12/29 SNS・フェースブックで知る知人の訃報
10年以上前からの知り合いの女性のフェースブツクで、訃報を知りました。
facebookの投稿者は、亡くなった彼女のご主人の男性です。
妻・※XXX(76歳)は,去る28日(日)早朝に逝去いたしました。
突然のことではありましたが,安らかな旅立ちであったと思います。
故人の存命中,皆様には大変お世話になりました。
お知らせが遅くなり申し訳ありません。
facebookは当面,このまま残しておきたいと考えております。
これまでのご厚情に感謝申し上げます。
まことにありがとうございました。
彼女は昔、ホームぺージと写真の撮り方等の講座の生徒さん、講座卒業後も何かと、メール上で
サポート、相談していた方でした。
フェースブツクは、こまめに更新しており、物事の見方、捉え方が独特でいつも、社会の為、地元横須賀の為にと云う姿勢が
明確で、写真や、自分の身のまわり中心の方と違っていたので、彼女のアカウントはフォローしていました。
時代なのでしょう。
知人の死をSNSで知るとは。
それでも、彼女の夫が妻のネットメディアや友人などを把握していたからでしょう。
亡くなって、20日後ようやく、心の整理がついた頃なのでしょう。
亡くなった妻のフェースブックに、コメントを書く姿を想像すると、目頭が熱くなります。
最近、私の廻りにも奥様に先立たれるシニア男性が増えています。
それも、朝の突然死。
朝、起きてこないのでベッドに行ったら既に亡くなっていた。と云うケースは、私の廻りでは3人目です。
全て、60代後半から70代半ばの女性です。
死因は詳しく伺っていませんが、心臓系が多いと聞いています。
我が家の場合、カミサンは私よりも1時間前に起きて、朝食の準備をして、一人ゆっくり朝刊を読んでいます。
私が早起きすると、「私の時間を邪魔しないで、」と云うは云いませんが、ご機嫌斜めなのは看取れますので
私は、カミサンより1時間後にベッドからでるようにしています。
ですから年に数度ですが、カミサンは面白い本でも読んで夜更かしをしたのか、定時になっても起きてこない
来ない時、私は周りの奥様の突然死を迎えた知人を思い出して、かなり不安な気持ちで、カミサンの部屋
をのぞきに行くことがあります。
40年以上連れ添ってきて、風邪で寝込んだこともない丈夫、太々しい、逞しい、医療専門家のカミサンが
「病気の問屋」の私よりも先に逝くことなんて考えられないのですが、・・・もしかして、という気持ちは
このようなお知らせをネットでみると、捨てきれないお年頃なのでしょう。
数年前、現役バックパッカーとして世界中の僻地、アジア・中南米を旅している私より一回り年上の方の
ホームページを楽しみにしていました。
各地の旅の様子を現地発信していたのでが、数ヵ月以上更新されず心配していたある日、息子さんの名前で
父親の死を伝えていました。
htmlで書かれた本格的なホームページです。
亡くなった方の息子さんもある程度のweb知識があり、亡くなった
方も、年齢的に覚悟して各種データーを死んだあとに解るようにして逝ったのだと思います。
息子さんも長文の父に対する想いと、これまでに父のサイトを訪れてくれた、読者への感謝の言葉が書かれて
おり、突然の閉鎖は心苦しいので、3ヵ月後に閉鎖する、父の残した画像、テキストの著作権は放棄するので
お役に立てるものがありましたら、ご自由にお使い下さい。
きっと父も喜んでいるでしょう。
と結ばれていました。
立派な息子さん・・・羨ましい。
自分に置き換えてみると・・・カミサンはネット音痴、子供もいないとなると、ネット上の
デジタル遺産はどうなるのでしょうか?
GAFAは、どの位の期間放置されているアカウントを維持するのでしょうか?
何時かは、ネット上のデジタル遺産の整理をしなくてはいけないと思っています。
ホームページ・ブログ・掲示板・各種ネットサービスのアカウント
誰に託すのか・・・子供のいない私たちは。
私はカミサンよりも絶対に早く逝くと信じています。
その時、誰が、私のネット上の遺品整理・廃棄をしてくれるのか・・・?。
今回の前立腺がん生検の結果を聞く前の日、漠然とながら考えていました。
そして、何か特別行動をおこしたか?
否、前立腺がんでは、そう簡単に死ねない、ステージ4で、余命宣告されてから取り掛かればいい、
なんて、簡単に考えているのですが・・・
12/22 久しぶりにバリ島とかデンパサールとかの地名をメディアで聞きました。
インドネシアのバリ島で日本人女性が何者かに襲われ、重体の報道を目にしました。
16年前、55才で退職した直後、海外ロングステイ候補地の一つとして、現地のホテルも航空券も自分の手で手配し
観光目的ではなく、定年後の人生の一時期を過ごす場所として、3週間の予定で夫婦ででかけたのが、インドネシアバリ島でした。
事件の内容は、特に日本のTVニュースで大きく取り上げるほどの事件ではなく、観光地バリ島では普通によくある、無防備な
観光客が遭遇する事件です。
事件の内容は
FNNプライムニュースより引用
日本人にも人気のリゾート地「バリ島」。
美しい海と、5つの世界遺産を有する、インドネシア屈指の観光地。
そのバリ島で、事件が...。
バリ島南部の街・デンパサールで、現地時間25日午前8時ごろ、38歳の日本人女性が、滞在先のアパートの敷地内で倒れているのが見つかった。
その後の調べで、女性は、2階にある自分の部屋から転落したことが判明。
女性は、頸椎(けいつい)の骨にひびが入る重傷。
バリ・デンパサールの警察署長は、「これが強盗かどうかは確認できていない。
なぜなら、被害者はショックを受けていて、
何が起きたのか、彼女に確認できないからだ」と話した。
デンパサールは、バリ島の中心地で、多数の滞在者向けアパートがある。
その街で起きた今回の事件。
転落した女性の首には、絞められた跡があったことから、現地警察は、強盗事件に巻き込まれた可能性もあるとして捜査している。
警察署長は、「われわれは、すでに防犯カメラを入手している。
何者かが茂みに隠れようとし、彼女の部屋まで尾行していた」と話した。
地元の新聞も、この事件を大きく報道。
強盗が侵入し、女性の首を絞めたあと、女性が転落するまでの様子をイラストで伝えている。
また、アパートの警備員が、助けを求める女性の声を聞いたとする地元メディアの報道も。
女性一時は受け答えができない状況だったということだが、現地の日本総領事館は、FNNの取材に対し、
「病院の話として、命に別条はないようだ」と話している。
日本総領事館は、現地在留の日本人に、在宅中は、戸締まりを確実に行うよう注意を呼びかけている。
このような事件が起こると、現地の知り合いのバリ人ガイドは口々に
「ジャワ・スマトラから出稼ぎがやった来たインドネシア人がやった事件」
「バリ人は絶対にこのような事件は起こさない」と云います。
バリ島は、イスラム教のインドネシアにありながら、土着色の強いバリ・ヒンドゥー教の島なのです。
彼ら、自分たちをインドネシア人と呼ばずにバリ人と呼びます。
言葉も勿論、基本・公用語はインドネシア語ですが、家庭内や集落内ではバリ語です。
彼らバリ人が絶対にこのような外国人に対しての凶悪事件を起こさないと、云い切れるのか?
明白な、経済的な理由があるからです。
バリ島は、インドネシアのほとんどを占める、ジャワ、スマトラ、カリマンタン(ボルネオ島)、スラウェシ(セレべス島)からみれば、ほんの小さな島で
本島との経済格差が大きいのですが、それでも、インドネシア全体からみれば、豊かな島と云われています。
理由は、外国人観光客の多さと、それに投資する外国観光資本があるからです。
且つて16年前、私たちが定年後のロングステイ候補地を求めてかなりの頻度で来ていた頃は、オーストラリア人と日本人観光客
が、バリ島観光客の大半を占めていました。
その頃、バリ島の繁華街レストランで、イスラム過激派によるテロ・爆弾事件が起こり、観光客の姿が一気に減り、バリ島の
経済の落ち込みは悲惨な状況になりました。
この頃、バリ島に来る日本人観光客の大半は、女性でした。
とにかく、日本人女性はバリ島の男性に大もてなのです。
理由の一つは、日本とバリ島の経済格差です。
バリ島の家庭では、息子が日本人女性とお付き合いを始めると、親戚一同、この結婚成立の為に全員一致団結して
協力するのは当たり前でした。
欧米の女性と違って、従順でやさしく、家族を敬い、褐色の肌の男性たいしての偏見、差別もなく、何よりも日本人女性は
自分たち家族全員の稼ぎの何十年分にも相当するお金を持って嫁に来てくれるのですから。
でも、どうして、定職もまないビーチボーイのバリの男性に日本人女性が惹かれたのか?
一つは、日本人男性にはない、優しさです。
かれらは、結婚にこぎ着けるまで、徹底的に彼女らに誠心誠意尽します。
現代の日本人男性が持っていないものを持っているのです。
しかし、結婚後の現実はかなり違っているのを、私は多く見ています。
結婚しても、働かない・・・ほとんどこれが現実です。
ほとんどの日本からのお嫁さんはバリ島では莫大な価値の持参金で、ロスメンと云う民宿を愧じます始めます。
私が、退職後始めて3週間宿泊したロスメンは二人で一泊朝食付きで、1600円、15ドルでした。
詳しくはロングステイ バリで書いています。
それでも、ロスメンとしては日本人シニア夫婦が長期宿泊する高級の部類で、実際には10ドル以下が普通でした(その頃は)、
或いは、日本人お嫁さんのお金で、お土産物屋さんを営んだり、車を買って旅行社として独立したりするのが普通でした。
ですから、日本人観光客に危害を加えることは、バリ島全体の経済に影響しますから、普通は絶対にあり得ないこと、タブー
なのでした。
若し、自分の身内からそのような日本人女性に対する犯罪を起こした場合、本人だけでなく、一族郎党、バリ島に
住めなくなるくらいのバリ・ヒンドゥーの社会が存在しているのです。
しかし、もう10年もバリ島に行ってませんが、聞こえてくるのは、日本人観光客の減少、それに反比例して増えている中国本土系
の観光客の増加だそうです。
その兆しは、私がバリ島に頻繁に通っていた末期、10年前ほどから感じていました。
長い付き合いの日本語ペラペラ、メールも漢字で書いてくるガイドの青年が、今、独立を考えていて、弟に韓国語と中国語を
学ばせたいと云っていました。
そんなバリ島で起きた事件、久しぶりに聞く日本人女性への犯罪。
そんなに日本のTV局が朝夕のニュース番組でとりあげるほどのことはないのでは、これがアメリカやブラジルで起きていたら
これほどのニュースになっていたでしょうか?と考えてしまいます。
バリ人を擁護する訳ではありませんが、バリ人は、自分たちの生活基盤の日本人観光客をターゲットする犯罪は先ず起こしません。
やるのは、インドネシア本土から来た出稼ぎ、ジャワ人、スマトラ人でしょう。
もし、何か懇意、親しく接するような現地と人と知り合ったら、さりげなく、地元の人に、
バリ人なのかどうか確かめても良いでしよう。
12/14 大分旅行記 別府・杵築・臼杵・湯布院 二泊三日
早期退職してからの10年間は、海外ロングステイ候補地探し、終の棲家、青い鳥を探す旅に明け暮れいましたが、65才にして
パスポート更新を止め、海外旅行を卒業しました。
それ以降は国内旅行に切り替え、原則、ひと月に一度、2泊3日二人で予算10万円の旅を続けています。
今年最後の旅は、九州・大分県、別府を拠点に廻ることにしました。
私たちの旅計画では、九州・四国・沖縄はJR列車好きのカミサンですが航空機を使います。
そして、毎年秋から冬にかけての旅は、西日本に向かうことが多い理由は、台風です。
せっかく、旅に出ても雨・風やフライトキャンセルでは、旅が台無しになるからです。
昨年の12月は博多でした。
今年は私が昔高校生の時、バツクパツカーとて訪れた大分・別府を54年ぶりに訪れました。
羽田から大分空港へ
今回はANAジャランパックを使いました。
往復のフライトと宿泊ホテル(駅近・デラックスツイーン・素泊まり)を自由に選び、二人で合計72,000円ですが、空港のANAショップで使える
買い物クーポンが4,000円つきますので、実質68,000円です。
羽田発7:50の朝一番のフライトは、関東首都圏でも間に合わない地域があるのかも知れませんが、湘南に住む私たちは、6時台前半の
電車で横浜で京急乗換一本で楽勝間に合います。
大分までの機材は、座席が3プラス3の中型機で、ほぼ満席でした。
大分空港は、意外と別府・大分からは距離があり、高速バスで1時間、1,500円と結構遠いです。
私たちは、直接、今回のホテルのある別府には向かわず、最初の目的地「日本一着物が似合う城下町 杵築」に路線バスで
向かいます。
今回、日曜日と平日のバス時刻表を読み間違いてしまい、空港で40分以上の暇な時間が出来てしまいましたが、
何と、空港内に温泉県らしく、足湯があったのでそこで過ごしました。
城下町 杵築を歩く
杵築は国東半島の南、別府湾に面した、譜代32,000石、松平氏の城下町です。
大分空港から路線パスで40分の小さな町です。
大分空港からこの路線バスに乗ったのは、東京から来た一人旅の男性と私たち夫婦二人だけでした。
この男性とは、今回の旅の先々で出会うことになりました。
彼は元大手旅行会社の添乗員をやっていたようで、旅行好きの私たち
話が尽きませんでした。
杵築は大きな谷間が町の中心にあり、坂の多い町です。
至る所に、趣のある坂が多く、この坂の風景と着物が似合う城下町として、古い街並みや城下町ファンの間では有名な町なのです。
名物料理に興味がない私たち夫婦
小さな町ですから、1時間もあれば主な坂や屋敷は回れます。
ここから別府に向かう路線バスは本数が少なく、観光が終わってもまだ1時間近く残りましたので、ここでお昼にしました。
観光地の食事は「高い」「名物料理にうまいものなし」は常識で、大観光地「鎌倉」に住む私たちは痛感しています。
今回の旅から戻ってきた時、カミサンの友人の鎌倉婦人から、この季節の大分なら「関アジ、関サバ、ふぐよ、食べてこなかったの」と
云われたそうです。
毎月毎月、日本中を旅している私たちは、そんな贅沢な食事が出来るほどの予算もなく、ましてや元来、食に興味が
ないのです。
バスターミナルの近くに、定食屋さんがあつたので入ってみました。
メニューをみると安いのです。
頼んだのが「ころ鯛の煮付定食」税込み700円です。
ころ鯛がどういう魚なのかも知らず、値段で注文したので期待は全くしませんでしたが、でてきたお料理にびつくり大きなタイの煮付でした。
今回の旅は幸先良い、鎌倉をはじめ日本の観光地の食堂、レストランも見習えよ、と思いました。
別府で行きたい所は「湯けむり展望台」
別府は私も、カミサンも二度目です。
駅から徒歩10分のシティホテルにチェックインした後、向かったのは地獄めぐりではなく、2000年にNHKが視聴者からアンケート募集した
21世紀に残したい日本の風景の第2位にランキングされた、湯の町に立ち昇る湯けむりが一望できる風景の地です。
事前に、ネットでこの住宅街の真ん中にある小さな公園への行き方を調べておきました。
ネットでの情報を持つて、駅前観光案内で確かめると、確かにこのルートで行けるけど、最寄バス停に行くバスの本数が極端に少なく、
おまけに、展望台までは登りの急坂を20分登ることになるから、こちらのルートと勧められたのか、別府の大観光地、地獄めぐりの拠点鉄輪
から歩くルートでした。
ネット情報よりも、現地の観光案内所を学びました。
2日目 城下町 「臼杵」へ
臼杵は別府から大分先、JR各駅停車で一時間の城下町まです。
昔、高校2年の春、バックパックを担いで、この石仏を見に来た思い出の地を、今回カミサンと訪れました。
天気は予報と違ってかなり怪しくなり、傘を持参の旅となりました。
各駅停車車内は平日の朝なので、通勤客、学生で大分までは東京の電車並みに混んでいましたが、大分を過ぎると、2両編成になり
乗客は私たちを含め、3人でした。
その一人は、大分空港で杵築行きの路線バスを待っていた、あの男性でした。
臼杵駅に到着し、臼杵石仏群まで行くバスまで90分ありますので、城下町「臼杵」を歩くことにしました。
臼杵藩は春日野局につながる稲葉氏が藩主の65,000石の小さな外様の藩です。
天守閣は残っていませんが、広大な城跡の石垣が見事なのと、古い街並み、美しい三重塔が残されています。
