でることができるだろうか

新聞で伊豆河津桜は今週末が見ごろ最後を迎えているようです。
2月半ばが過ぎ、春の足音が聞こえだすこの季節、新聞の折り込みに旅行会社からの広告に さくらをテーマにした、バスツァーが目立つてきました。
65才、パスポートの更新時期に思い切って更新せずに、海外旅行卒業宣言をしてから、退職後の旅行は国内へとシフトしてきました。
あれから年に10回、2泊3日、二人で10万円予算を基本とした旅のスタイルを6年間続けています。
私の旅の行先は美しい映像・ビデオとして残せる場所を最優先しています。
退職直後(55才の時)に先ず行ったのは津軽・弘前のさくら団体ツァーでした。

現役当時、さくらとは

通勤の車窓から眺めるもの、或いは現場周辺から歩いて行ける場所でした。
都内の人気の場所のほとんどは、現役時代の平日、或いは夜、現場の仲間と見ています。
千鳥ヶ淵、九段靖国神社、、六義園、目黒川、新宿御苑、ヒルズ桜坂、井の頭公園、浅草隅田公園、横浜大岡川などなど。
全て都内の現場事務所から地下鉄などで動ける範囲でした。
この頃、将来退職後、今のようにさくらを求めて旅するとは思ってもみませんでした。
さくらは毎年、身近で咲く4月の忙しい時期を告げるものだったのです。

全国に桜の名所があると意識しだしたのは、55才で退職しようと考えだした頃です。
南北に長い日本列島、東京、関東のさくらは、その気になれば行けるのですが、地方となると、距離の問題よりもさくらの開花、満開時期は4月から5月にかけてです。
サラリーマン生活で一番休みが取れにくいのが4月であることは、勤め人なら誰も経験していることです。
新入社員が入り、新しい年度がスタートし、新規プロジェクトが始動する時期、デタラメ、身勝手、自己中心、出世は放棄していた私でも、この季節はなかなか休めませんでした。 ですから、退職直後の最初の旅は、東北のさくらツァーだったのです。

二泊三日「クラブツーリスモ」の団体パックツァー

海外は過去数度団体パックツァーに参加したことがありますが、国内旅行の団体パックはこの時が初めてでした。
私たち夫婦は50代前半、バス二台のツァー客は、その当時の私たちから見ると、六十代後半のお年寄りばかりでした。
東京からの青森さくら観光の拠点、八戸までの往復新幹線、後はひたすらバスで走るツァー、十和田湖・奥入瀬・乳頭温泉・黒石・弘前・角館と盛り沢山のツァーですが、角館も、十和田官庁街のさくらは散っており、弘前城が辛うじて八重さくらが咲き始めていた程度でした。
この時の毎日のバス移動で引き回され、疲れる団体行動の旅は、 今後の退職後のリタイヤライフのなかでは絶対にしまい、すべて自分のペースで二人だけで動こうと決めました。

六十代半ばに、胆石発作を起こし、続けて鼠径ヘルニア手術を受けてから、生き方について再び考えるようになりました。
三十代後半に設計した退職後資金&ライフプランでは、その年としの日本人男性の平均寿命を自分の死亡年齢に置き換えていましたが、古稀を迎えると、来年はないかも知れないと、実感で悟るようになりました。
今年の桜は来年は見れないかもしれない、行ける時に行っておこう。
昨年は、実家の兄の運転する車で、昔の「クラブツーリスモ」の団体パックのリベンジを晴らした上、鶴の舞橋や岩木山山麓の新しい桜もじっくりと自分たちのペースで廻り、望んでいたような映像も撮れました。

■ 今年の春の桜の目標は

1,幸手権現堂桜堤と菜の花(県営権現堂公園)/埼玉県
2,忍野八海 富士山と桜の風景/山梨県
3,高遠城址/長野県
関東の最低この三ヶ所をクリアしてから桜の咲き具合を見て、喜多方と函館五稜郭のさくらに行けたら、今年のさくらは見納めとなるでしょう。
来月、三月第二週目で、旅の足かせとなっているNPOセンターの担当講座が終わります。
以後五月までは、生活のベースはさくらツァーを最優先とする予定です。
と、思っていましたら今年は改元に絡んで、10連休があるようです。
この時期は何としても避けなくては。
来年は? 元気で、気力・体力・好奇心があったら「儲けもの」。
先ずは東京オリンピックをTV観戦なのかな。


2/24 沖縄旅行その3 沖縄南部戦跡と琉球王朝最大の聖地巡り

沖縄の1月の観光地は、訪れている観光客の90%は外国人、特にアジアから観光客かと思うほど多い、とくに冬はの季節は、韓国、中国からの暖かさと青い海を求めて、初めての日本なのだが、東京・京都ではなく沖縄にくる若い世代が増えていると話でした。
確かに、那覇市内は勿論のこと、那覇からかなり遠い東側の本部半島の今帰仁城址にも、海外からの観光客の姿が目立つていました。
しかし、ここ、糸満を中心とした南部では、全くアジア人観光客はゼロでした。
外国人が全くゼロではなく、欧米系の白人が一人が私たちと同じ路線バスに乗っており、降りる時も一緒だったので聞いて見ました。
「なんで、ここに来たの?、観光地でもないところに」と。
彼はアメリカ人で親戚に日系三世がいて、大戦の沖縄戦について聞かされていて、花をささげに来たと話していました。

■ レンターカーなしの沖縄南部への旅は苦労します。

今、沖縄の個人ツァーを検索すると、必ずレンタカーが込みの値段が書かれています。
確かに鉄道のない沖縄を旅するには、車のほうが便利ですが、何度もブログで書いていますように、私たち二人は 60才、57才で運転免許証の更新をしませんでした。
※蛇足、65才で海外旅行を卒業し、パスポートも更新しなかった為、写真付きの身分証明証は当初こまりましたが、今は、マイナンバーカードで代用しています。
鉄道がない分、沖縄はバス便が発達しています。
しかし、沖縄南部の戦跡やパワースポットへのバス便は非常に少なく、辛うじて繋がっている程度です。
昔と違って、現代はどんな小さなバス会社の小さなバス停でもネット上に時刻表があるので助かります。
今回の旅では、南部の戦跡と、沖縄最大の聖地、聖場御嶽を一緒に1日で廻る予定でした。
しかし、平和祈念公園から聖場御嶽へは、バスは繋がっておらず、2日に分けていくことになりました。

■ ひめゆりの塔

那覇バスターミナルは過去に三度何度きています。
昔ながらバスターミナルで、沖縄らしい雰囲気を残していたのが今回訪れた時、東京のバスタ新宿のような近代的のバスターミナルに生まれ変わっていました。
那覇からひめゆりの塔への直通バスはなく、一度糸満バスターミナルでの乗換が必要でした。
その便もバス会社が違い、ひめゆりの塔へ行くバス、琉球バス82番 玉泉洞駐車場行きは一時間に一本だけでした。
ここは、修学旅行では絶対必須の場所ですが、私たちが行った1月下旬は、修学旅行の生徒はおらず、 レンタカーと那覇発沖縄南部一日観光ツァーのお客さんだけでした。
あの、現在の天皇陛下が皇太子時代に訪れて、火炎瓶が投げられた因縁の地ですが、 今は静かに、日本の若者が入口で花束を買い、静かに同い年の女学生に想いをよせる場所となっていました。

■ 平和祈念公園

ここも、修学旅行生必見の場所です。
団塊世代の私たちは、勿論生まれてはいませんが、内地、戦後生まれの日本人として、そして現代の沖縄が抱える米軍基地問題、辺野古キャンプ問題の原点となっている場所です。
どんなに短期間の沖縄の旅でも、ここへは一度は行かなくてはいけない場所です。 ここも、政治色はむかしよりも薄れ、綺麗な沖縄最南部の海が見渡せる公園となっていました。
帰りの糸満へ戻るバスは、やはり一時間に一本です。
ひめゆりの塔から来て、平和祈念公園で下りたのは、前述のアメリカ人青年と私たち二人だけでした。

降りたバス停の先の木陰で、小柄な沖縄の「おばー」二人が座って話していました。 平和祈念公園からバス停に戻ってくると、この二人はまだ座って話していました。
私たち二人を見て、「おばー」が話しかけてきました。
「今日は暑いね、どこから来たの?」的、他愛もない話です。
TVなどの旅番組では、よくある地元の人たちとの会話・交流です。
団体ツアーやレンタカーでは絶対にない、個人自由旅行バス旅ならでは一瞬で、この沖縄の旅の中で一番心地よい時間でした。

■ 聖場斎場御嶽へ

斎場御嶽と云う名前は、35年前初めて沖縄に来た時に耳にしました。
耳にしたのは、この聖地の先にある、神の島「久高島」へ行った時です。
那覇の首里と斎場御嶽と久高島はほぼ一直線に繋がっている琉球王国最大の聖地、祈りの場なのです。
久高島は35年前、仕事上のお付き合いの会社の社員旅行で来ました。
その時同室だった同年代の社員の方が鹿児島出身、薩摩の歴史に詳しく、フリー観光の日一般観光よりも是非、久高島に行きたいと一緒することにしました。
その当時の那覇バスターミナルは、本当に戦後まもない、沖縄の雰囲気が残っていました。
今でも、久高島に行く内地の観光客はほとんどいないのですが、35年前は全くの無名の存在でした。
久高島へは今ではフェリーがありますが、当時は、1日2便の漁船兼物資運搬船だけでした。

久高島では、物を売るお店も、食堂も全くありませんでした。
内地からの二人の若者は「何をしに来たの」と云う顔で見られ、初めてここで斎場御嶽と云う名前を知りました。
ここで生まれた女性だけが神の言葉を受け継ぎ、祈りをささげられるということを知りました。
あれから35年、今回初めて、ようやくこの聖地にくることが出来ました。
ここは、近年、パワースポットとして知られるようになり、観光客用の施設も整備され、ひめゆりの塔や平和祈念堂で全く見かけなかったアジア系観光客の姿を多く見かけました。
祈りの場である三庫理(サングーイ)の巨大な岩の重なりの三角形が神秘的でねインスタ映えするのでしよう。
しかし、その先の拝所のさきに見える、久高島の本来の意味も役割も、日本人も知らないことでしょう。

今回の沖縄四日間で、今まで行けなかった、今帰仁城址と斎場御嶽へ行くことが出来ました。
これまで、沖縄本島は5回、久米島、宮古島、へ行き、石垣を含む八重山諸島を訪れてきました。
後何回、行くことになるでしょう。
出来れば、民間人が自由に行ける最南端の波照間島、最西端の与那国島へは、マイレージが残っている間に行きたいと考えています


2/18 沖縄旅行その2 日本一早い桜まつり 今帰仁城址の桜まつり

沖縄のグスクとよばれるお城は、石垣の曲線が美しいのが特徴です。
身近なところでは、那覇の首里城でその美しい曲線美が見れます。
その石垣の曲線美と美しい沖縄の海を一緒に楽しめるのが、那覇市から比較的近い、(バスターミナルから90分) 「うるま市」の勝連城址です。
そして、今回の今帰仁城址は、沖縄の最大の山城として有名なのと、日本一早い桜の地として有名です。
場所は、海洋博記念公園のある本部半島の先です。
美ら海水族館へ行く観光客は多いのですが、ここまで足を延ばすひとが少ない理由が レンタカー以外の足の便が悪いからです。
バスは沖縄大手四社の共通割引パスが使えない、空港と本部を結ぶ「やんばる急行」です。高速を走りますが 予約の必要はない路線バスです。
那覇のホテルのある「おもろまち」から途中トイレ休憩があり、二時間で今帰仁城址入口に到着しました。 。