ちょうどこの日、臼杵市内のお寺さんによる、托鉢が行われていました。
少し雨が降ってきて、観光客は私たち夫婦と、ヨーロッパ系白人老ご夫婦の二人だけでした。
後から知ったのですが、臼杵の見所の一つとして、隣駅「上臼杵」は日本最古の木造駅舎だそうで、寄るべきだった後悔してます。
臼杵石仏群へ
臼杵石仏群へは1時間に一本の路線バスで20分ほどです。
このバスの乗客も先ほど街中で知り合ったヨーロッパ系白人老ご夫婦だけでした。
臼杵石仏とは
古園石仏大日如来像に代表される臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われています。
その規模と、数量において、また彫刻の質の高さにおいて、わが国を代表する石仏群であり、平成7年6月15日には磨崖仏では全国初、
彫刻としても九州初の国宝に指定されました。
その数は、60余体にもおよび、このうち59体が国宝となりました。
石仏群は4群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、同第2群、山王山石仏、古園石仏と名づけられました。
それぞれに、傑作秀作ぞろいであり、表情豊かな御仏の姿は、みる者の心にやすらぎをあたえてくれます。
また、平成29年3月には古園石仏郡の手前右側の岩壁に刻まれた2体の「金剛力士立像」が、国宝に追加指定されるという内定が出されました。
これにより、臼杵石仏(磨崖仏)は合計で61体が国宝となりました。
ここまで、杵築城町、湯けむり展望台、臼杵城下町と観光地を歩いてと思っていましたが、観光客の姿は意外とまばらだったのに、この石仏
入口駐車場には何台もの団体観光バスで停車していました。
クラブツーリズム・阪急の旗が見えました。
昔、高校生の時に来た時は、野づらの崖に彫られたままの石仏は、今や屋根に覆われ、道も階段も整備された大観光地と化していました。
旅の三日目 初めての湯布院へ
今回の大分の旅のなかでカミサンが一番期待していたのが、湯布院でした。
アジア系の観光客や、日本の若い女性で大人気の観光地であり、カミサンの大好きなお土産物購入の楽しみの地なのです。
私と云えば、大分旅行の1週間前から毎日、ネツトの天気予報を眺めており、今回の3日目は確実に晴天と期待していたののですが、確かに出発
地点の朝の別府駅前は晴れ模様なのに、バスが湯布院高原に近づくにつれ、怪しくなり遂に、湯布院に到着した時は、みぞれ模様の天気となりました。
湯布院は、関東で云えば、軽井沢のようなところです。
湯布院の街中は、軽井沢で云うと旧軽通り、湯布院の見所の一つ「金鱗湖」は軽井沢で云うと「雲場池」です。
しかし、12月第一週、雨みぞれ模様の高原、湯布院ではマフラー・手袋・厚手のダウンジャケットでも寒く、観光どころではありません。
観光案内所では、ストーブが焚かれていました。
それでも、アジア系外国人観光客、特に女性はめげずに食べ歩いています。
ここでも、湯布院行きのバスの出発地別府駅西口で、私にバスのことを訪ねてきたシンガホールの二人連れの女性たちと会いました。
湯布院の街中は、アジア系外国人女性をターゲットとしたお店もが多く、このトトロをテーマにしたお店では、写真撮影待ちの行列が出来ていました。
彼女らに、ちゃんと冬支度してきているけど、シンガボールで不要でしょ、どうするの?と聞くと、毎年、日本の冬に来ることを楽しみにしているので
全然無駄ではないとの返事でした。
彼女によると、この街を歩いている一見中国人と思える人の大半は、台湾・香港・シンガポールだそうです。
分かるの?と聞くと、だいたい雰囲気と、服装、お化粧で解るそうです。
日本人と韓国人は違いは解る?と聞くと、全く解らないそうでした。
別府の公衆浴場にお試し入浴
あまりも寒いので、二本早めのバスで別府に戻りました。別府はピーカンの晴天でした。
後は空港に行って帰るだけなのですが、まだ時間が3時間も余ってしまい、
そこで、来た時から気になっていました宿泊しているホテル前にある、市営温泉・いわゆる大湯、銭湯に行って見ることにしました。
料金は100円、シャンプーも石鹸もタオルもなく全て自分でもっていかなくてはなりませんが、ものは試し、話題作りと時間つぶしに入ってみました。
別府の湯は無色透明・匂いもなく、普通の銭湯とおなじです。
湯舟はぬる湯と熱湯に分かれていました。試しに熱湯にチャレンジしましたが、熱いのが好きな私でも、足をいれただけで降参です。
湯上りに、冷たいコーヒー牛乳を片手を腰に当てて、ぐいっと飲んで、今回の大分の旅は終わりました。
12/8 私たちの退職後の国内旅行、節約旅行の今月の行き先は・・・・
私たちは、5年前に海外旅行を卒業してから国内旅行に切り替え、基本、2泊3日の自由個人旅行の形態で
1か月に一度、旅に出ることにしています。
理由は簡単、暇だからです。
二人とも、16年前に退職してから短期のバイト、有償ボランティアをしてきましたが、カミサンは65才以降、
頼まれても仕事はせずに、もっぱら鎌倉婦人とのお付き合いスポーツクラブと、趣味の手芸で暮らしており、
私は、主な居場所だった地域のボランティアセンター関連を70才定年を提唱して、率先して一線から引くよう
に努めていますので、暇なんです。
よく、そんなに毎月2泊3日の旅行にいけるね、という声を聞きますが、これはある程度退職前からのプラン通りで
予算化はしています。但し、傍からみるほどの豪華な旅行ではなく、全て手作りで公共交通機関を使い、宿泊は
初老の夫婦が泊ってもそんなに見すぼらしく見えない程度のレベルのホテルの素泊まりで、自宅からのドアーtoドアーで予算は
10万円に抑えているからです。
2019年の我が家の旅行計画では、12月は第4週に、日本一早い菜の花畑と開聞岳の風景を見に、鹿児島に行く予定でした。
鹿児島の理由の一つが、デルタのマイレージです。
現役時代の海外旅行では、マイレージ永久不滅のノースウェストを多用していました。
退職後も、バリ島・バンコク・マレーシア等は敢えて、ノースウエストを利用するようにしていたのですが、
デルタと一緒になってからは、海外は遠ざかり、何時かはこのマイレージを国内で使おうと考え調べた所、デルタの
日本国内パートナーは、スカイマークだけなのです。
それも、ユナイテットのスターアライアンスと違って、必要なマイル数は倍なのと、羽田から出るスカイマークの路線は
限られており、魅力ある地は、鹿児島と沖縄程度です。
それでは、西郷ドンの影響もありますが、何度か行ったことのある鹿児島ですが、最も見たい風景日本一早い菜の花の咲く風景
「開聞岳と菜の花畑」を見に12月の4週に行こうと計画していました。
しかし、12月2週目に私の前立腺PSAの2泊3日の検査入院が入り、その結果が24日と決まり、結果が悪いと旅行に行く気分
でもないと断念し、私の好きな暖かい温泉と、趣のある玄人好みの城下町「杵築」と「臼杵」のある大分に決めました。
旅行予算は2泊3日、二人で10万円です。これは厳守です。
先ず宿はネットで決めます。別府の温泉は郊外の鉄輪周辺に多く集まっていますが、私たちは個人旅行、足の確保が必要
になりますので、原則メインターミナルから徒歩圏、ツインベッド、22平米以上のシティホテル、出来れば大浴場・露天風呂
があるホテルがベストです。
次に、このホテルを列車或いは飛行機のセットを組んでいる旅行サイトを調べます。
出来るだけ、マイルの貯まるANAがベスト。当然ながらフライトの時刻により値段は変化します。羽田始発の7時台のフライトは
意外にも追加料金なしの設定になっているのは、東京郊外のひとにとってかなりキツイ時間帯のせいですが、私たち湘南に住む
人間には辛うじて使える時間帯なので始発便を選びます。
帰りの便は、目いっぱい滞在時間を延ばしたいので、夕刻便を選択します。
当然ながら、基本便よりも割高になりますが、全日空発売のホテルセットを使うと、一泊につき1,000円の空港売店で使える
クーポンが付いてきます。二人で2泊ですから、4,000円のクーポンが付きます。
お買い物大好き、お友達とのお土産交換が大好きの鎌倉婦人グループのカミサンにとって好都合なのです。
最終的に、ANAジャランパックへの支払いは72,000円でした。
ここに、現地移動交通費、観光入場料、3日間の食事代、そしてカミサンの大好きなお土産代が
追加され、お土産代の一部に使える4,000円分のクーポンを差し引きますと、残る予算は後、32,000です。
地方都市の移動・交通費は結構高いです。
一日目
大分空港から最初の観光、城下町杵築まで、路線バスで40分、720円
杵築から別府北浜へは路線バスで1時間、1,000円
ホテルから温泉地の鉄輪まで路線バス往復 660円
二日目
JRで別府から臼杵は、各駅停車で1時間、950円
臼杵から路線バスで臼杵石仏まで、20分 往復660円
入場料 一人550円
臼杵から別府へJR各駅停車 950円
三日目
別府から湯布院へ路線バス 1時間 1,000円
湯布院から別府へ路線バス 1時間 1,000円
別府から大分空港まで高速バス 50分 1,500円
交通費と入場料など、一人約9,000円、二人で18,000円掛かりました。
残りの14,000円で、旅行中の食事代を賄うことになります。
一日目の昼・夜、二日目の、朝・昼・夜、三日目の朝・昼の8回です。
友人はこの季節の大分なら、関アジ・関サバ・フグが美味しいよ、とアドバイスしてくれますが、私たちの予算では
とても、そんな名物は食べられません。もともと私たち夫婦は、食にそんなに拘りがないので、普段どおりの
食事内容で済ませており、B級グルメで十分なのです。
今回、大分の名物のだんご汁ととり天で、大満足と云うお金がかからない夫婦なのです。
大分・別府の旅、2泊3日なら大手旅行社の団体パックで食事・観光つきで二人で10万もかからないのは
分かっています。
しかし、私たちの場合。ただ単に観光地を効率よく廻る旅は苦手で、自分たちの行きたい場所、
見たい場所を自分たちのペース、時間で動きたいのです。
確かに地方の公共交通機関を使っての旅は、無駄な待ち時間が沢山あります。でもそれで良いのです。この
待ち時間に、団体パックでは味あう事の出来ない、色々な出会いや経験が沢山あるのが、個人自由旅行の楽しみ
でもあるのです。
今回も、色々な出会いや、ハプニングがありました。
別府・湯布院・杵築・臼杵の詳しい旅の内容は、次週の本欄でご紹介します。
12/1 11月の映画二本は、何れも社会派。「閉鎖病棟」と「ひとよ」
月に一回は映画館に出向き、映画を見るように心がけています。
一番大きな理由は、暇だから・・・なのですが、最近、ちょっと忙しかったので、二月前の「天気の子」が最後でした。
NPO関係の広報web担当をしているので、秋に集中するイベントが多かったせいで、一日中、自宅自室で
パソコンに向かう日が続くと、まる一日誰とも会わず、会話を交わすこともない日がこともあります。
顔を合わせ、会話しするのは、40年以上一緒に暮らしている、カミサンだけと云う日が続きます。
まあ、これが普通の70代、60代の年金夫婦の普通の退職後の生活と云えないこともないのですが。
映画館は、自宅から二駅先の湘南モール内のシネコン109cinemaが多いです。
ここに来ると、普段生活している鎌倉の住宅街とは全く違った環境です。
平日の自宅廻りと云えば、緑の丘陵、谷戸に囲まれた比較的静かな、住宅街。
行きかう人は、顔見知りのシニアと、近所の小学校に通う子ども達です、毎日の買い物に行く、駅向こうの
商店街も、歩いているのは、同じ世代、シニアの女性が圧倒的に多く、仕事場でもあるNPOセンターで出会う
人々もほぼ同じ世代の人々です。
しかし、二駅先の湘南モールは、私の暮らす地域と全く違って、行きかう人々の世代は圧倒的に若く、そして
少子化・高齢化問題は何処の国の話かと思われるように、賑やかに、笑顔を交じわせ会話しながらモール内を歩く
若い世代、子供たちで溢れています。
リタイヤライフは、時にはこうやって、賑やかな場所に出て行かねば、違う世代と、少なくとも袖すれちがわなくては。
それが、私が月に一度は、町の映画館で映画をみたい、第二の理由なのです。
先週、カミサンが「閉鎖病棟」と云う映画って、何処てやっているかパソコンで調べてと云ってきました。
「どんな映画なの」
「なんか、鶴瓶が主演の痴呆老人が入る、精神病院のお話のよう」
「ふーん、何時かはお世話になるかもしれないので、見ておこう、と云う魂胆なの」
「そうよ、貴方が入るかもしれない」
そして、先週、カミサンはお友達と二人で見に行きました。
帰ってきて、「良い映画だった、予想していた話とかなり違っていたけど」
「昔、ちょっと目にした山本周五郎賞を受賞した精神科医が書いた小説の映画化だった」
「痴呆老人のお話ではなく、オープニングがショッキングな映画」
「話さない方がいいわね、是非、貴方も見に行ったら、最近映画みてないようだから」
と云うことで、お天気も雨模様の予報、ちょっと時間が出来たので、一人で見に行きました。
私たち夫婦は、原則、映画は一人で見に行くことにしています。
日曜日、連休の中日で109シネマのロビーには、若いファミリーで混雑しているのに11時25分開演、
上映する149席のシアータ5はガラガラです。
最近のはやりの大型シネコンの上映ブログラムは、ハリウッド製のCGを駆使したアクションものや、子供・若者向けのアニメーション
や、また実写にしても、若者向けのコミカル恋愛ドラばかりで、私たちシニアがじっくりと見たい、社会派ドラマが
極端に少なくなってきています。
149席のシアターは上映直前でも2割程度しか埋まっておらず、見渡すと、ほぼ全員が大人、シニア、女性でした。
映画は、カミサンが云っていた通り、かなりショッキングな映像からスタートします。
少しだけあらすじを書くと・・・
妻の不倫現場に遭遇した主人公は、その場で妻と不倫相手を刺殺し、死刑を宣告され執行されます。
拘置所内の絞首刑現場から物語は始まりますが、執行された殺人犯は、息を吹き返してしまいます。
日本の法律では、一度絞首刑を執行した刑事犯にたいして、再度の死刑の執行は出来ず、法務省は仕方なく
この受刑者を、世の中の目に触れぬ、精神病患者を収容する精神病院の閉鎖病棟に死ぬまで収監する
措置をとります。
映画は、この閉鎖病棟に暮らす、患者たちを中心に回ります。
「誰でもが、心の中に、何かしらの問題・不安を抱えて生きている」がこの映画のテーマです。
見終わって、私の映画評価は、カミサンの云うほど感激はないものの、100点満点の85点。
やはり、映画はいい。
暇だからと云ってTVの楽屋落ち、おふざけ、お笑い芸人の番組をみるよりも
電車で賑やかな場所に出向き、1,200のシニア料金を払って、お昼は、何時もとはちょっと違ったランチを食べる。
1日3,000円、月に一度か二度、そんな日を持ち続けたいと、団塊・年金シニアのおじさんは願っています。
そして、二週間後、
これまた暇を持て余していましたので、「閉鎖病棟」の予告でやっていました、田中裕子の「ひとよ」を
見に行きました。
これまた、特に映像が綺麗とか、サスペンスとか、ストーリーが面白いとか、好きな女優が出ているのでもないのですが、
大人が見る映画が極端に少ないのです。
ストーリーは、子供の為に父親を殺した母親と残された子供三人のお話ということは、前回の予告で分かっていました。
上映スケジュールは通常、金曜日から封切りで、劇場側は最初の一週間の客の入りをみて、次の週の上映日程や時間を
決めるののですが、第一週の客の入りが相当悪かったようで、上映時間は中途半端な午後の3時からでした。
全日にネットで座席を予約しようとみましたら、一番小さな84席のシアターなのに、一つも埋まっていませんだしたので、予約せずに
当日の10分前に行ったところ、何と、空いている席は、最前列から二番目の席しか空いていませんでした。
トイレが近いので、二列目の通路側を選択し、入ってみると、観客の9割ほどは、同じ世代と思える女性、おばさんばかりでした。
映画は、15年服役して出所して子供らが待つ自宅に戻るシーンから始まります。
ひたすら、全編、家族とはを問いかける社会派映画でした。
100点満点の45点。
最後までみなくても、内容もエンディングも私の想像を超えるような内容ではありませんでした。
11/24 横浜市林文子市長のカジノ誘致の決断?