バス停から城址まで結構な距離です。
バス停からは約20~30分ばかりの登りがありますが、 この桜まつり期間限定で、最寄バス停と城址の間で無料シャトルバスが運航していました。
私たちは、60才を機会に運転免許を更新しなかったので、沖縄観光に必須のレンタカーは利用できず、ひたすら、路線バスです。
那覇から海洋博記念公園までは、那覇BT(バスターミナル、昨年12月大改修され綺麗になっています)或いは空港から高速バスがありますが、その先は路線バスしかないのです。
今回私たちは、那覇BTから今帰仁まで直通の「やんばる急行バス」で向かいました。
高速SAでの休憩を含めて2時間、1980円と結構遠いです。
沖縄バス 定期観光Bコース 美ら海水族館と今帰仁城跡 を利用すれば、簡単に行けます。
但し、美ら海水族館入場料別で、5,500円です。

日本一早い桜まつり
沖縄の桜は有名なソメイヨシノとは違い「カンヒザクラ(寒緋桜)」という品種です。
関東で一番早い桜祭りと云われている熱海の桜と同じです。
誰もがイメージするような淡い白色でわーっと花が咲くのではなく、濃いピンクのつり鐘状の花がかわいらしく咲きます。
「下向きに花を咲かせるので、のぞき込むように見上げると、写真もきれいに撮れますよ」と係の人の話でした。
私たちが行ったのは、桜まつりが始まった1月26日の4日後1月29日で、どちらかと云う3分咲きでしたが、なかにこのように大輪の花を咲かせて いる木もありました。
今帰仁城址の桜の見所は、ピンクの桜とエメラルドグリーンの海と、グスクの石垣が同時に見渡せる、お城の上の展望台でしょう

NHKの生中継は昔と同じく傍若無人
ちょうどこの日、展望台ではNHKの昼の番組の生中継が行われていました。
今帰仁は、このグスクと日本一早い桜とともに、日本一早いスイカの産地として有名なようで、産地の農協の方々や、遺跡案内ボランティア の人達が沢山早くから準備をしていました。
TV、特に昼間のNHKは見たこともないので、ここに登場するアナウンサー、リポーターがどの程度有名な方か知りません。
そして遺跡を 歩く、若い沖縄出身のリポーターが登場するのですが、私たち観光客はまるで邪魔者のように扱われます。
まるで映ってはいけないものと思っているようです。
何の挨拶も、説明もなくどけどけと云う態度は昔から変わりません。

昔のアンコールワットの時と変わらぬ態度
1990年代初頭、日本の自衛隊が戦後初めてPKOとして派遣されたカンボジアのアンコールワットに行った時でした。
今のように、アンコールワットは一般的に、簡単に観光客が来る時代ではありませんでした。
私たちがアンコールワットに入ったお正月の朝、NHKはここから日本に向けて生中継をしました。
担当、責任者らしき人物が私たち夫婦を見つけて、びっくりしているのです。
何で一般日本人がこんな所にいるのだ、とも云う顔をしています、何の挨拶も説明もなく 「そこに立たないで下さい、日本への映像に写り込んでしまいます。」 と云います。
こっちだって大枚叩いて、仕事を休んで、アンコールワットに一番乗りしてきているのだ、 あんたらの都合で移動できない、と思いはしましたものの、仕方なく生中継の時だけは移動するが、 私のビデオ撮影の時は協力しないと宣言しました。

今も昔も変わっていないようです。
公共放送、国営放送と云う看板を背負ったNHKの態度は。
そして、タレントの取り巻きはもっと酷かったです。
事務所スタッフとマネージャらしき人物は、タレントの女の子が登場するすると、まわりの観光客に 無言でカメラやスマホを構える観光客の前に立ちはだかり、無言で威圧的態度をとるのです。
「申し訳ございませんが、写真はご遠慮願えませんか」と、何故言えないのか!
まるで「盗撮」しようとするのを阻止する態度なのです。

確かに、肖像権やら、ネット時代の拡散の問題があるでしようが、まだ駆け出しの名前も知らない、タレントなのに。
廻りにいた観光客のオジサンが、聞こえないように云いました「出川哲朗を見習えよ」と。
だからでもないのですが、今年のNHK大河ドラマは見ません。
「いだてん」の視聴率は過去最悪、一桁の9%との新聞報道です。
そりゃそうだ、あれだけの役者、脚本家を揃えているのに、話が前後、左右に飛びっぱなし、 明治・大正・昭和のエリート階層が主人公の話では、平成の庶民には受けないでしょう。


2/10 朝日新聞「天声人語」の凄まじき伝播力 松田町のロウバイ祭りの集客力
2月4日(月曜日)の天声人語の記事の抜粋

丹沢の山々に抱かれた神奈川県松田町の寄(やどりぎ)地区では、いま、二万本もの?梅が咲き誇る。
13年前に、寄中学校の生徒が卒業記念に250株植えたのがはじまりだ。
「?梅は冬に咲く。
他の花より断然早い。
町おこしにならないか」と森林組合のメンバーが荒れ放題だった 畑を再開墾し、毎年数百株づつ植えたして来た。
植林当日は卒業間際の小6や中3の生徒を招いた・・・ ・・・・中略・・・・ 訪れる人は増え丹沢の新しい観光地となった。
ロウバイ園誕生のきっかけとなった寄中学校は、今年度で閉鎖される。
「母校が消えるのはやはり寂しい、でも?梅の盛りには二万人が来てくれる、励みになります」と

この季節、リタイヤシニアはあまりお金をかけずに、近場に日帰りで行こうと考えるのですが、寒いし、 熱海や、曽我梅林はまだ早いし、河津桜ももう少し先、それに伊豆は遠い・・・と思っていた時に、天下の 朝日新聞の天声人語の記事、それも子供たちが絡んだいわく付きの村おこしの話です。
これは行かなくては・・・と思ったのは勿論、私一人ではありません。
この月曜日は、南風が入り込み、関東平野部は軒並み、19℃、20℃ですから、電話かけて誘い合って 火曜日に出かけたシニアグループはきっと沢山いたでしょう。

私も火曜日、前日からの天気予報と違って朝から曇天・寒空でしたが、毎週のバドミントンを休んで、 ネットで行きかたを調べて自宅を出ました。
松田はJR御殿場線と、小田急小田原線・箱根線の新松田とあります。
私は、自宅最寄り駅か東海道、国府津で乗換、JR松田駅に10時半に降り立つました。
既に駅前は、富士急湘南バス「寄」行きをまつ人でいっぱいです。
ロウバイ祭り中はの土日は臨時バスを出すことは決まっていましたが、この火曜日の降って湧いたような観光客の多さに パス会社はびっくりしたようです。
待っている間に、バス会社の人に「昨日の朝日新聞天声人語を見ましたか?」と訊ねると、読んでいないようです。
「NHKのローカルニュース」で紹介するとか、したとかは聞いていたのですが・・・ 急きょ、臨時バスの手配をはじめたのですが、この時点でバス4台から5台の乗客が並んでいたのです。

私はバスを2台待ってようやく乗れました。
山道を30分走って、寄(やどりぎ)地区の会場駐車場前に到着、ここから本会場までは普通、8人乗り小型マイクロバンで無料送迎している のですが、この日に限りは、足の不自由の方、高齢者のみと係の方は叫んでいました。
かなりの急こう配の坂を10~15分ほどで、天声人語で紹介されていた、二万本の?梅園が現れます。
緑の茶畑の先に、全山、黄色の?梅で包まれて見えます。
お天気が良かったら、もっと良かったのですが。

圧倒的に3,4人の60代後半から70代半ばの女性グループが多い
皆さん、ハイキング・軽い登山になれているのでしよう、各所に設けられた 畑の中のお休みどころで三々五々、お弁当を広げています。
次に多いのが、カメラ片手の70代半ばの一人で来ているシニア男性。
皆さん立派なカメラを持っています。
そして、70代に入ったばかりの我ら団塊世代と思われる、ご夫婦の姿。
やっぱりと云うか、団塊・お友達夫婦・ニューファミリーと呼ばれた世代は、上の世代よりは夫婦仲が良いようてす。

園の入場料は300円。
新松田・「寄」間のバスは片道520園(往復割引940円)
東京都内、新宿・新松田間小田急 77分 780円
つまり、年金シニアは自宅からお弁当を持ってくれば一日2,800円で、楽しめるのです。
これが、平均的、元気な、多少ゆとりのある高齢者の過ごし方なんです。

■ スマホカメラで動画撮影にチャレンジ

つい十数年前までは、ムービー・ビデオ・動画は、ビデオカメラど撮影するのが当たり前と云うか、それしかなかった のですが、10年ほど前から、映画業界では一眼レフカメラで動画を撮影するのが常識となって来ています。同時に コンパクトデジカメでも動画は当たり前、そして、今や誰でもが、スマートフォンのカメラで動画を撮影して、その場で ユーチューブ・ニコニコ動画、或いは直接SNSにUPするようになりました。

40年前からビデオを撮っている私たちには信じられない時代なのです。
肩掛けの重いカメラから、スマホカメラへのギャップ
昨年末に、ガラケーからスマホに変えて、今回、初めて、コンデジもビデオも持たずに、スマホ一つでやってきました。
さて、スマホビデオは使えるのか?
結論:
解ってはいましたが、スマホで動画が撮れる・・・程度でした。
ズームが全く機能しません。ピッチで拡大するものの所詮デジタルズームで、拡大しているだけですから、画質は 劣化して使い物になりません。
カメラを左から右に動かすパンは、スマホの能力的に書き込みスピードが遅く、画像が追い付いていけませんので これもダメ。歩きながらの撮影もダメでした。
この初めてのスマホカメラでの動画撮影チャレンジしたものを、お恥ずかしながらUPしました。
ムービー松田ロウバイ園
スマホカメラは固定して、ズームもパンもしないで、カメラの前をゆっくりと動くものを撮るしか スマホのビデオカメラ機能がない事を確認したのが、今回の一番の成果でした。

アイフォンの最高峰機種のカメラだったら違うかもしれません。
でも、ビデオ専用機には敵うはずはないだろう・・・が、SVHS時代から35年ビデオを やってきている。70代団塊おじさんは信じています。


2/3 沖縄の旅 その1 慶良間諸島のホエールウォッチング

今回の沖縄旅行での楽しみにしていた一つが、冬の沖縄、慶良間諸島でのホエールウォッチングでした。
これまで、ホエールウォッチングはハワイ・オアフ島で二回、マウイ島で一回経験してきています。 最初のオアフの時は、オアフの西端のマカプー岬から、沖をゆくクジラを眺めるもので、勿論無料です。