かなり前ですが、朝日新聞天声人語は横浜市長のIRカジノ誘致に問題について書かれていました。
天声人語は、四季折々の移ろいや、人物を取り上げて、歳時記のように展開するコラムと理解しています。
それが、かなりハッキリとした論調で、林文子横浜市長よるカジノ誘致について疑問を投げかけていました。
天声人語から一部引用
先週、カジノ誘致に名乗りを上げた林文子横浜市長は、市議会で質問攻めにあったが、その答弁が味わい深い
例えば「全ての博打が悪いと云うのは違う」
「競馬をご覧になって解ると思うが、その凄い数の人が馬に対する思いとか、感謝を持っている」
ルーレットやスカードに対する思いや、感謝がしかるべきということだろうか?
又、ギャンブル依存症の人が増えるのでは、との質問に
「医学部のある横浜市立大学に、医療面を中心に大きな役割を果たしてもらう」と答えている。
横浜市は私の住む鎌倉市の隣ですが、こんな答弁を公的な議会でする市長がいるのに不安を覚えました。
林文子横浜市長という方は、これまで漠然とですが知っていましたが、改めてネットで調べてみました。
林文子横浜市長ってどんな人なの?
ネット上で沢山の情報が溢れていますが、要約しますと、1946年生まれ、現73才 高卒後、東レ・松下・立石などの電機メーカーに
勤めたあと、自動車販売会社に転職し、持ち前の才能が開花し、車セールス全国トップクラスになり、その実績を持って外資系自動車メーカーに転職
、BMW東京社長に就任、63才の時に、ダイエー再建を託されCEOに就任するも、辞任(更迭?)
63才で横浜市長に民主党推薦で出馬、現在まで3期、市長を務めている。
簡潔な、率直な感じで述べると、ただ単なるトークの上手いセールスレディとしか読み取れません。
女性活躍時代と云うメディアの潮流に乗って、カリスマ経営者の如く、扱われているのではないでょうか。
天声人語から一部引用
IRリゾート誘致で横浜市は年間最大1200億円の増収効果を見込む
現在の横浜市の税収の15%に相当する額で、これでは市の財政そのものが「カジノ依存症」になってしまう。
林市長は
「子育てや医療などの安全・安心な生活を守るために決断した」と云う。
この答弁に絡んで、IR候補地「山下ふとう」を拠点とする。
「ハマのドン」こと藤木幸夫横浜港運協会会長が「山下ふ頭は我々の聖地。
命を懸けて反対する」と声明を発表した。
益々、このIR誘致は、地元選出「菅官房長官」とそのボス「安部首相」、そしてカジノ業者に連なるトランプアメリカ大統領
のきな臭い政治問題に発展しそうです。
ここは、「子育てや医療などの安全・安心な生活を守るため」が理由なら、将来の子供たちの環境を守るために、若い
横浜市民、女性が立ち上がるべきでしょう。
私は個人的にはカジノは大好きです。
20代の頃から世界中を旅して、カジノがあると聞けば、必ず立ち寄ってきました。花街と博打との二者選択云えば
躊躇せずに、CASINOでした
確かに、カジノのある町は、道路も公共交通機関も整備され、一見豊かな、美しい街に見えます。
しかし、その財源は、カジノで負けた一般庶民の負担によるものです。
カジノのある街には必ず、その負を象徴する裏町が必ずあります。
質屋が連なる街区、売春宿、浮浪者、路上生活者、昼までも独り歩きが危険な通り。
カジノ運営は収益事業として、120%儲かるようになっています。
理由は「ハウスルール」です。
ギャンブルは、賭ける側客とカジノ運営者側の条件が5分5分ではなく、ハウス側が有利になっています。
ですから、数学・統計的にみると、最終的には必ず、客は負けるようになっているのです。
私が頻繁にラスベガスに通っていた頃書いた記事
ブラックジャック必勝法i
に詳しく書いています。
こんな市民の負担で得た金で、「安全・安心なまちづくり」を林文子横浜市長を目指すのでしょうか?
横浜市の300万有権者市民の良識に期待します。
11/17 お天気を見ながら、当日の朝決めて、富士山・河口湖の紅葉へ
先日の掲示板投稿では、富士山が綺麗に見れる、超定番の日本平から「日本平夢テラス」と云うタイトルの投稿がありました。
みんなの画像投稿板参照
数年前から、日本各地に○○テラスという、若い女性客をターゲットとした、風光明媚な山頂付近に、
お洒落なレストラン・カフェが出来てきています。
この○○テラスは、一次ブームが去った、野辺山高原の清里テラスが火付け役となったようで、
私のユーチューブサイトは驚異的なアクセス数が伸びています。
YouTube 清里テラス 参照
この投稿に「日本平夢テラス」刺激された訳でもないのですが、毎日の晴天続きと、TVニュースの河口湖紅葉祭りを
見て富士山と紅葉の画像と動画撮影に行くことにしました。
河口湖紅葉祭りのバスツァーはこの季節、阪急・クラブツーリズム等各社が沢山、日帰り一万円以下で催行されていますが、
富士山等の自然相手の旅行は、天候次第なので、天候・天気予報をみながらの、予約なしの個人旅行がベストです。
湘南藤沢北口からトイレ付高速路線バスがでてる
しかし、車の免許がない、湘南に住む私たちにとって、富士山ろくへのルートは、結構遠いのです。
一般的には、東京・新宿に出て、JR・富士急で行くか、バスタ新宿から、高速バスで行くのが定番ですが、
最低でも3時間ちょい、料金も片道4,500はします。
ツァーなら一万円以下でランチや富士山以外数か所の名所へ行けるのは解っていても、自然相手の撮影が目的の旅行は、
個人・自由旅行に限るのです。
そこで、ネツトで調べてみると、なんと、お隣の藤沢駅から、一日一便でけですが、河口湖への路線高速バスそれも、
カミサンの希望するトイレ付バスがでているのが判明しました。
そして藤沢駅北口発、と云う事は、我が家の前のバス停から、河口湖駅まで、一歩も歩かずに到着してしまうのです。
所要時間は2時間10分、これは行かなくては。
藤沢・河口湖の需要はそんなに多くはない、と思っているのですが、ネットでは原則、予約が必要とのこと。
そこで、神奈中に問合せすると、出発地地点で空席がある場合に限り、予約不要との回答でした。
ここから、毎日、「河口湖 天気予報」、「河口湖 ライブカメラ」と検索する日々が始まり、11月の第2週の水曜日に
出かけることにしました。
藤沢から河口湖までどうやって行けば、2時間でいけるのか不思議でした。
走ってみて分かったことは、湘南から最後の乗車できるバス停本厚木駅まで、車を運転しない私が知らないだけかも知れませんが、
新しい「新湘南バイパス」、「圏央道」、「東名高速」と乗り継いでいくではありませんか、びっくり。
そして「厚木」から「河口湖」へは「圏央道」・「中央道」と繋がっていて、列車しか知らない私たち夫婦は再びびっくりです。
新倉山浅間神社へ
私たちは、最終ストップの河口湖手前の、高速下吉田で下車し、海外インパウンドの間で絶大な人気の、
インスタ映えするスポット、新倉山浅間神社へ向かいました。
小高い山の中腹にあるこの神社へは数百段の石段を上るのですか、一番人気の桜の季節では、この階段の下から上まで
外国人旅行者の行列が出来、一方通行の係員が出るほどの人気の地です。
真正面に富士山、右手に赤い五重塔、そして前景は春は桜、秋は紅葉ですから、人気になるのも納得です。
京都のインパウンド旅行者の多さに呆れていましたが、富士五湖周辺はそれ以上で、平日の木曜日の午前10時
、ここにいる観光客の100人に98人は、外国人観光客でした。
そして、神社の配慮でしょうか、仮設テントのもスリム用礼拝所まであり、脱帽です。
富士急下吉田から河口湖駅へ
新倉山浅間神社から富士急下吉田駅へも、道路上に解りやすい絵でかかれた、標識が各所ありました。
富士急下吉田駅の次は、「富士急ハイランド」なのですが、意外にもインパウンドの若者は下車しません。
良くみるとこの日水曜日は閉園日なのです。
彼は実に良く調べて来ているようです。
河口湖駅から周遊バスに乗る
ここでは、富士五湖(山中湖を除く)への周遊1日パスを使います。
主には、河口湖を中心としたレッドラインバス、は15分間隔でています。
西湖へはグリーンラインバス30分置き、
精進湖、本栖湖へはブルラインバスでこれも30置き。
これを上手にに使い分ければ、1日1,500円で何回も乗り降り出来ます。
感心したのは、このバスセンター、お土産物屋さんのスタッフの英語力です。
これだけインパウンドの旅行者が多いので、皆さん、達者な英語で旅行者をさばいていました。
河口湖周辺
この時期、河口湖では紅葉祭りが開かれていました。
しかし、今年の紅葉は好天候続きで、かなり遅れており、ほんの一部が綺麗に紅葉しているのにとどまっていました。
午前中はお天気もよく、富士山には雲もかからず、前景の赤い紅葉との「絵葉書的」な写真は何処でも撮れましたが、途中で半分飽きてきます。
朝が早かったので、レッドラインの終着地の、河口湖半で一番が美しい、「河口湖自然観察館」まわりでランチにすることにしました。
ほとんどのレストランは山梨名物の「ほうとう」がメインです。
いわゆる、鍋煮込みうどんなのですが、この高いことにびっくりです。
多寡が、煮込みうどんなのに、最低1,100円、なかには牛肉入りで1,800円もします。
一般的に、都会の食堂、レストランの価格は、材料費の3倍が常識なのですが、ここ外国人観光客相手の商売は違います、サービスは悪い、出てくるのが遅い、そしてべらぼうに高い、不味い、熱くない、硬すぎ。
都会の街なかでしたら、とっくに潰れるだろう、レストランばかりで、特に一番ひどかったのは、河口湖駅前の「ほうとう不動」という店でした。
この店の対応を見ていると、日本人として恥ずかしい想いがしました。
ランチの後、何処を見ても、綺麗な富士山の姿と、外国人観光客で、だいぶ飽きて、次を目指しました。
西湖いやしの里根場へ
レッドラインで一度、グリーン乗り継ぎバス停へもどり、興味あるバス停名に惹かれ、西湖を目指しました。
到着したのは、日本の古い古民家を移築した、テーマパークのような場所です。
13年前に開設された場所で、入場料は350円。
福島の大内宿、飛騨の白川郷を模したような場所ですが、移設された古民家と、春にはさぞかし美しいであろう、
外国人観光客だけではなく、旅慣れた日本人観光客でも、ゆっくりと寛げる場所で、対応する、現地村人さんスタツフの
対応もとても良く、今回の観光地のなかでも、春の季節に
もう一度、行ってみてもいいかな、と思われる唯一の場所でした。
17時、西の空は暗くなってきても、まだ富士山の姿がはっきり見えた、1日でした。
帰路は同じ、神奈中の路線高速バス17:30発、藤沢駅北口行です。
この一本しかないので、到着時に帰りの予約は入れておきました。
ここで乗ったのは、私たちを含めて5人だけ、途中のバス停で二人乗り、本厚木で4人降り、終着地の藤沢で下りたのは私たち二人だけでした。
これで、神奈中はやっていけるのか・・・人ごとながら、ちょっと心配です。
藤沢駅北口に少し遅れて、19:50分に着き、となりバス停には、我が家の前のバス停を通る、路線バスが待っていました。
JRで帰るよりは、バスは70円高いのですが、何よりも、私たちが住むマンションの目の前のバス停に停まるのです。
基本2泊3日の私たちの旅行ですが、久しぶりの日帰り旅行でした。
ここ、暫くは富士山に拘ることはないでしょう。
11/10 琵琶湖周辺を旅する三日間 その2、西岸今トレンドの観光地を廻る
びわ湖周遊の旅の二日目、この日も快晴です。
今日は、びわ湖西岸を廻ります。
白髭神社へ
びわ湖の旅を計画していた時、TVニュースでびわ湖水面に浮かぶ鳥居の映像を目にしました。
ニュースの内容は、びわ湖で遊ぶ水上バイクが、このびわ湖水面に浮かぶ鳥居の下を猛スピードでターンし
潜り抜けるシーンを映し、危ない、不敬であると報じていました。
そして、別のニュースでは、本体の白髭神社とびわ湖湖水側の道路には、横断歩道がなく、
観光客が横断禁止を無視して車の流れのなかを渡っていく姿を映しだし、危険と非難していました。
行って見よう、インスタ映えする画像が撮れる。
日本人にはあまり知られていなかった「びわ湖の鳥居」は、外国人観光客の間でのインスタで一気に広がったようです。
最寄り駅は、びわ湖西線の近江高島です。
草津からJR山科乗換で約1時間、990円です。
問題は、近江高島からの足です。
最寄り駅から2.2km、歩くと30分。
バスの便はないかと調べてみると、あったのがねデマンド乗り合いタクシーです。
元々、バス路線があったのですが、廃線になり、コミュニティバス代わりに、予約制のタクシーとして、
一人300円で利用できることが解り、予約しました。
駅に着くと、かなり多くの外国人が降り、駅前観光案内所で自転車を借りていました。
そういう手があったのか・・・、ネット時代で皆さん色々調べてきているようです。
もう少し、若かったら、少なくとも60代なら、自転車で行ったかもしれません。
乗り合いコミュニティバスかと思っていましたら、普通のタクシーでした。
本当に一人300円なのか再確認した所、廃線にともない、市から補助金がでているので大丈夫だそうてす。
別に、デマンドタクシーでなくても、近江高島駅から白髭神社までは、普通に乗っても1,200円ですから、
4人ならデマンドタクシーよりも安くなるし、時間も気にしなくて済むと話していました。
びわ湖テラスへ
JR近江高島から、次の目的地の最寄駅「志賀」へ4駅と近いのですが、快速が停まらないので、1時間に2本しかありません。
そして、目的地のびわ湖テラスへのロープウェ駅までの路線おうバスもびわ湖西線の時間に併せているので、これも1時間に2本です。
車に乗れない私たち(免許証は10年以上前に更新を止めていますので)が地方旅行で頼れるのは、路線バスだけです。
しかし、スマホ・ネット時代の到来で、どんな中小路線バス、コミュニティバスでも何時でも手元に時刻表情報があるので、
随分と助かっています。
びわ湖テラスとは
元々、ここはびわ湖バレーと云う所です。
この琵琶湖周遊西岸の志賀の山中に、近畿きってのスキー場があり、冬は関西のスキーヤーで混む所です。
そして近年、冬のスキー場のシーズン以外の運用が各地で検討され、暑い夏のシーズン、涼しさと絶景を楽しんでもらおう、
それも若い女性たちに、涼しい山頂に、女性たちが好みそうな、お洒レストラン、カフェをを造る試みが全国で広がっています。
一つの成功例が、清里テラスです。
バブル期に若い女性で溢れていた清里ですが、ブームが去って、閑散としたリゾートに再び観光客を呼び戻したのが、
冬のスキー場のリフトを利用した、山頂に若い女性向けのお洒落なレストラン・カフェを造り、涼しい夏の八ヶ岳の展望を楽しんでもらおうおうとしたリゾート施設が、再び清里に若い女性を呼び戻したのです。
その成功例にあやかって、びわ湖全体を見渡せる絶景を売りに2016年7月にびわ湖テラスは開業しました。
びわ湖テラスから眺める、びわ湖は絶景です。
しかし、ロープウェ料金は往復2,600円と、かなり高額です。
私たちは、白髭神社で使ったタクシーに乗った時、次に行く観光地は「びわ湖バレー」と云うと、運転者さんが
300円割引券をくれました。
この券で5人まで、一人300円安くなりました。
どのタクシー会社も割引券を配布しているかどうか知りませんが、びわ湖西岸でタクシーに乗った時に、ダメ元で一度聞いたら如何ですか。
びわ湖テラスのレストラン・カフェの値段は、ご想像どおり、滅茶苦茶高いです。
ハンバンガーが900円、コーヒーが500円でした。
絶景のお値段が含まれているので、仕方がないか。
びわ湖花噴水へ
次の琵琶湖西岸の観光目的地は、京阪線びわ湖浜大津です。
滋賀県のホームページによると
『琵琶湖観光の玄関口にある大津港の沖合いに位置し、世界最大級の長さを誇るこの花噴水は、平成7年3月の完成以来、
多くの県民のみなさまや琵琶湖を訪れた観光客のみなさまに親しまれています。
美しい琵琶湖を背景に噴き上げられた水は、高さ最大40メートル。
放水される水量や角度により、さまざまな形に変化し、昼は涼感風景を、夜はライトアップにより、
色とりどりの幻想的な風景を作り出しています。』
ここへは、夜のライトアップ時(夜の6時から)に行くのがお薦めです。
※水曜日はメンテナンスの為やってません。
場所は、京阪線びわ湖浜大津駅徒歩3分。
お目当ての画像はスマホでは撮れない
インスタ映えする写真・画像目当てで行きました・・がネットに溢れているような画像は撮れませんでした。
カメラはスマホだけ・・・これでは、ライトアップされた七色に変化する水幕は撮れません。
ネットに溢れているインスタ映えする画像を撮るには、スローシャッター・多重露光が出来るデジタル一眼レフを三脚に固定して何度も、シャッタースピード・多重露光時間を調整し、モニターを何度も見直ししないと、こんな写真は撮れないのを学びました。
スマホとネット画像2つを掲載しました。
番外の三井寺
このびわ湖花噴水の前に三井寺へ行く計画を立てていました。
三井寺の有名な梵鐘の音が聞きたかったのです。
しかし、何時に鐘が突かれるのか?