岬の展望台からは、沖を泳ぐ沢山のクジラの潮吹きが手に取るように眺められ、初めてみるクジラの潮吹きに感激ました。 翌年、もっと近くでクジラを見たいと、ホノルルの港から出るホエールウォッチングツァーに参加しました。
しかし、遠く潮吹くクジラは見えるのですが、世界一環境問題に厳しいアメリカの法律では、ホエールウォッチングツァークルーズ船とクジラの 距離は規制されており、実際の目でみることは、出来ませんでした。
数年後、ハワイ諸島でクジラを見るのならマウイ島、と云う情報に接し、マウイに行きました。
マウイ島のホエールウオッチングツアーのクルーズ船は、ホノルルと違って小型の三十人乗り以下で、クジラとの距離 規制もホノルルの大型船よりも緩やかな上、エンジン音も小さいので、クジラにストレスがかからず、近くまで寄って くるのです。
クルーズ船とクジラの距離は規制されていますが、停止している船にクジラが寄って来た場合は、この規制外です

この時の動画映像はユーチューブにUPしています。
2014・2 up  映像時間3分58秒
この時、初めてクジラの姿を目の前で見て感激したのを覚えています。
にしても、ホノルル発のこのツァーは、マウイ島観光が含まれていましたが、350ドルという 金額で結構高かったののです。
帰国後、朝日新聞紙上で、沖縄慶良間諸島でのホエールウォッチングで の素晴らしい画像を目にしました。ハワイまで出かけなくても、沖縄でクジラが見れるのだと知り、 何時か、冬の慶良間諸島に行くことを夢見ていました。

■ 冬場の沖縄は安いけどお天気が悪い

1月に行くと決めて、ネットで慶良間諸島でのホエールウォッチングの値段を調べてみると、 意外と安いのにびっくりしました。色々な会社がやっているようで、各社4,000円~5,000円の間です。 料金の差は、船の大きさ、設備、送迎の有無、そして見れなかった時の全額返金の有無のようです。
ツァー会社の選択
最初、ネット検索の最上位に表示されている会社に問合せをしました。
予約方法、キャンセル方法、等を問合せしたのに、一向に返事が有りませんでした。
海外のツァーでよくあるケースで、メールのみの連絡で、ホームページには電話番号が記載されておらず、 会社の事務所の住所も書かれていません。このようなツァー会社は信用出来ません。
探し当てたのは、沖縄ガイドブックに大型広告を掲載していた、国際通りにリアルショップある、マリンスポーツ 会社でした。電話すると丁寧な応対で、料金は税込み3,980円、送迎込み、但し万が一クジラが見れなくとも 返金なしの条件でした。
携帯電話は必須の条件
送迎やお天気によるツァー催行の有無などの連絡で、携帯電話は必須です。
沖縄に行く前に、4日間の滞在なのでお天気によって参加、変更が可能か聞いた所、1日2便のツァーなので 半日前なら可能と云う返事をもらい、取り敢えず、沖縄到着の翌日に予約を入れ、毎日ネツトでお天気を みていましたが、杞憂に終わりました。 沖縄4日間、到着した日から、帰る日まで、ピーカンの青空、連日の20℃超えが続いたのです。

■ ツァー会社からの注意事項の連絡

1,参加する服装は、内地を出る時に来ていた防寒着を着てきて下さい。
2,揺れるので出航30分前、酔い止め薬を飲んできて下さい。
3,滑りにくい靴を履いてきて下さい。

私は、釣り船でも酔うタイプですし、二万トンクラスの船でも酔ったことがあるのですが、カミサンが 用意した「酔い止め薬」の注意書きを読むと、「前立腺に問題のある方は、排尿障害の副作用が報告されて いるので、主治医に相談しての服用をお勧めします。」と書かれています。ので辞めました。
海の上で、おしっこで苦しむのは真っ平ですから。
しかし、気温も波も船酔いも全て杞憂に終わりました。
この日洋上でも、気温は20℃、外にいる日焼けしそうな陽ざしです。波は全くなく静かでした。

■ エー慶良間諸島ってこんなに近いの

ホエールウォッチングツァー船の多くは、那覇漁港から8:30頃から出航していきます。
ツアー会社の事前説明では、クジラを探すまで1時間、船を走らせ、クジラ観察を2時間、そして寄港するまで 1時間、計4時間のツァーと聞いていました。
静かな港内の防波堤をでると、スビートを上げて西に進むのですが、港を出で20分もしないうちに停まりました。 振返るとその先は那覇空港から発着する飛行機で見えます。
エーエー慶良間諸島ってこんなに近いの?
漁港から出発した各社のツァー船のなかで、一番最後に出航した私たちの船が、クジラを発見して停まった のは、慶良間諸島まで本島から1/3の、空港沖合の海でした。

■ 船長の指さす方向に潮吹きが見えます

潮吹きは一瞬なので写真は撮れませんが、クジラが沈んでいった後に残る、ホエールリングは船上からはっきりと 確認出来ます。クジラは一度潜ると7分から15分ほどして、再び浮上してくるので、船はゆっくりと、クジラの 泳ぐ方向を予測して進みます。
私たちの船がクジラを発見した報が、各社の船に伝わり、一頭のクジラの行く手を遮らないように、左右、後に ついて行きます。この時数えると私たちの船を含め六隻の船が一頭のクジラに集まっていました。
私たちの船は11時前に、帆先を陸に向けて走り出しました。
船長さんの説明で、一頭のクジラに1時間以上まとわりついて、ストレスを与えてはいけない、と云う仲間同士 の決まりがあるので、このクジラを最初に発見した私たちの船が率先して離れるのだそうです。
そして、ツァーの4時間と云うのは、クジラが見つからない場合探しまくり、出航から寄港までの最大時間であり、今日 はお天気も良く、直ぐに見つけたので、皆さん十分に喜んでいただけたと思います。とのご挨拶にこの日の乗客16名は 誰も、文句は云いいませんでした。