一般参拝客でもつくことが出来るのか?わからないままでした。
そこで、出発前日に三井寺に問合せしようと思い、ホームページを見ると、電話番号が掲載されておらず、
問合せメールフォームがありましたので、問合せをしました。
しかし、びわ湖滞在中の3日間、回答がなく、時間的に間に合わなかったので、結局パスしました。
帰宅した翌日、メールが届きました。
三井寺のあの日本一美しい梵鐘は、5時50分にお寺さんがつくそうです。
そしてそれ以外の時間は、一般参拝客でも300円喜捨すると誰でもつけるそうです。
来年、京都へ行った時に是非、この鐘の音を聞いてみたいと思っています。
最終日3日目は朝から小雨で、信楽へ。
予定していました、びわ湖西岸から比叡山へは、朝からの小雨で中止しました。
宿泊している「草津」からの帰路は、米原乗車「こだま」自由席なので、スケジュールは合ってもないような、
完全個人自由旅行ですから、鎌倉への帰宅時間を逆算して、3~4時間でいける所を考え、草津から1時間で行ける、
「信楽」に行くことにしました。
私たち夫婦二人は、陶芸・焼き物には全く興味はないのですが、「信楽」は今、NHKの朝の連ドラ「スカーレット」
の舞台になっているのを、草津駅構内のポスターで知ったのです。
草津からJR草津線、貴生川で信楽高原鉄道用にに乗り換え、50分です。
そざかし、「スカーレット」人気で混雑しているかと思いましたら、小雨の午前中、観光客も観光バスも全くなく、
小学生の社会科授業の子供たちだけでした。
信楽駅にも、駅前にも観光案内所はなく、売店でもらった地図を頼りに雨の中歩きだしたのですが、町は閑散としていました。
途中、産業会館のような建物を見つけ、ここで「登り窯」を見学できる場所を紹介していただきました。
きっと陶芸・焼き物に興味がある人でしたら、何時間いても楽しい土地なのでしょうが、狸の焼き物だらけの街
と雨に興味は薄れ、早々と何にもない駅に戻りました。
我が家へのお土産、記念品は
駅には、お土産物的信楽焼きのお店に一人女性店主が店番をしていました。
帰りの電車まで1時間近くあるのを知ったご主人は、「私は、今コーヒーが飲みたく、入れるので、ご一緒に」と云うお言葉に甘えて、三人でお店の中に椅子を並べて、ドリップコーヒーをいただき、カミサンはご主人の女性と、おしゃべりをして帰りの電車の時間まで過ごしました。
当然ながら、ただご馳走になってお店を出る訳にもいかず、小さな夫婦狸の置物(1,000円)を買いました。
これが、今回二泊三日で唯一、自宅ように買ったお土産でした。
11/3 びわ湖周遊の旅、その1、びわ湖東岸のお城と旧東海道の古跡をめぐる
退職16年目を迎え、海外旅行を卒業し、古稀を過ぎる年齢になると、国内観光の行く場所も初めての場所も
限られてきます。
退職直後の国内旅行の定番である、春の桜、秋の紅葉の京都も、毎年行っていたものの、
次第に感激が薄れ、外国人観光客の多さ、混雑、そして定番の宿の確保が難しくなってくると、自然に足は遠のいて
行きます。
私たちの毎月、2泊3日の個人自由旅行の予算は込々で10万円ですから、この範囲で、今まで行ったことのない観光地
・名所となると、限られてき、今回はJR東海ツァーズの新幹線+ある程度のレベルのホテルで、二人で50,000円と云うプラン
をJR東海のメールマガジンで探し出して、京都からすぐ近くであるのに、意外と知られていない、琵琶周辺を廻ることにしました。
長浜へ
新幹線は定番の「こだま」自由席で小田原から乗車して米原で下車します。
のぞみ・ひかりで行く京都よりもかなり安くなりました。
滋賀県に実家ある、写真クラブの友人に聞くと、長浜城は、再建と云うより、もともと、藤吉郎時代の秀吉が、長浜の琵琶湖湖畔
に建てた、館・砦程度のものを戦後、資料館として鉄筋コンクリートで新築したもので、歴史的・文化的価値のない建物と極評
していたものです。それでも桜の季節は、お城の公園の染井吉野が人気のようてすが、写真クラブメンバーレベルでは、
撮る意欲がない、程度だと話していました。
長浜の観光としては、黒壁スクエアという、旧北国街道沿い連なる街並、と云うよりお土産物商店街が有名ですが、写真クラブメンバー
の言葉を借りると、長浜の「鎌倉の小町通り」・・・、30分も寄れば十分という言葉は本当でした。
安土城へ
安土城
長浜を後にして、過去に二度寄った彦根城をスルーして、安土で下車しました。
織田信長の最後の城、来年のNHK大河ドラマの明智光秀によって焼き払われた、幻の山城です。
安土城は現存していませんが、当時の戦国時代の山城から、平城への過渡期である、標高199mの小高い山頂に造られた幻の城で
天守閣までの石段や、城壁が残っており、当時を偲ばせるには、十分で、現存する天守閣がなくても、楽しめます。
しかし、入口から天守閣跡の頂上までの石段・400段は、現代のコンクリート階段の高さや、幅と違ってね当時のままですから
現代人にとってはかなりきつく、下の入場口の脇には、杖が置かれており、「杖は必須です」と書かれていました。
頂上には、天守閣の基礎石だけが残っていました。ここから眼下にびわ湖が望まれ、対岸の山並みは、信長が忌み嫌った比叡山、
その先には、京都があります。
信長の野望と云う言葉がありますが、此処に立つと、その気持ちが解るような気がしました。
信長の館へ
この安土城が実際に使われたのは、1582年の本能寺までのわずか三年だけでした。
しかし、当時のお城の資料は、宣教師の手によって事細かく残されていたようでて、それを再現したのが「信長の館」です。
信長の館は、城跡から徒歩15分程度の場所にあります。
1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。
内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など
絢燗豪華な安土城がここに復元されていました。
JR安土駅から、安土城址までのバス路線はなく、また信長の館からJR安土駅までもないので、安土観光はひたすら、歩きです。
近江平野ののどかな田圃道を、スマホの歩数計は12,000歩を記録していました。
今回の宿のある「草津」へ
東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する場所で、京都の入口の最後の宿場です。
現在でも、京都・大坂のベッドタウンとして賑やかな大きな町です。
草津駅からJR琵琶湖線で20分で京都駅に着きますし、草津から草津線で信楽方面へは50分で行けます。
泊まったホテルは、草津駅前のシティーホテルで、かなり多くのアジア系外国人旅行客が泊まっていました。
11月から12月の紅葉時期の京都市内のホテルは高騰して、取りにくくなっておりたいぶ以前から、浜大津あたりのホテル
を使う団体ツァーが増えていますが、これだけインパウンドの団体が多くなると、今は宿泊は、草津や大坂まで伸びているのを実感しました。
草津は、琵琶東側へ行くにも、西側へ行くにも便利な場所であることを実感しました。
急がば回れの「瀬田の唐橋」へ
初日、3時過ぎ一旦、今回2泊する草津のホテルに入り、私たちの旅の鉄則の「お昼寝」をした後、「瀬田の唐橋」に向かいました。
「急がば回れ」。リスクのある近道より、遠回りだけど安全で確実な道を選ぶ方が得策だ、という意味のことわざです。
あまり知られていませんが、この言葉が生まれた舞台は、滋賀県の琵琶湖です。
敦賀・加賀から京都に向かう時に、急ぐあまり船で琵琶湖を対岸の水路でいくには、風や波のリスクがあり、反って遅れるかもしれない、
地道に北陸道を廻って京に向かう、びわ湖南岸にあるのが、この瀬田の唐橋です。
江戸時代の浮世絵師、歌川広重の浮世絵「近江八景之内」の「瀬多夕照」に描かれているので有名です。
この橋を見たくて、草津からJRで大石で下車、京阪大石乗換で「唐橋前」へ、徒歩3分で、夕やみ迫る、唐橋に到着。
一日目はこうして、びわ湖東岸の旅終わりました。
2日目、3日目の記録は、次週掲載します。
10/27 高齢者の銭湯券 無料だと思っていましたが・・
先月の9月16日は「敬老の日」だったようです。
敬老の日って、二人の両親が亡くなってからは、全く無縁の日で、9月の第3月曜日が何の祝日・祭日なのか
全く興味が有りませんでした。
しかし、違ったのです。
古稀を過ぎた団塊世代の私たちのこれからの老後を気遣い、長寿を祝う、国民の祝日なのだそうです。
そう云えば、昔、鎌倉市から高齢者向けサービスのお知らせが「広報かまくら」に掲載されていました。
お年寄りの公衆浴場・銭湯の利用券に関してだったのでしよう。
子供の頃、昭和30年代、家にお風呂のある家庭はごくわずかで、町内には必ず一つは銭湯がありました。
私の家は、貧しく、お風呂は週に3日でした。
近くの銭湯に、男兄弟3人でよく出かけました。
商売をしていたので、父親と一緒に銭湯に行ったのは、大晦日の夜しか記憶にありません。
成長して、上京して一人アパート暮らしを始めても、この週に3回のペースでしたし、やがて南米に渡ってからは
バスタブの生活はなく、全てシャワーで済ます生活が、20代半ば帰国まで続きました。
やがて結婚し、二人が住んだのは上野池之端の四畳半・三畳二間の風呂なしアパートでした。
この時、初めてカミサンから、風呂は毎日入るもの、下着は毎日着替えるものと知りました。
それ以前は、下着の着替えは風呂に入った時にするもの、それが日本人の常識だと思っており、如何に自分の
育った家庭環境は貧しかったのだと、思い知らされました。
当時、巷で流行っていた唄は、「神田川」でした。
二人で街の銭湯に行き、帰りの時間を決めていたのに、「何時も私が待たされた・・・」
「若かったあの頃、何も怖くはなかった」・・・まさにあの唄の世界でした。
やがて、日本経済の高度成長期。
高度成長・バブルを牽引する建設業界の一角に籍を置いていた私たちは、当時最先端の駅前大開発の一期目
の高層マンションを購入し、普通の標準的な日本人として生活をするようになりました。
アパート住まいの狭いお風呂から、いつでも入れるセントラル給湯のバスシステム、オール電化キッチン、
全ての部屋にエアコンのある生活が、当たり前となり、銭湯は遠い昔、昭和の世界の思い出となりました。
先日、地元の商店街の裏通りを歩いていて、銭湯を見つけました。
15年この街に住んでいて、銭湯があることをは知っていましたが、「あーここなんだ」と初めて知りました。
今、銭湯って幾らなんだろう・・・
そう云えば、市からのお知らせで、高齢者むけにサービス券の支給があると聞いていたけど・・・
そこで調べてみました。
(1)サービスの内容
65歳以上の市民の方に、市内の公衆浴場(銭湯)の利用助成券をお渡しします。
助成券をお持ちになると、1回につき200円で入浴できます。
(2)お申し込み先
高齢者いきいき課いきいき福祉担当または、各支所にてお申し込みできます。
※保険証等本人確認ができるものと印鑑をご持参ください。
※原則としてご本人及び同世帯の家族の助成券のみ交付します。
(3)利用上の注意
助成券は切離さず浴場にお持ちください(切離すと無効です)。
お渡しする助成券は一人 年一冊(72枚綴り)です。
助成券は他人に譲渡することができません。
紛失等などでの再発行はいたしません。
なんだ無料じゃないんだ!