■ クジラの撮影は素人は無理なんです

ツァーのお客さんは皆さん、カメラを構えて待ち構えるのですが、スマホでは到底無理、コンパクトデジカメでも 無理、かなり長いレンズの一眼レフで経験を積まないと、クジラが跳ねる写真は撮れません。
写真はツァー会社にお任せして、じっくりと自分の目に焼き付けたほうがどれだけ良いか。
マウイ島・オアフ島とホエールウォッチング行脚がありましたが、ここ慶良間で十分満足しました。



1/23 ネット上の友人との初めて会う、鎌倉でのOFF会

定年退職した或いはこれからする、日本のサラリーマン、特に同じの世代に向けた情報発信と、交流の場として 退職直後に入学・学習したwebエンジニアクラスの卒業制作として、「海外ロングステイと定年後過ごし方」 と云うサイト・ホームページを立ち上げました。
一方的な発信だけではなく、自由な投稿、意見交換の場として、多少の管理リスクや手間がありますが、 BBS・掲示投稿板を造りました。

16年前、当時は今のような、フェーブックもツイッターもインスタもラインない時代、知らない、会ったこともない 人との交流の場は、掲示板だけでした。
ネット上で交流はインターネット回線を繋いだつまりON状態に対して、実際にFace to Facesでお相手お会いする、 ネット回線をoffにした状態なので、オフ会と呼ばれています。
掲示板に訪れる人も増え、何年か経過するうちに、この掲示板をで知り合った同志のオフ会が中京地区で行われる、 その時の様子が、主催幹事さんからご報告をいただいたこともあります。
やがて、私の住む関東首都圏、横浜・湘南地区でもオフ会開催のお話も持ち上がり、掲示板管理人の私への参加 お誘いがありましたが、掲示板管理と云うある種の絶対的権限を持つ人間としては、あくまでも影の存在である べきとして、ご辞退した経過がありました。

数年前、ハワイにお住まいの同年代の男性の方から、日本に行くので是非一度お会いしたいと云うメールを いただきました。そのお便りには、会ってみたいと云う内容がありました。
私が、南米アルゼンチンに向かう時に乗船した「ブラジル丸」にその方もアメリカに向かう為に乗船しており、 アメリカで起業し、ある程度の成功を収め、仕事を畳み、現在ホノルル、高級住宅地に住まいを建てて住んでおり 私と同じような人生を歩んでいるとのお話でした。
基本的には、掲示板の管理者としてオフ会の参加はご遠慮しているのですが、お住まいが当時私が頻繁に通って いたホノルルであることから、何かしらの新しい情報やら、その方の生き方・人生に興味が惹かれたのでした。

■ 実際にお会いしてみて

少しがっかりしました。
相手のかたのお話は、一言で云えば「自慢話」・「武勇伝」だけなのです。
私が期待していたのは、同じ昭和・平成の時代を生きて来た、団塊世代の定年後の生き方やらに、共感するような お話でしたが、全く一方的な内容だけでした。
お会いする前からある程度の予想はしていました。
昭和の高度経済成長の黎明期、単身アメリカに渡り、事業で成功し、仕事を畳んでホノルルで60代の老後を 過ごす方ですから、私たちのサラリーマン人生と違って、かなりのやり手の男性とは思ってはいたのでずが、 まさに想像していたとおり方でした。
この方との出会いが最初で最後ののオフ会でした。

2019年の年が明けて、私のサイトに度々実際に海外でロングステイを実践し、情報・紀行文をお寄せになる 地方在住の方からメールが有り、今回、関東首都圏に用事があり、半日だけ余裕があるので、割り勘ランチでも 如何と内容でした。
前述のように、掲示板の管理人はあくまでも絶対、中立の立場です。
個人的にお会いし、知合うことには抵抗がありましたし、私のイメージ・行きかたはもしかすると、相手の方が 持っているものと違うこともあるのを恐れていたのです。が、しかし、この方だけは特別です。
書かれている文章の内容、書き方、ロングステイのスタイルから察しは尽きます。
前述の方のように、自分の自慢話をしたくて来るのではなく、昔ながら旧友に、近くまできたからランチでも どう、と云うのがはっきり解ります。


■ まるで学生時代の同級生との再会のよう

ご本人にお会いしたのは、自宅のマンション前でした。
カミサンはこの日、鎌倉の名画座へ出かけて留守でしたが、「ネット上で知り合った人と自宅前で会うのに危険では ないの?」とネット音痴にしては珍しく真っ当なことを云います。しかし、「僕も長年ネット上で掲示板を運営しているから、投稿記事 を読めば、どんな人物、考え方の人かは解る、心配しなくても良いよ」と答えました。
私は、一度だけネット上で自分が写っているややピントの甘い集合写真を公開していますので、彼は私を知っている のですが、私はその方の顔を知りませんでしたが、体形は別にして、イメージ通りの方でした。
先ず、自宅近所の人気のこじんまりとした家庭料理レストランで食事しました。
話て見て思っていた通りの人物であり、お互いに歩んできた人生が不思議なほどシンクロしているのにびっくりしました。 生まれたのも昭和23年の2月と3月の三男、現役時代の仕事は彼は発注元の設計屋さん、私はそれを請け負う建築屋、 結婚の話になり、70年代半ば式を挙げたのが、今を時代の最先端を行く「星野やグループ」の発祥の地、軽井沢の 高原教会というのです。あの時代、結婚式の費用を節約してこれからの新婚生活に生かそうという発想を、私たち二人 は、持っていたのです。