通常入浴料470円のところ200円になる
72枚綴りと云う事は、72×200=14,400一度に払うことになる、確かに正規料金よりも19,440円お得。
でも、これって本当に銭湯が必要な風呂のないアパート暮らしの高齢者、生活困窮者向け行政サービスなの?
他の自治体では、高齢者に対して無条件で無料としている所もあるのに。
この質問を市役所に勤める知人に聞いたところ
「鎌倉市では高齢者向け施設に無料の大浴場があるので、そこで対応している」とのお答えでした。
しかし、実際にはこの施設は市のはずれにあり、車がないと利用しにくい場所にあるのです。
車のない私たちが、わざわざ不便な場所にあるその名も「高齢者教養センター」まで1日数本の
バスに乗って行くハズもありませんが・・・。
10/20 北海道の旅の三日目、外国人観光客に大人気の新名所、滝野霊園の頭大仏
今回の札幌の宿は地下鉄「中島公園」のJALシティーホテルです。
泊まった29日の10日前、9月20日開業したてのホカホカ・ピカピカのJAL系のセカンドブランドホテルです。
最寄駅・地下鉄から徒歩5分以内でツイン、21平米以上のお部屋、2泊ので私たちの予算25.000円内に納まった
ので、決めました。
北海道のシティホテルの多くは、大浴場があるのが助かります。
10月の初旬に旅する札幌ですから、大雪山ではないにしろ、ある程度の寒さに備えた用意をして行ったのですが、
私たちが旅した3日間の北海道は、ピーカンの天気の上、温度は8月下旬から9月初旬の温度で日中は25℃と暖い
と云うより、暑いが続いていました。
札幌と云う大都会のホテルから見る、東の空は、冬の東京の澄んだ朝のように、とても綺麗でした。
札幌に泊まるのは、退職してから16年で4回目です。
札幌以外にも、函館・釧路・登別・稚内・旭川と数えてみると、2年に一度は北海道に来ているのです。
今回は、札幌市内で特に観光する予定もなく、朝は目の前の中島公園を散歩して歩きました。
流石、北海道の大都会、街のなかなのに、こんな大きな公園があるなんて、羨ましい。
定年後の国内移住先人気でも、札幌が沖縄についで二番目の人気地であることは、解ります。
但し、冬の寒さ、訪れの早さを除いては、という条件ですが。
札幌市内の主な観光地は行き尽くした感の私たちのこの日の目玉・目的地は、「滝野霊園の頭大仏」です。
何処かの雑誌か、TV番組で見て、直ぐにネット検索しました。
日本にこんな所、こんな仏様があったのか!
場所は地下鉄南北線終着駅、自衛隊や競技場のある郊外の「真駒内」から路線バスで30分ほどにある
滝野霊園です。
平成28年8月、3年前に開園した墓地・霊園です。
この霊園内に、建築家 安藤忠雄氏の設計によるラベンダーの丘のもとに安置された、大仏様があるのです。
その姿SNSで世界に発信されると、外国人観光客の間で評判になりました。
確かに、インスト映えする世界が広がっています。
それと、何故か、イースター島のモアイ、イランの獅子像、イギリスのストーンヘンジまであるのです。
この新しい霊園の人寄せ、メモリアルなのでしょうが・・・
それにしても、大仏の設置方法・見せ方は、流石、安藤忠雄の作品です。
何度かの札幌滞在で半日ありましたら、絶対お薦めの場所です。
JR札幌駅から地下鉄・路線バスで1時間以内で行けます。
私たちは、初秋の10月でしたが、ベストはラベンダーの咲く季節、7月初旬から、中旬でしょう。
3日目の午前中は真駒内滝野霊園で済ませ、昼食は予定していました、二条市場内の「どんぶり茶屋」です。
ここも、インパウンド外国人観光客のSNSで超有名になったお店です。
私たちは、札幌にくる1週間前のTV番組「ユーは何しに日本へ」でこの店を知りました。
番組では「うに丼」を食べたくて、北海道まで旅してきた女性がねネツトでこの店を知り、入るのですが、
メニューに「時価」と書かれているのを見て、時価の意味を調べ、その日の値段が5,000円と聞き、自分が泊まっている
ゲストハウス二泊分というので躊躇して一旦、お店の外に出て考え、再び入店して注文する云う、興味深い映像でした。
その時のこのお店のTVに映ったメニューの値段に惹かれました。
ほとんどの海鮮丼はある程度の大きさ、ボリュウームで税込み1,380円なのです。
安い!、私は何時もこのような海鮮丼の値段基準は、大都会の大手居酒屋チェーンと比較してしまいます。
旅先の観光地の有名「海鮮丼」は小さすぎるし、高すぎる、確かに新鮮なのでしょが。
あんなものに、3,000円も、私たちは
払えないのです。
この店の値段なら、北海道へ来た記念的に食べてみようと、やつてきました。
お昼時なので、市場内のお店の外は、全て待っている外国人観光客が15人ほど並んでいました。
20分程度待ちまして入れました。
私が注文したのは、少し大きめの1,980円・・・確かに安いのかも知れませんが、若い時ほどの食欲はなく
この程度のものでしたら、自宅近くの廻るお寿司「くら寿司」で、一人2000円分好きなものを注文して食べたほうが
私には合っています。
とにかく、旅先での名物料理に興味がなく、蕎麦の美味さも、香りも解らない人間ですから。
夕方17:30発のフライトで羽田に戻り、自宅には20時前に戻りました。
確かに、北海道は近くなっているのを実感した今回の旅でした。
滝野霊園 頭大仏動画
10/13 日本一早い紅葉を見に大雪山旭岳へ 北海道の旅の一日目、二日目
大雪山の紅葉を見に行くのは、今年の行きたい所リスト一つでした。
世界の秘境旅仲間の友人が、富良野に住んでおり、京都の神社仏閣の人工美の紅葉は確かに、美しいが、
大雪山系の自然林の紅葉と新雪のコントラストは別格です。
北の大地の夏と冬の間のほんの短い秋の期間、それも天候に左右される地ですから、尚更貴重です。
是非一度見に来てください。出来れば日程がフレキシブルになる個人自由旅行でと。
今年の行きたい所リストは
- 1番目は、沖縄慶良間諸島のホエールウォッチング
- 2番目は、福島喜多方の日中線枝垂れ桜並木
- 3番目は、あしかがフラワーパークの大藤
- 4番目は、長岡の花火
- 5番目は、三陸リアス線列車旅
そして、今年最大の目的地は、日本中で一番早い、絶景の紅葉の地、北海道大雪山系、旭岳の紅葉です。
大雪山は富士山のような独立峰ではなく、山系の名称であり、多くの頂の集まり山系であることは、今回知りました。
その中で有名なのが、黒岳と今回の一番交通アクセスのよい旭岳です。
早朝5時起きで羽田空港発6時55分の全日空機にのると、旭川空港には8時30分に到着します。
朝の8時半には、もう旭岳直通路線バスのある旭川空港に行けるのですから、便利になったものです。
JR旭川駅⇒旭川空港⇒旭岳ロープウェ―駅の路線バスが1日4便運航されており、車に乗れない私たちのようなシニア個人
旅行客にとってはありがたい存在です。
空港・ロープウェー駅間、所要時間は約1時間、料金は1,000円です。
ロープウェー駅と登山口でもあり、終着駅でもある一般観光客の行く姿見駅往復の料金は、2,900円と高いです。
このロープウェー料金は、シーズンによって変化し、9月~10月初旬の紅葉の季節がピーク料金なのです。
ロープウェー駅で鎌倉から着てきた夏服をコインロッカーに預け、冬服・防寒着に着替えました。
旭岳に行くと決めてから、9月第2週あたりからは、TVのニュース番組では、日本一早い紅葉の映像が流れている
のを見ていると、観光客の恰好は完全防寒着姿なのを見て、ダウン・帽子・マフラー・手袋・股引を用意してきたのですが
9月最終週9月29日の旭岳は意外と暖かいのに驚きました。
例年よりも、1週間から10日早い紅葉との情報でしたが、ロープウェー駅から姿見駅へのゴンドラから見る景色は
ちょうどピークのようで、こんなに綺麗な自然立って林の紅葉は初めてで、大満足です。
姿見駅は標高1,600mで、流石にこの日は暖かいとは云え、ダウンは必要なくても、ウィンドウブレーカーは必要でした。
旭岳は2週間前に初冠雪がありましたが、散策路には雪は残っていませんでした。
私が無知だったのか知りませんが、大雪山は活火山なのです。
各所に噴煙・蒸気が噴き出ており、散策コースには避難小屋があり、数年前、友人が遭難した木曽御嶽を思い出しました。
ロープウェ姿見駅と散策路には、阪急・クラツーの団体客や、インパウンド外国人観光客で混雑していましたが、意外と
軽装なのでびっくりです。
全国的に気温が高かく、午後から青空が広がって絶好の観光日和の一日でした。
旭岳ロープウェー駅・旭川空港・JR旭川駅の路線バスは一日4本の為、11時20分に到着した私たちは、帰りの15:30まで、
4時間たっぷりあり、比較的暖かい穏やかの日をここで過ごし、旭川行きのバスに乗車しました。
しかし、ほぼ紅葉のピークの日曜日満員が予想される路線バスのバス停には、1時間前から乗客の列ができ始めています。
路線バスで高速に乗らないので、原則立ち席の乗車も許されているのですが、1時間30分の乗車時間で、ロープウェ駅始発で
奥から座りはじめ、補助いすが満席となると、後のお客さんは次のバス2時間後となってしまうのです。
旭川行きの路線バスですから、途中乗車のお客さんは何とか乗車口付近に乗せ、満員・身動きの取れない状態旭川駅に着きました。
私たちのこの日の宿は、札幌です。
旭川から札幌へは、JR北海道が誇る「特急ライラック」です。
通常料金は5,220円です。
しかし、私たちは、駅ネットで事前購入すると45%引きの2,630となりました。
理由は、JR北海道の都市間交通を高速バスと競合する為、特別価格を設定しているのです。
ちなみに、高速バスですと、2,100円です。
但し所要時間はJRの1時間25分に比べ、2時間5分と多少は時間がかかります。
こうして、自宅を早朝5時台に出て、北海道のヘソの旭岳を観光し、札幌のホテルに夜の20時前に入りました。
1日15時間の移動と観光の一日が終わりました。
初秋の北海道の旅 二日目 多言語ツァーで洞爺湖・支笏湖巡り
一日目、早朝の鎌倉から旭川に飛び、大雪山旭岳の紅葉を見てから、宿泊ホテルの札幌へ20時着と云う
シニア夫婦にはちょつとキツイ個人自由旅行日程を組んでしまいましたので、二日目は、何も考えずに済む
定期観光バスに乗って、54年ぶりに「支笏湖・洞爺湖・昭和新山」を廻ることにしました。
高校2年の夏休み以来、54年ぶりです。
当時、東京発券の北海道均一周遊券が5,000円でした。
15日間の有効期限で、東京・青森間の一時下車もあり、北海道内は何回乗り降りしても、急行もOKの学生向け
の国鉄のチケットでした。
1965年、東京オリンピックの翌年、日本経済が戦後混乱期からテイクオフし出した頃、高校三年生早生まれ17才の
私は、まだその当時高校生のアルバイトが珍しかった頃、日給500円のスーパーのアルバイトで貯めた12,000円を
握りしめ、北海道に旅たちました。
カニ族と云う言葉が流行りだしていた頃です。
経済的に少しゆとりが出て来た大学生が、リュックサックを背負って、夜行列車に乗って全国を廻りだした頃です。
今では、リュックサックは、背負い易い縦長が主流ですが、当時は大きなサイドポケットがついた横長でした。
この横長リュックサックを背負って、混雑した列車の中を移動する際に、身体を横にして歩く姿から、カニ族と云う
言葉が生まれたのです。
「知床旅情」の唄が生まれたのはこの数年後のことです。
北海道内の列車チケットは確保されていますが、宿代はないので、寝るのは持参した寝袋で駅の待合室か
移動の夜行列車でした。
今では考えられないのですが、JR各駅の待合室は24時間開放されていました。
カニ族のほとんどは、大学生でした。
高校生の私は、当時校則の丸坊主でしたので、何回も駅の待合室で警察官に職務質問を受け記憶があります。
当時の北海道の移動は、列車もバス便も今とは比べようもなく・・・断然多かったのです。
時間は十二分にあったので何処へ行くにも、列車・バス・徒歩でいけました。
青函連絡船で函館に入り、東の端根室・納沙布岬から南の端襟裳岬、北の端宗谷岬と青春を謳歌しました。
今回、朝、鎌倉をでて、8時半には旭川に着き、その日のうちに札幌のホテルに入れたのは、ひとえに
交通の発達、便利になったからか?
いいえ、54年後の北海道は、当時よりも却って交通の便は悪くなっているのです。
JRは道内の大都市間の列車は有料の特急のみ、各駅停車は短距離のみ、そして本数は朝夕の数本だけ
ですし、観光地へのバス便は、ほとんどは午前2便、午後2便だけしかなく、車が使えない私たちのような
個人旅行者にとっては移動し難い場所なのです。
今回の二人の旅で、札幌から公共交通機関で支笏湖・洞爺湖・有珠山を廻るプランをネツト上でシミュレーション
してみましたが、日帰りではかなり難しいことが解りました。
そしてそれ以上に料金は意外と高い。
そこで、今回は札幌発の定期観光ルートに乗っかることにしました。
探し出したのは、「多言語ツァー/洞爺湖ホテルでの昼食付/一人7,100円」でした。
札幌バスターミナル発8:35、戻りは19:00の10時間のツァーです。
面白そう、と思ったのは「多言語ツァー」と云う名、どうやらインパウンド観光客相手のようです。
ネット「発車オーライ」で予約、支払いを済ませ、当日窓口でチケットを入手して乗車すると、この日の乗客は30名
見回すと、日本人は私たちを含めて6人、後はアジア系の観光客です。
さて、多言語ツァーとは、どういうものなのか?、ガイドが何国語を使い分けて説明するのかと、思っていましたら
違いました。
座席には、一つづつイヤフォンが備えつけられていて、言語(日本語・英語・中国語・韓国語)のスイッチで各々が切替
るシステムです。
ガイドは移動しつつ、その場その場で案内のボタンを押していました。
ガイドの女性に、自動イヤフォン案内以外の時はどうするの?と聞くと、取り出したのは「ポケトーク」でした。
どうなの、ポケトークは?と聞くと、画期的、超使えますよ。
といってます。
日本語で話しかけると、対応する言語で相手に伝え、相手も自国語で話すと、日本語になる・・・まるでドラエモン
の世界と・・・ガイドさん。
74言語対応、長文もOK、翻訳アプリはクラウド側、世界中で繋がるSIM付で24,800円とは!
参考翻訳例 https://www.youtube.com/watch?time_continue=37&v=UVbZuY3GDM4
定年後、海外旅行に行くので英会話教室へ・・・なんて必要なくなる。
洞爺湖・支笏湖・昭和新山・有珠山はどうだったか?