■ お天気の良い日、半日鎌倉散歩

彼は退職しから、海外ロングステイ・国内二地域生活を実践し、地域のボランティアに積極的に参加し、 身体を動か地元に貢献しながら若干の収入を得、自分の老後、終末を伴侶と話すという生活をしています。
二人で似た者同士ですね。と笑って話しました。
質問したことには適格に答え、自分からは聞かれないことは話さない。
今、鎌倉のNPOでお会いする、リタイヤシニアの方とは違っていました。
この日の鎌倉は、お天気が良く、真っ青な青空には雲一つなく、インスタ映えする一日でした。
鎌倉の定番、江ノ電で長谷まで行き、歩いて鎌倉大仏の高徳院から、鶴岡八幡宮へと廻り、地元の大船の 湘南のアメ横と呼ばれる庶民的な仲通商店街の一角にある、シニアに人気のカフェで積もる話で過ごし、 彼は、次の目的地箱根湯本へと旅立っていきました。
楽しい、充実した、有意義な一日でした。


1/15 鎌倉の環境を愛する会 シニア70代女性3人により立ち上げたhtml手書きホームページ

鎌倉市のNPO・市民活動を支援する私たち中間支援NPO団体「鎌倉市市民活動センター運営会議」の広報部では、 市内の活動団体向けに、ホームページ講座を毎年9月より開講しています。
12年前から開講して、これまでに80団体ほどの、ホームぺ―ジの作成・立ち上げを支援してきました。
スマートフォンの普及で、ブログ、フェースブック、ツィター、インスタなどによる情報発信手段が増えてきている 昨今ですが、依然、パソコン/スマホ対応のホームページのニーズは増しています。

理由の一つが助成金申請です。
昔に比べて、各企業の社会貢献度は社会から注目され、ある一定の企業評価基準となっています。
沢山の大手企業が、NPO・NGO或いは法人化された一般市民活動団体に対して、助成金をだしています。
このブログCANPANを提供している、「日本財団」はその最たる存在で、市民活動・公益活動する団体に対して多くの 助成金を支給しています。
助成金申請には、当然ながら審査があります。
その団体活動が、継続可能な、本当に公益に叶う活動をしているのか?
助成金は本当に有効に使われるのか?
これまでの財務状況はどうなのか?
全て、書類審査にて行われています。

その中の重要な審査項目の一つが、その団体の活動は広く、公に、情報公開がされているか?です。
つまり、21世紀現代において、何かしら方法、インターネット上で、誰でもが知ることが出来るか?が重要です。
ブログ・フェスブック・ツィターなど色々ありますが、最も評価が高いのが、webサイト・・つまりホームページです。
ホームページは元々、htmlと云うwebプログラミング言語、この世界では一番簡単な記述言語で成り立つていますが、 もっと簡単に誰でもがホームページを造れるように、これまで色々なホームページ作成ソフトが世に出回ってきました。

一番有名なのが、「ホームページビルダー」であり、最近はもっと簡単、直観的に作成できる 「Jimdo」とか「ワードプレス」 とかが、htmlの知識のない方にとって人気となっていますが、実際にはそう簡単ではなく、 あくまでもソフト側で提供する 「テンプレート」が基本ですし、ソフト自体が有料であったり、公開するネットサーバーに制限があったりし、無料に拘ると 小さいながらコマーシャルが入ります。
総じて全くwebページ知識がない方には、ハードルが高く、自作するにしても、何かしらのサポートが必要になります。

鎌倉市市民活動センターの講座は、受講料3時間1,500円×12回分はいただきますが、ソフトなどを使わずに、一般的なパソコン 内に入っているもの(メモ帳)だけで、「テンプレート」に頼らない、自分たちの思うままデザイン・色構成で、世間に通用する レベルのホームぺージが出来上がります。

昨年、9月この講座に3人の70代の女性が参加しました。
「鎌倉の環境を愛する会」と云う、鎌倉のゴミ問題・環境問題を市民レベルで見つめ、一般市民に情報発信する団体のメンバーです。 この講座の説明会に来ていただく時に、参加される方のパソコンスキル・基礎体力を拝見するためにパソコン持参で来ていただきました。
幾らhtml言語が簡単で、小学高学年の子供でも出来ると云え、最低限のパソコン基礎がないと困ります。
1,メモ帳を開けて、簡単な文章を造り、デスクトップに保存すること。
2,デスクトップに新しいフォルダーを造ること。
3,そのフォルダーの名前をローマ字小文字で変更すること。
4,そのフォルダーをコピーして、ドキュメントにペーストすること。
5,自分のデジカメから、写真1枚を取り出し、そのフォルダーに保存する事。
これらが、html手書きでホームページを造るのに、最低限のパソコン基礎体力なのです。
しかし・・・
私より二つ年上の彼女は、こちらからのサポートなしでは出来ませんでした。
これは、困った・・ちょつと無理かなと思案しました。
すると、その参加希望女性は、
・私たちは3人で参加します。
・後の二人は私よりづっとパソコンが出来ます。
・私たちの団体の会議で、ホームページが絶対必要と決議され、私が代表で参加しました。
・私たちは何よりも、市民に対して情報を伝えると云う義務感があるので、絶対にやり遂げます。
解りました。
市民活動団体が自分たちのホームページを立ち上げるのに必要なのは、パソコンスキルよりも、会をあげて社会に 自分たちの活動を知ってもらいたい、と云う意欲がもっとも大事ですから、ご協力致します。
と、ご返事致しました。
講座はこの「鎌倉の環境を愛する会」の三名だけに限定して9月からスタートしました。
9月~12月の4か月、講座一コマ3時間×月3回合計36時間、2018年12月31日、完成UPしました。
https://kamaeco.sakura.ne.jp 鎌倉市市民活動センター運営会議広報部のweb講座は、全くweb言語htmlの知識のない方には、9月~12 月は基礎講座として教え、翌年の1月~3月で実践講座とて、現代のホームページには必須のデザインの為の スタイルシートを教えるのですが、今回に限って、大枠ページデザイン・メニューのみは私がサポートし、他は 全て、鎌倉の環境を愛する会」の三名のシニア女性のみで立ち上げました。
70代半ばの女性だって(失礼・・)意欲さえあれば、出来ることを、今回証明してくれました。
どうぞ、日本財団のブログをご覧の方、見てあげて下さい。
鎌倉市市民活動センター運営会議広報部は、湘南・横浜・逗子で活動する市民活動団体のホームページ 立ち上げを、今年も支援致します。