54年前の少年だった頃来た土地と比べ物にならないように変わっていました。
何と云えば良いのか・・・全てが綺麗、整備されている、昔のようなお土産物屋さんはなかった。
半世紀も前の旅の地をトレースする旅でした。
最後に帰路、50年も前も、その後何度も来ている北海道で姿を見ることが出来なかった蝦夷富士
「羊蹄山」が夕暮れの車窓から見えました。
10/6 プリンターを買い替えました。
もう精度・色合いに拘らないことにしました。
自家用のプリンターを買ったのは、20年前、念願だった一眼レフデジタルカメラを買った時でした。
それまでカメラはミノルタの一眼レフでしたが、キャノン・ニコンが次々にデジタル一眼を発売していたのに
ミノルタは1年以上デジタル一眼を発売せず、当時所属していた写真クラブでは、ミノルタ派が次々に
脱落し、キャノン・ニコンに鞍替えしていきました。
どうしてもミノルタから離れなかった一番の理由は、レンズが原因でした。
せっかく、取りそろえた多くの高価な一眼専用のレンズが勿体無くて、じっとミノルタが発売するのを待つていたのです。
当時30万円ちかくしたと記憶しています。
同時に、自家用の八つ切が印刷できるプリンターも買いました。
プリンター本体は大きく、高く、それにもましてインクが高かったのを覚えています。
当時は色の再現性を高めわる為に、モニターはカラーキャブレーション可能な、CRTモニターにしました。
そして、カメラとプリンターのカラープロファイルを一致させるために、これまた高価な画像処理ソフト、PhotoShopも買いました。
退職後シニアが写真にのめり込んで行く典型的なプロセスでした。
やがて、毎月の写真クラブ例会に提出する、5作品のプレッシャーに耐え切れず写真クラブは、ホームペーシの
サポートと、パソコン指導のみとして作品造りからは解放されました。
そして、退職シニアの小遣いの大きな出費を強いるプリンターをもっと小型の、年賀状が打ち出せる程度の四色プリンター
に買い替えました。
写真を印刷しないかぎり、四色で十分ですし、大きさもA4サイズで十分です。
やがて、純正インクの高さにへきへきして、互換性のあるインクに切り替えて今月まで使い続けてきました。
印刷ずれ、インクの目詰まりが発生
印刷するのは、おもに白黒のテキスト文書がメインですから、互換インクで色が多少違っても気にしませんでしたが、
ある日、映画館の座席予約をネットでし、メールで送られてきたQRコードを印刷すると、その画像に印刷されない白い線が
あります。
明らかにインク目詰まりなので、ヘッドクリーニングを何度もかけても、治りません。
ネットで調べてみると、互換インクのせいではないか?と云う結論です。
純正インクを使っていて、このトラブルでしたら、メーカーは対応しますが、互換インクの場合、けんもほろろの回答です。
それに、このQRコードは二日後に必要なのです。
急きょ、プリンターを探しました。
驚いたことに、私が求めているスペックのEPSONのベーシックプリンターは、ネットで5,000円もしないのです。
純正四色パックインク代だけでほぼ4,000円するものが、本体+インクで5,000円を切って売っていました。
プリンター商法・・・なんでしょう。
これと同じような商売の仕方を現役当時経験しています。
エレベーター業界が同じなのです。
今や日本のビルに必須のエレベーターの本体価格は信じられないくらい安いのです。
そして設置工事代も、私たち業界感覚からいったらかなり安いのです。
エレベーター業界は、どうしてこんな価格で受注できるか?
それは、プリンターが購入者のインク代で稼ぐのと同じで、エレベーター業界は、完成後の毎月の法令点検・メンテナンス
で、初期投資を回収するシステムになっているのです。
しかし、昨今のスマホの普及で、このプリンター商法はこのまま続くと思えません。
もう、写真は印刷する時代ではなく、手軽にスマホ内に持ち歩く時代、或いはクラウドに保管する時代となっています。
撮った写真を印刷するのは、シニア世代だけと云っても過言ではないでしょう。
プリンター用インクが適正値段になるか?
当分、私たちリタイヤシニア世代がいる限り、まだまだプリンターは売れ、インクも売れ続けるのでしょう。
9/29 私は味・鼻音痴なのか、蕎麦の香りが解らないし、特別美味いとも思わない
日本人は蕎麦好きが多い・・・と思います。
TV画面でも、タレント・俳優が上手そうに蕎麦を食べて、新蕎麦の香りは違うと語ります。
私は、信州生まれ、高校まで信州で育ちました。
しかし、蕎麦の美味さは解りません。
香りとか、のど越し、とか云いますが、解りません。
東京に出て来て、有名店の白い蕎麦を食べた時、なんだこれは、ソーメンではないかと思いました。
それは「更科そば」で、蕎麦の実の中心部分だけを使った、本当の美味さが解る、江戸っ子の蕎麦だそうですが、
全く違いが解らないどころか、私のなかで、一番美味いと思ったのは高校時代の卒業間際、友人と二人で朝早く戸隠に
遊びに行って、戸隠神社中社脇のそば屋さんで食べた、蕎麦です。
当時は知りませんでしたが、所謂黒い「田舎蕎麦」だったのでしよう。
17才の少年二人は、今、現代のように気軽に外食できるような環境ではありませんでした。
学校帰りに「大判焼き」を食べるのが、唯一の外食、買い食いだったのです。
古稀を過ぎた今でも、あの時の蕎麦より美味しい蕎麦は食べたことはありません。
鎌倉の安くて、美味しいランチは?
鎌倉に住んでいると、観光客から「美味しいランチ」を聞かれますが、鎌倉中心部には、地元民が推奨できる
安くて、美味しいお店は有りません。
※唯一、お値段、ボリュウームも味も満足出来るお店はあるのですが、教えません。
若宮大通りに何時も観光客が行列しているお蕎麦屋さんがありますが、入ったことはありません。
だって天せいろが1,250円もするのですよ。
国内旅行に切り替えてから、毎月色々な観光地に行きますが、なんで野菜天ぷらもり蕎麦が、1,200~1,500円もするの?
海沿いのお店に行くと、アジフライ定食が1,300円もするの?
シラス丼がなんで1,000円もするの?
毎月、一泊以上の国内旅行をしていると、観光地だから、旅行先だから、特別感はないです。
国内旅行が定年後の生活の一部になっているので、私たち夫婦二人の食事予算でやってます。
名物に美味いものなし・・・と云いますが
今年、宇都宮を旅していて、地元の同い年のボランティアガイドさんとじっくり話したことがあります。
宇都宮の名物の餃子の話になった時、カミサンが、話を合わせるように「何処の餃子がお薦めですか」と質問すると
ここだけの話、私は特に宇都宮の餃子が特別美味しいと思ったことはありませんし、何で観光客が長い時間行列して
食べるのか、解りません。
家庭料理なんですから、自分の家の餃子が一番美味いと思っています。
でもそれは「味の素冷凍餃子」なんです。
と云い、思わず私は、同い年のボランティアガイドさんと握手しました。
今日から北海道、札幌オータムフェスタ最終日だが
旭川大雪山から札幌に夜に戻って来る予定で、大通公園で開催されている札幌オータムフェスタ最終日の
店仕舞い時間には間に合う予定ですが、果たして、あの広い会場を長旅の疲れの果てに
、探し、並んで、高い名物料理を食べるか?
否、早くホテルに入ってお風呂に入り、近くのススキノのラーメン屋さんで済ますでしよう。
折角札幌に来たのだから、新鮮な海鮮丼でも・・・値段次第ですね。
私たち夫婦は、こと食べ物に対しては淡泊なんです。
9/22 移住番組は見てはいけない~テレビの嘘と移住生活の現実~
TVで見る沖縄移住者の話
勘違いしてません?沖縄について、本土の人間が持つイメージと現実
或る夜、TV番組で沖縄本島に移住しているシニアご夫婦を紹介していました。
珍しく、沖縄本島の北東部の東側太平洋に面した、その名も「東村」(ひがしそん)なのです。
これはまた、登場するご年齢も70代半ばのようで、かなり興味がひかれました。
第一次海外移住・ロングステイブームは、私たち団塊世代がまだ40代半ばから50代の頃、比較的裕福な
年金の世代の方々が、スペインをはじめとする、西欧の美しいリゾート地だったのが、西欧文化圏で暮らす
金銭的な制約から、次第に年金だけで暮らせる、アジアへとシフトして行きました。
その頃、海外ロングステイの先駆者、大橋巨泉が「日本には沖縄」があると云った言葉が、本格的に
定年後の移住・ロングステイを考え始めた、団塊世代の私たちの間では「巨泉する」と動詞として流行りました。
16年前の3月、55才と52才で退職した私たち夫婦が最初に移住地候補として目指したのは石垣島でした。
理由は
- 1,石垣なら台北はすぐそこ、一番近い外国です。航空券も安いハズ
-
当時、日本国内の格安航空券は現在ほど社会的に認知されておらず、海外チケットが一番安かったの
タイのバンコク発券チケット、次に安かったのが台北発券チケットだったのです。
日本国内で一番アジア的雰囲気を残している沖縄、それも離島の石垣に住んで、すぐ隣の台湾に渡っ
安いチケツトを手にして、世界中を歩き回ろう、と考えました。
- 2,石垣は首都圏に比べて、極端に土地も安かろう
-
早期退職を考えていた時、頻繁に石垣にダイビングに行っていた社内の友人は、私の計画を聞いて
石垣に一軒家を建てて、内地からスキューバー仲間を泊めてくれる部屋を造つてはと。もちかけました。
そんな、大層な家ではなく、平屋のコンクリート造りの大部屋をメインにした家なら、私たち建設業界に属する人間の
考えでは1,000万円で楽勝建つのではないか・・・
確かに、彼も私も建設業界の人間ですから、平屋・陸屋根、部屋数の少ない100平米ほどのコンクリート
造り、間仕切りもブロック仕様なら、業者に鉄筋骨組みの部分と屋根だけ依頼し、あとは何とかなりそう、
土地は80坪で500万、合計2,000万以下、横浜のマンションを売って、まだ1,000万以上あまり、当座の資金に
困らないだろうと、退職した翌月に石垣ら乗り込みました。
甘かった。行ってみないと解らないものです。
- 1,石垣から台北は遠く、高い。
-
確かに、石垣港から淡水までの航路はあるのですが、淡水から石垣へのダイレクト航路はなく、一度那覇に寄ってから
石垣に戻るルートしかありませんでした。
当時、空路の石垣・台北間は有りませんでした。
これなら、東京首都圏のほうが、台北は近かったのです。
- 2,石垣の土地は、横浜よりも高かった。
-
2003年、内地、首都圏の不動産価格はバブル崩壊後底値状態でした。
私たちの住む駅前マンションもバブル時、億ション近くしていたのですが、買った当時の8割程度まで値下がりしていましたもうひとつは。
特に私の住む棟は投機対象になっていたので、オーナーの倒産、破産で、数多くの競売物件が現れ、それに引きつられて
実勢評価かかくよりもかなり安値で取引されていた頃です。
内地・首都圏はバブル崩壊で不動産不況だったのですが、その余った資金が、当時の石垣島に流れ込んで、2003年頃は
石垣は不動産バブルは崩壊しておらず、内地の移住希望者がどんどん値段を引っ張っていたのです。
- 3,建築価格は内地の1.5倍
-
建設業界にいる、私と、同僚の友人が計算した、夢のダイビングハウスは、とてもその価格で建設出来ないことが解りました。
理由のひとつは、離島価格です。
建設資材ひとつとっても、内地から沖縄本島、本島から石垣への輸送費と中間手数料が発生します。
労務・人件費は安いだろうと考えていたのですが、ここは沖縄の離島です。
ウチナンチューとヤマトンチューの歴然とした価格差が存在するのです。
石垣住民と本島住民の間でも価格差はあり、ましてや内地から移住してくる金持ちヤマトンチューですから
私たち首都圏のたたき合いで成り立ってきた建設価格の倍近くになるようです。
私たちは、あっさりと、沖縄に住むことはあきらめたのです。
そんな私たちはTV画面の70代半ば過ぎのご夫婦の沖縄移住生活を興味深く見ました。
何で、沖縄本島の東村なのか?
沖縄移住を目指す、内地の人達の大半は、本島西部、南シナ海のリゾート地周辺に住みます。
沖縄本島西側は、道路事情もよく、ホテルや商業施設のほとんどは、西側にあるのです。
一方の東側は、米軍基地も多く、道路は大きく迂回しますし、人口も観光客もこない東側には、ちいさなストアーが点在するだけ
で大型商業施設は全くありません。
1か月二人で15万円ほどの年金で暮らしているそうです。
このお二人の会話にも、沖縄の物価について語られていました。
沖縄は物価が安いなんて考えている内地の人がいるのは信じられない。
きっと最低賃金が日本一安いので、当然物価も安いと考えているのだろうけど、東京よりも高いのは間違いない、と断言してます。
どうして?沖縄の東村に住むのかの問いに
日本の地方、田舎暮らしと同じですよ。
都会の薄い人間関係よりも、濃すぎる、面倒くさいと思えるほどの関係が私たちの
生き方にあっているからと、この地で行われている「もあい」(頼母子講)について語ってくれました。
昔20代の頃一時暮らした、アルゼンチン・ブエノスアイレスの日系人の70%は沖縄県出身者でした。
内地出身者の県人会と同じように、沖縄県人会の下に、村人会があり、ブエノスアイレス近郊では、毎月何処かの沖縄村人会で「頼母子講」が行われていました。
アルゼンチンの金融社会にたよらず、その頃の資金調達は、大きな沖縄県人会内の頼母子講で行われていたのです。
この移住者ご夫婦の東村では、「もあい」は金融融通の意味は薄れ、お互いの親睦ま場として今も残っているようです。
この番組を見て、田舎に暮らす覚悟・意味・生き甲斐をちゃんと建て、守っていけるのなら、中止半端の内地の田舎暮らしよりも
良いのではと、番組を見て思いました。
ネットでは、沖縄移住について、現地から情報を発信している方がいます。参考にして下さい。
~沖縄について、本土の人間が持つイメージと現実
9/15 三陸南北リアス線踏破と、宮古浄土ヶ浜の旅
2011年の東日本大震災から8年経ちました。
いつかは、日本人として行かなくてはいけない、東北、三陸の被害地。
そろそろ、年齢的にも行かなくてはいけないと考えていた今年、3月。重大な被害で不通となっていた
南リアス鉄道が、旧JR山田線を第三セクターとして受け入れ、盛・宮古・久慈間の岩手県太平洋側が
一本の鉄道として、復活したとのニュースを受けて、行くことにしました。
始まりは1984年(当時の私は36才)
数ヵ月前に引っ越して来た新居のマンションのリビングで朝のTVニュースをみていました。
画面は、村に初めて念願の鉄道駅が出来、初めての列車が到着し、全村民あげて紅白幕、花火で歓迎
する姿が映し出されていました。
昭和59年、日本にまだそんな所があるんだ・・・。場所は岩手県の太平洋側三陸海岸に面した、「田野畑村」
でした。
アレ、何処かで聞いたことがある地名・・・何処で見たっけ?
思い出しました、今年入社した部下の本籍が岩手県下閉伊郡田野畑村だったのを。
あいつ、あんな都会的な顔をしているけど、今まで鉄道駅もなかった日本のチベットのような所で育ったのだ。
後日、会社で「TVで田野畑村を見たよ」と伝えると、
「実家の父親が写っていました、村会議員をやっていて、今まで鉄道を引っ張ってくるのに苦労していましたから」
その後、毎年暮れには、この田野畑村特産のひとつ、「イクラを抱いた生鮭」が届くようになりました。
でも、この時点では、行って見ようと考えませんでした。
もっと世界は広く、見てみたい場所、絶景は限りなくあるから。
時は流れ2011年、3月11日(当時の私は63才)
既に退職していた私は、この日鎌倉市役所で会議をしていました。
三時過ぎ、古い鎌倉庁舎は多きく、長い時間揺れました。
少年時代、信州で新潟地震や松代群発地震で、震度5は体験済みですから、かなりの大規模、震度4くらいかな
と想像しました。
後に、鎌倉市内の交通は全てストップ、大勢の観光が客は行き場を失いました。
私は、地域のボランティア、市民活動を束ねるNPO組織におり、1か月を経たずに鎌倉に被災ボランティア組織が
立ち上がり、次々に自前の寝袋・食べ物をリュックに詰めて深夜バスに乗っていく多くの若者、同僚を
目にしました。
私は、この頃常設講座を持っていて、行くことは出来ませんでしたし、被災の惨状を目にして、カメラのレンズを
向けることは、これまでの経験から行って絶対出来ないと思っていました。
そして、時は大きく流れ2019年3月(私は71才になっていました)
TVのニュースで、東日本大震災で被害があった三陸リアス線が完全復旧したと伝えていました。
この頃は、既に海外旅行は卒業し、国内の行きたい所リストを潰していく年齢になっていたのです。
鉄道ファンでもあり、ずっと日本人として、一度は被災地を訪れなくてはと思っていた私は、計画を立てました。
旅のほとんどは、列車のなかなので、カミサンは行かないだろうから、二人の旅行費用ではなく、自分の小遣いのなかから
出費することにしました。
昔の若い頃、気力・体力も充実していた頃なら、如何に安く現地に行こうと考えたでしょうが、そろそろ体もきつくなった
お年頃、お金は掛かっても、効率よく2日間で廻る為に、新幹線をフルに使うことにしました。
カミサンに一人で行く、と伝えると「私は興味はないけど、心配だから一緒に行ってあげる」と云います。
「若くはないのだから、何処かで一泊して少しは観光もしようよ」
最終的には、地元最寄駅の始発5時9分に乗り、帰って来たのは翌日の夜の9時、40時間の列車の旅となりました。
今回の旅の全列車旅程
大船05:09⇒東海道線⇒05:52東京
東京0604⇒(新幹線)やまびこ141⇒08;36一ノ関
一ノ関09:09⇒10:34気仙沼
気仙沼10:50⇒BRT⇒11:20陸前高田
陸前高田13:40⇒BRT⇒14:27盛
盛15:20⇒三陸南リアス線⇒17:50宮古
宮古泊り 翌日半日浄土が浜観光
宮古13:15⇒(三陸北リアス線)14:54久慈
久慈15:00⇒JR八戸線⇒16:52八戸
八戸17:06⇒はやぶさ32⇒20:04東京
東京20:12⇒東海道線⇒20:55大船
旅行費用 二人分
- 交通費
- 73,640
- 宿泊費
- 10,130
- 観光費
- 3,520
- 食事代
- 12,700
- 合 計
- 100,000円
詳しくは、ユーチューブ動画 三陸南北リアス線の旅に全行程が記録されています。
9/8 カミサンの簡単スマホとシニアおばさんライングループの青春
我が家がガラケーからスマホになってもうすぐ一年が経過しようとしています。
私は、この簡単スマホを如何に、パソコン並みに使いこなそうかと、苦心惨憺していますが、所詮はワイモバイルの高齢者
向け、簡単スマホでは、設定の自由度、範囲、設定値幅が狭く、ほぼ諦め状態です。
先日も、スマホで撮影した画像を本来なら追加SDカードに保存しなくてはいけないところ、間違えて、スマホ本体に記録して
しまったのに気づき、何とか本体からSDカードへの移動を試みましたが、パソコン講師の私が出来ませんでした。
そこで、夕方の散歩がてら近所の量販店に立ち寄って「ワイモバイル」の賢そうな店員に聞いたところ、そうですね・・・・
とチャレンジしたのですが、結局出来ませんでした。
結論は、簡単スマホはそんな機能がないのでは?。エエエーー、ディレクトリー間のコピペが出来ないの?
アイフォンの8なら確実に出来ますが・・・と店員さんの最終結論
エーそんな事聞いてないよ
賢そうな店員さんは、「パソコンハードユーザーでしたら、直接パソコンに繋いで、なかに入ってみては?」と云います。
「エーー、そんなこと出来るの?」
「Cタイプコードで接続できますよ」
「ワイモバイルの店頭では、そんなこと教えてくれないし、取説にも書いてないけど」
「簡単スマホユーザーには、そこまで説明していません」
やってみました
早速、手持ちのCタイプコードで接続してみました。が、充電モードになり、内部に接続できません。
何処かに、充電モードと内部接続モードの切り替えがあるはずです。
アンドロイドの設定などを探しまくっても見つからず、ネットでメーカーの京セラのページで問合せをして
ようやく、解りました。
回答は以下の一言
「ファイル転送モードに切り替えるには、画面上部を下にスライドし、USB通知をタップします」
これは、簡単スマホユーザーには無理だわ。
そもそも、何で私が周囲の忠告を無視して簡単スマホにしたかと云うと、カミサンと同一機種にして、今後の
カミサンの質問に答え易く楽する為だったのです。
一方でのカミサンはと云うと、
・以前のガラケーよりは文字入力が簡単
・画面が大きく見やすい
・webページ検索が音声で出来る
・ラインが使えて、お友達の仲間入りできた。
・何よりも、電話通信費が無料なので、気にせずに使える
・・・と満足そうです。
あれから毎日、カミサンのスマホには、ライングループ11人と、同じくライン個人から「ピコピコ」と着信音が入ります。
その都度、開き方を聞かれ、返信の際の文字変換、入力モード切り替えを聞かれ、「お願い」と頼まれます。
最近、スタンプの使い方について聞かれました。
カミサンの女性スポーツクラブのライングループは11人、全てカミサンよりも年上の女性ばかりです。
カミサンのスマホのラインを見ると、スタンプばかりが行き交っています。
話ことばよりも、全ての感情、意思をスタンプで表現しているのです。
スタンプは基本無料ですが、自分なりの独特の表現がしたくなると、お金を出して有料スタンプを買ってつかっているようです。
そして、手に入れたスタンプをプレゼントしあっているようです。
私は
「阿保か、君たちおばさんグループは、いい年をして」
「何でもかんでも、ラインやSMSでやりとりするの?」
「気持ちを伝えるのは、言葉なんだから」
「せっかく電話代無料なんだから、言葉で伝えろ」と云うのですが・・・
先日の天声人語に「現代学生百人一首」が掲載されていました。
そのなかに
「伝えたい言葉はいつもスタンプで何処かに消えた私の言葉」
「あれがとうLINEでなくて電話する母から届いた荷物眺めて」
と読まれた歌がありました。
何れも高校生の歌です。
若い日本人高校生も捨てたものではない。
少し、ほっとした気分になった朝のひと時でした。
9/2 海外旅行で貯まっていたマイレージを、国内旅行で使い切ろう
航空会社のフライト距離に応じたマイレージが、時にはパック旅行や格安航空券でもつくようになったのは、何時頃からだろう?
もう30年以上前からでしょうか?
旅行会社に勤め、頻繁に添乗員として団体旅行に同行していた、旅仲間の友人から、ダメ元で良いから、乗る航空会社のマイレージ
カードを造るように勧められ、乗る度に各航空会社のマイレージカード造つてきました。
やがて、世界の航空会社の提携グループ化が進み、今では 「スターアライアンス」「ワンワールド」「スカイチーム」の3枚
持っていればほぼカバーできるようです。
「スターアライアンス」グループで私が利用して来た主なメンバーは
全日空・ユナイテッド・タイ国際航空・オーストラリア航空・シンガポール航空
「スカイチーム」グループで私が利用して来た主なメンバーは
デルタ航空・ベトナム航空・ガルーダインドネシア航空・チャイナエアライン等
「ワンワールド」グループで私が利用して来た主なメンバーは
日本航空・キャセイ航空・マレーシア航空・カンタス航空などです。
詳しい情報は
https://www.free-bird.co.jp/statics/calist/alliance.aspを
ご参照下さい。
私が一番頻繁に海外旅行、それも世界の果てまでの個人旅行をしていた最初の頃はこれらの航空会社の一つづつ持っていました。
いつか、退職した老後、これらのマイレージを使おうと考えていたのです。
やがて、世界の航空会社のグループ化が進み、一番貯めていた南米路線に強い、ユナイテッドと、アジアに路線の多い、ノースウエストの二枚に絞りました。
しかし、航空会社不況、合併、格安航空券にマイルが付かないケースが増えていき、いつしかマイレージを積み立てる
ことを忘れていました。
65才で海外旅行を卒業し、国内旅行に専念するようになった時、改めてカードを調べてみて愕然としました。
二人で世界一周旅行を2回分ほど貯めていた、ユナイテッドのこれまでのマイルが消滅していました。
残っていたのは、クレジットカードの買い物分だけです。
永久不滅マイルと謳っていたノースウエストはデルタに吸収合併され、その時にデルタカードに切り替えなかったので、これまた
ほとんど残っていませんでした。
改めて、 「スターアライアンス」のユナイテッドのクレジットカードで毎月の公共料金の引き落としをし、たびたび
使えるマイルを見てみるとカミサンは3万マイル、私は6万マイルでした。
これを国内旅行の全日空に当てはめる、夫婦二人国内往復は4回、1往復一人1万マイル計算です。
但し、沖縄は往復1.5万マイルです。
デルタのマイルは国内では使い辛い
デルタのマイルは、カミサン4.8万、私も5.4万マイル
しかし、スカイチームの国内旅行は、「スカイマーク」しか使えず、1往復2万マイル、片道でも2万マイル、と効率は悪いです。
- 私たち関東首都圏の羽田から利用できる空港は
- 羽田 (HND) - 新千歳 (札幌、CTS)
- 羽田 (HND) - 那覇 ( 沖縄、OKA)
- 羽田 (HND) - 鹿児島 (KOJ)
- 羽田 (HND) - 福岡 (FUK)
- 羽田 (HND) - 長崎 (NGS)
二人で利用すると、国内は二回しか使えません。
しかも、デルタの場合、マイル特典旅行のデッドデーがかなりあるのです。
- 2019年の場合
- 2019年3月31日~4月07日
- 2019年4月26日~5月07日
- 2019年6月14日~9月01日
- 2019年9月13日~9月17日
- 2019年9月20日~9月24日
- 2019年10月11日~10月15日
この期間は特典旅行は使えません。
では、何処で使うか?
どうせ使うのなら、一番遠い場所、那覇、鹿児島、札幌と決めています。
昨年、ユナイテッド(全日空)のマイレージを使いました。
使った場所は「稚内」です。
利尻・礼文へのは起点となる町、「稚内」は唯一全日空が羽田からと、札幌から飛んでいます。
個人旅行どころか、団体パック旅行でもシーズンの6~8月の利尻・礼文は高くつくので、計画通り往復マイルを使い、個人旅行ながら
2泊3日、我が家の国内旅行予算の二人で10万円以内に納まりました。
今年は同じく北海道です。
今月、9月に予定している日本一早い紅葉、大雪山の紅葉を見る為に旭川に飛ぼうと計画しました。
旭川はスカイマークは路線がないので、ユナイテッド(全日空)のマイレージを使います。
ユナイテッド(全日空)のマイレージは、片道5,000マイルと規定されており、復路は別の空港を選べますから
今回の旅は、往路羽田・旭川、復路新千歳・羽田にしました。
これで2名、往復20,000マイル。
デルタの倍は使えるのです。
残ってるマイルを早いうちに、元気なうちに使ってしまおうと、考えています。
先ずは使いづらいデルタのマイルから使おうと考えています。
計画は、今年12月日本一早い「菜の花畑と開聞岳」を見る為に、本土で一番遠い鹿児島に行く予定です。
お正月休みギリギリになるとデッドデーになる可能性があるのと、
スカイマーク利用の特典旅行申込み日から 14 日以降、60 日以内である必要があり、なかなか
難しいのです。
ともかく、気力・体力・好奇心が残っている間に、マイルを使って、国内の行きづらい所へ行こう。
。
8/25 スマホは万能の機器か、否な、全てが三流のレベルで使い物にならないのか
ガラケーからスマホに変えて、一年になります。
スマホを持つことに少し、憧れていました。
鎌倉のNPOでweb講座の講師を務め、情報発信の大切さ、ネットの活用の重要性を説き、ホームページも今や、PC対象よりも
スマホを優先したデザインに心掛けるベキと、授業を進める私が、スマホを持っておらず、PC上のテスター画面で、レイアウト
チェックをしており、かなりの後ろめたさがありました。
長い間、スマホ購入を待った甲斐があり、ある程度支障のないスピード・データ容量、通話無料で夫婦二人で月2,000円以内
で納まる「ワイモバイル」を使っています。
※但し、月費用には実機二台は含まれていません。
一括購入しました。
- スマホは
- ・電話機 であり
- ・TV であり
- ・新聞 であり
- ・音楽プレイヤー であり
- ・写真機 であり
- ・ビデオ撮影機 であり
- ・電子辞書 であり
- ・百科事典 であり
- ・万歩計 であり
- ・図書館 であり
- ・電卓 であり
- ・自動翻訳機 であり
- ・お財布 であり
- ・地図帳 であり
- ・目覚まし時計 であり
- ・パソコン でもある。
スマホを持ったら、これまでブリーフケースに常に入れて持ち歩いた、
電卓・コンパクトカメラ・電子辞書・万歩計・音楽プレイヤーが全部いらなくなる、スマホ一つで用が済む・・・
と思っていました。
しかし、違っていました。
確かにスマホ本体に機能があるのですが、最低限の機能、レベルなのです。
もちろん、スマホ実機によりますが、私がカミサン用にと一緒に買った「かんたんすまほ」では
- 例 電卓には、Mキーも%キーがもついていない、不便
- 例 音楽プレイヤーは音質が悪い
- 例 カメラのズームがデジタルズームで使い物にならない
- 例 動画はパーンすると、映像が追い付てこない
- 例 バッテリーが24時間もたない
確かに、スマホ用の無料アプリを利用すれば、機能は飛躍的に拡大し、便利なのでしょうが、これらのアプリは
全て、世界の情報を一手に牛耳っている{GAFA}とひも付きの為、プライバシーは垂れ流し状態になります。
そして、すべてのアプリはクラウドにある為、私たちの世代では常識のオフラインでの利用が出来ないのです。
今の若い方たちは、このオフラインの考え方は全く解らないでしょう。
生まれた時、或いは、機器を手にした時から、繋がっているのが当たり前の時代で育ってきたのですから。
- 旅行に出かける時、今でも
- ・ビデオカメラは2台持って行きます。
- 一つは小型のビデオ専用機、一つは広角、スタビライザー機能がついたアクションカム
- ・静止画用のコンパクトデジカメ もちろんズームはレンズズーム
- ・長旅車内で好きな音楽を聞く為のウォークマン
- ・読みかけの文庫本
ひとつだけ、旅行先でスマホがあって便利だと思うのはたった一つ
GPS機能です。
これとグーグルマップの併用で個人旅行の私たちは、プリント地図から解放されました。
しかし、スマホ以前の旅の準備から増えたものがあります。
それはバッテリーチャージャーです。
8/18 一度は見てみたかった、長岡の大花火に行って見た。
2003年に55才でリタイヤし、10年後の65才で海外旅行を卒業し、国内旅行に切り替えた時に、
行きたい所リストを造りました。そのなかの上位に、今回の日本一と云われています長岡の花火がありました。
では何故、行きたい所リスト作成から6年も経ってしまったのかと云いますと、私たちの旅行スタイルは海外も
含めて個人旅行に拘っていたからです。
でも、地方の大花火大会はパックで行くしかない?