1/6 スマホを使い始めて解ったこと、スマホは若者の能力開発を阻害する

昨年暮れに、ガラケーからスマホに切り替えました。
6年間使ったガラケーのバッテリーが劣化したの原因で、厭々、仕方なくです。

友人は、云います
「スマホをもう一つの電子端末と云う感覚は古い、時代遅れ。」
「スマホは、パソコンであり、電話であり、テレビであり、ラジオであり、図書館であり、新聞であり、 時計であり、カメラであり、ビデオであり、地図帖であり、音楽プレイヤーであり、百科事典であり、 多言語翻訳機であり、ゲーム機であり、銀行でもあるのだ。」と云います。

解ります。確かにそうかも知れません。
この小さな端末の中に、いままで自分の書類カバンのなかに入れて持ち歩いていた、モバイルパソコンも、 携帯電話も、電子辞書も、文庫本も、スケジュール手帳も全てが入っています。
しかし、使い始めて解ったことは、入っているもの全てが、オンライン上のものであること。
電源があり、ネットと繋がっていると云う条件の元で成り立っているという事であって、この条件の一つでも 失われれば、何も出来なくなる、思考能力が停止してしまうことになります。
そして、全てが本物・単体に比べると二流であること。

ネットを支配する、少数グローバル企業に世界は支配されている。
今回、スマホを手にしてgoogleで検索してみて、びっくりしました。
今まで、自分のパソコンで検索した履歴の全てが、アンドロイドスマホのgogleが表示されるではないですか。
過去、数か月、否、パソコンを使い始めて、gogleで検索したキーワードが全て表示されているのではと驚き、 パソコンでgoogleの設定を開き、消去しました。

理由は、
googleの各種或いはプラグインされているサービス、メール・ユーチューブ・SNSを利用する為に googleアカウントを取得しており、今回使うアンドロイドスマホを使用する際に、同じgogleアカウントで 設定したのが原因です。
スマホユーザーの皆さんが利用する人気アプリ「ライン」を設定したら、いきなり電話帳に登録しているラインユーザー が画面にでてきて、再びびっくりです。
設定の際のデフォルトがそうなっていたのを後から気づきました。

ラインにしても、友達同士のラインアカウントの連絡にいきなり、QRコードがでてきました。
今まで私たちPC派では、自分のQRコードを造るには、パソコンでURLを書き込み、専用ソフトで書きだし、画像化したものです。
そのQRコードを、これまたQRコード読み取りソフトで取り込んでいたのに。
すべてが、自動で簡単に出来てしまうのです。
これは不味い、これでは若者のパソコン離れが急速に加速する。
パソコンのディレクトリー、階層に関する知識が欠如し、自分の納めたい場所に、DATAを収納出来なくなるのは当たり前
画像加工にしても、クリエイティブな才能・センスを発揮する余地がない。
スマホのカメラ画像は綺麗過ぎる、後補正し過ぎている。
これでは、一眼レフカメラで自分の好みの写真を撮ることは出来なくなる
何よりも、スマホから何かを作り出すことが出来ないではないか?
スマホがあれば、パソコンは不要は、全くのナンセンスである。

何よりも、スマホでプログラムを書き、動かす、ことは出来ない・・・だろう。
スマホで小説は書けない。・・・だろう。
スマホで印刷は出来ない・・・だろう。
スマホでアニメは造れない・・・だろう。

ワイモバイルと契約し、スマホを手に入れした翌日、数十通のメールが入っていました。
ワイモバイルのスマホを立ち上げした際、メールアカウントを云われるままに3つ造りました。
@yahoo.co.jp
@yahoo.ne.jp
@ymobile.ne.jp
 なんで3つも必要なのか知りませんが、必要とのことでした。
この3つのメルアドに次から次と、ヤフーからのメールマガジンが届くのです。
パソコンと違って、届くメルマガのdataパケット料金は、受け手の自分に課金されます。
冗談ではない、と配信停止を慣れているパソコンから行いましたが、ヤフーからの重要なお知らせと云うものは、配信停止 出来ずにいます。

人気のラインにしても
電話も画像の転送も無料のアプリと云っても、dataパケット料金は発生しますし、ラインオフィシャルスポンサー からは、油断していると広告まがいのものが大量に届きます。
中国政府がgoogleの本土進出を拒否している理由を今回、悟りました。
スマホを使い生活することに慣れ、オンラインで全てが動く社会では、国民政府ではなく、海の向こうにある巨大ネット 情報を自社、自国の都合のよいように扱える巨大無国籍企業の寡占状態に置かれるのは、共産主義国家・独裁国家でなくとも 危惧するのは当たり前なんです。

私は、市民活動団体のホームページ作成・運営のサポートをしています。
google検索エンジンロボットの性格を良く理解して、webページにキーワードを埋め込むことを指導していますが、 いざ、googleが気に食わなかったら、そのサイトを検索から除外し、ネット上に存在しないようにするのは、超簡単な事ですし、 いちgoogle社員でも出来る事なんです。

スマホを2週間使ってみて、色々解りました。
中国政府の危惧はともかく、これだけ社会に普及しているツールを排除することはでき来ません。 それでは、子ども・若者にスマホを与える前に、パソコン基礎学習を必須とすべきと、DOSV時代を生きて来た 団塊パソコン世代は考えています。