桜や紅葉のように、最シーズンと云ってもピークを挟んで前後5日間ぐらいはありますから、
個人手配レベルでもなんとか足と宿はなるのですが、花火やお祭りとなると特別です。
たった1日か2日しかなく、観光客がその日に集中するので、個人の力で足と宿を抑えるのは至難の業です。
昨年の「秩父の火祭り」のように、都心から近く、足の便や、宿が都心に近く、比較的取りやすいケースは、個人旅行でも十分なのですが、
「地方の花火」となると、もう大手旅行会社の団体パックを頼るしかありません。
今年の南東北の桜紀行で、初めて大手旅行会社の団体パックを経験し、何処かで片目を瞑っていれば、
これはこれで便利に使えるものと理解しました。
新幹線は阪急のチャーター、貸し切り特別列車編成でした。
阪急の「長岡の花火ツァー」募集は春の3月末からでした
値段は、往復新幹線・花火会場有料桟敷席・宿は長岡市周辺、一泊2日、食事は翌日の朝食、翌日はホテル周辺、
津南のひまわり畑やお寺観光が含まれて二人で、68,000円でした。
私たちの国内一泊二日の個人旅行予算からすると、かなり高いのは、仕方ないと思いましたが、三月の末に申し込みました。
一週間前にネットでとどいた旅程表を見てびつくりです。
私たちが乗る新幹線は、阪急交通社一社がチャーターした1編成10両全て、阪急のお客さんなのです。
東京駅に来ていた社員に聞くと、この団体専用列車でも間に合わず、多くのグループは長岡手前の越後湯沢や
上毛高原下車で長岡に向かったり、或いは北陸新幹線廻りで、バスで長岡に向かうグループもあるそうではした。
先ずは長岡下車で寺泊へ向かいました。
申し込んだ3月の時点ではなかった当日観光です。
理由は、花火会場への時間調整です。
新幹線をチャーターした為に、会場入場時間3時前は何処かで時間つぶしが必要で、私たちの場合予定になかった、
日本海のアメ横、寺泊の市場でのお買い物でした。
冬の新鮮な海鮮類シーズンならちょっとは嬉しい誤算だったかもしれませんが、特別に暑い今年の夏、この炎天下に1時間
は、私たちのような買い物には全く興味がない客だけではなしに、今回のバスのお客さんは、出発時間20分前には、全員
涼しいバスに戻ってきていました。
花火会場入りは打ち上げの2時間半まえの17時でした。
既に自由観覧席はほぼ満員の状況です。
私たち阪急1号車グループは会場の信濃川左岸のマス席です。
マス席とは、河原に青いシートが敷かれた上に、テープで区切られた6人用の場所です。
ツァー募集時にはどんな席であるかは書かれていませんでした。
最終案内のメールでマス席と表示されていましたが、
マス席自体の大きさも、構造も解りませんでした。
地面にシートを張ってテープで区切られた席でした。
正座?で見るの。足を崩しても痛いし、携帯・折り畳み用の座椅子が必須の席のようで、廻りを見回すと何回か来ている
観光客は皆さん、何らかの形でくつろいで見ていました。
花火が上がってから解ったのですが、かなり良い席のようです。
上空に上がった花火は私たちの席では首を上げて見上げる、迫力のある特等席なのです。
しかし撮影には向いていませんでした。
長岡の花火は、信濃川の土手数百メートルにわたって打ち上げられる、スターマインの連続花火なので、この私たちの席では、超広角レンズでないと、全体が映らないのです。
長岡の花火で一番有名なフェニックスは、土手の端から端までのナイヤガラと5分も続く大スターマインの連続を同じアングルに捉えるには、もっと後方の土手の上に、三脚を立てて撮影しないと同じ一枚の写真になりません。
やはり、これも昨年の秩父の火祭りで経験しましたように、初めての、初心者では無理で、何度も足を運ばないと、良い絵は撮れません。
ユーチューブUP動画リンク
9時15分に花火は終わり、今晩の宿に向かいます。
私たちのマス席は団体用駐車場から来るときは25分ほどでしたが、帰りは倍の50分
かかりました。
そして驚くべきは、団体用駐車場から出るだけで45分かかったのです。
驚くべき数の大型団体バスがいっせいに出口に殺到し、収集がつかずあたかも、一時期のバンコクの大渋滞の様相でした。
ツァー催行の案内メールが来た1週間前(阪急のパックツァーは郵送による案内は有りません)にして、このツァーのホテルの名前と
所在地を知りました。
ホテルは、阪急のツァーで良く使う、グリーンプラザ系列の上越でした。
新潟県中部の長岡から、長野県境の津南町まで、普通なら高速道路で1時間弱の距離なのですが、真中の高速道路も渋滞気味で
結局、津南のホテルに到着したのは、夜中の1時を回っていました。
2日目は津南町周辺の一般観光です。
私としては、目的が長岡の大花火なのですから、さっさと新幹線で東京に戻りたいのですが、
阪急の団体ツァーとしては、これだけでは集客が難しいのか、と思いましたが良く話を聞くと、
翌日の午前の上りの新幹線を抑えるのは難しく、午後の列車まで、お客さんを数か所案内しなと、
時間調整が出来ないのが真相のようです。
先ずは、今回の花火に次ぐ目玉の、津南町の町おこしのひまわり畑を廻り、次には日本百名水の「竜が窪」という
池と、上杉信玄公のゆかりの味噌で有名なお寺と廻って、またまた高速に乗って水上を目指します。
津南まで来ているのですから、北陸新幹線の飯山駅はすぐそこなのですが、いろいろな都合があるのでしょう、
バスは、水上に向かいます。
帰りは上毛高原駅からです。
出発前の案内で、帰路の自由昼食は「谷川岳ドライブイン」と知りました。
私たちは、事前の昼食の注文はせずにすぐ隣にある、鉄道ファン必見の駅「土合」に向かいました。
あの、モグラ駅として有名な上越線の駅です。
昨年この駅前を通過する路線バスでこの場所が解っていましたので、1時間の昼食タイムにこのモグラ駅
480段の階段下の下りホームを目指しました。
しかし、シニア夫婦の二人では、この階段を見た瞬間、この時間内に下ってまた昇って、ツアーバスに戻れる自信は
喪失し途中まで引き返しました。
個人的にはひまわり畑や、謙信ゆかりのお寺より、この超有名「土合駅」でゆっくりと時間をとって欲しかったものです。
ともかく団体ツァーは疲れる
8月2日は全国的に暑かったです。
事前に用意した、ハンディー扇風機はつけつぱなしで、バッテリーが無くなるほどでした。
考えてみるに、総じて団体パックツァーは欲張りすぎです。
色々な観光地を効率よく、お客さんに楽しんでもらうおうは解りますが・・・
バスは走りっぱなし、観光地に着くと時間が指定されてしまいます。
遅れて戻つてくるグループはいつも同じメンバー。
時間・廻る場所・宿のコストパフォーマンスは良いかもしれませんが、旅慣れたシニアはやはり
多少の経費、時間のロスはあっても、個人自由旅行が一番と再認識した今回の旅でした。
8/11 涙ボロボロと泣ける本「永遠のゼロ」と映画「アルキメデスの大戦」
昔現役時代は自宅から一時間の横須賀線の通勤電車は、6時台後半にも関わらず、座れることは有りませんでした。
それでも、他の乗客の邪魔にならない、何時もの場所を確保することは出来、毎日通勤では文庫本を読んでいました。
その頃、評判になっていた浅田次郎の短編集「ぽっぽや(鉄道員)」のなかの「ラブレター」を読んでいて、不覚にも
涙ボロボロ、止まりませんでした。
「鉄道員」のなかの短編「ラブレター」は泣ける
ストーリーは、元大企業サラリーマンの主人公は不祥事で責任をとり、新宿のヤクザに世話になっていました。
ある日、地元の刑事から「お前のカミサンが死んだから始末をつけろ」と云われ何のことか、初めは気が付きませんでしたが
、以前頼まれて、戸籍を貸したことがありました。
見知らぬ中国人女性と戸籍上では結婚していたのです。
話の筋だけ言えば、吾郎は千葉の片田舎で売春婦として働いていた今まで会ったこともない戸籍上の妻の中国人女性の遺体を
引き取って、お骨を彼の田舎、北海道の海沿いの寒村にある吾郎の家のお墓に入れることを決心するまでを描いています。
亡くなった千葉房総の地を訪ねると、その戸籍上の妻の中国人女性がか、書き残した吾郎に対する、感謝の言葉がたどたどしい
日本語でつづられていました。
身よりもない日本で、毎日客を取らされ身体を壊し、衰弱していく身で、見ず知らずの私に戸籍を与えてくれ、妻にしてくれた
吾郎さんに、切実と感謝の言葉と、写真でしか知らない吾郎を慕うことばが書かれているのです。
地元やくざからみれば、ただ単なる外国人売春婦の死、さっさ片付けてくれれば良いだけの話、なのですが、
吾郎はその手紙を見て、生まれてこのかた誰にも感謝されたことがない自分に、飾る言葉などない素朴な言葉で感謝を伝え、
あえなく死んでしまった戸籍上だけでも妻だった彼女に憐れみだけではない、ともすれば愛情のような感情を覚え、
彼女のあまりにも切ない人生に慟哭してしまうのです。
この文庫本を通勤電車のドア近くのスペースで読んでいて、廻りの乗客の目を気にしながら涙が止まりませんでした。
あれから、もう30年以上経ったでしょうか、文庫本の文字が小さく、老眼が進み、なかなか本を読む機会は減っています。
つい最近、仕事現場のNPOセンターで、ボランティア資金を集める中古本ブックフェアーがあり、なにもない温泉旅館で、簡単に
読める本を探していた時で、厚い文庫本「永遠のゼロ」が50円で売られていたのを手にしました。
作家はかなり右寄り思想の「百田尚樹」、「永遠のゼロ」は、映画で見て内容は知っていました。
大戦末期の特攻を描いた、戦記もの、と云う認識でした。
旅行中の新幹線のなか、移動のバスのなかで読んでも、内容は既に知っている第二次大戦中の航空隊の戦記で、半分
斜め読みして飛ばすような内容でした。
「永遠のゼロ」の最後はボロホロと泣ける
ストーリーは、終戦8月15日近く、「絶対に死なない、必ず妻と子供の元に帰る」と日ごろ語っていた、特攻隊指揮官「宮部久蔵」
の孫が、自分の家族史を調べていくうちに、世に言われている「神風特攻隊」について、知っていく話です。
本が終わり近くなるまで、戦史ものとして捉えており、泣ける話は全くなかったのが、最後はカミサンのいない場所でボロボロ
泣きに変わりました。
「宮部久蔵」は、数多くの若者を特攻戦士にする教師係だった、そして、陰で死ぬなと云い続けた。
しかし、8月15日直前、遂にそんな教育係まで、特攻せざるを得ない状況に追い込まれ、一緒に出撃することになる。
「宮部久蔵」に割り当てられた航空機は、ベテランの飛行士が乗るとエンジンの不調を感知する、彼は、その航空機を
部下の青年「大石」の乗る飛行機と交換する。
そして、「宮部久蔵」は散っていく。
大石の乗った飛行機は、エンジントラブルを起こし、途中の島に不時着する、そして座席に
残された教官「宮部久蔵」のメモ書きを発見する。
「もし、君が生き残ったら、私の妻と子供が困窮していたら影ながら助けてやって欲しい」と書かれていたのです。
ここらあたりから、エンディングに向かって、もう涙が止まりません。
ネタばらしになるので、これ以上は書きません。
映画よりも実際の本を読んでください。
「アルキメデスの大戦」は泣けるか
「アルキメデスの大戦」の監督は山崎貴、 「永遠のゼロ」を撮った監督です。
「アルキメデスの大戦」のオープニングファーストシーンは戦艦大和の轟沈シーンです。
「永遠のゼロ」と「アルキメデスの大戦」に共通するテーマは、戦前の職業軍人・軍人官僚・軍隊・階級と云う組織です。
一般兵士・民間人とかけ離れた考え方が生み出す、戦争というものを痛烈に批判しています。
「アルキメデスの大戦」では、天才数学者青年が、数字を使って、今建造されようとしている、巨大戦艦の建造を阻止しようと
するお話です。
論理的・数学的に海軍の大鑑巨砲主義理論を打ち破るのですが、結果的に戦艦「大和」は造られ、特攻として鹿児島沖に
沈んでいくのです。
なぜ、「戦艦大和」は造られ、何故特攻として沈んだのか、映画のラストで明かされます。
でも、「アルキメデスの大戦」では泣けるシーンは全くありませんでした。
還暦を過ぎた頃から、涙腺がかなり緩くなっているのを実感しています。
昔、子供の頃、祖母と一緒にテレビの学園ドラマを見ていて、祖母が泣いていました。
エー、こんな決まりきったべたべたのスポーツ少年の話の何処が泣けるの?と不思議だったのを鮮明に覚えています。
泣くのは、精神的に良いと云われていますが・・・なかなか最近、泣ける本、泣ける映画がないな。
8/4 70才を超えても、まだ知らないパソコンの知識があった
内蔵ハードディスクやUSBメモリ、外付けハードディスクなどには、ファイルシステムというものがあります。
パソコンで使われているあらゆるデータは、必ず記憶媒体の何らかのファイルシステム上にあります。
一般的には、この用語を知らなくても、別段支障はないのですが、
先週、ビデオクラブの例会で今年の秋に上映する「クラブ共同作品」造りで、このファイルシステムFAT32
問題に直面しました。
粗編集したものを書きだして、各自自宅で再編集するのですが、レンダリング・書き出ししたものを、USBに
保存しようとすると、途中で「容量不」とアラートでで停止しまいました。
USBの空容量は12ギガあるので、十分余裕があるはずですなのですが。
ダメなんです。途中で停まってしまいます。
別の64ギガのSDカードで試しても同じく、書き込み出来ません。
メンバーの一人が、それってフォーマットがもしかしてFAT32じゃないの?と云います。
FAT32?、それって何?
FAT32はwindos規格の一つで、一つのファイル容量が4ギガと決まっており、それ以上大きなものは、書き込め
ない仕組みになっているので、今回の動画粗編集の容量をオーバーしているのだろう、という結論。
ではどうしたら良いのか、USBにしろ、DSカードにしろ、一度に大きな4ギガ以上の単独ファイルを扱う場合は、
買った時にプロバティで見て、FAT32なら、大容量ファイルも扱えるNTFSにフォーマットし直せば大丈夫だと、
教わりました。
確か一度そんな事を聞いた記憶があるはずだったのですが・・・・忘れていたのか。
私は建設業、それも入力された数値をコントロールして、各制御機器に伝えると云う、大型ビルオートメーションの
の世界に従事していましたので、同じ世代の方よりは、比較的早い時期からパソコンに接していました。
でも、自分専用のコンピュータ、パーソナルコンピューター・パソコンとなると、1998年のwin98からです。
もうこの頃は、建設現場の打ち合わせの席に、パソコンは必須で、図面も現場での手書きから、会社のCAD課
の女性に差し入れして、急ぎで書いてもらっていたのが、2000年を前に自分で書かざるを得なくなっていました。
2000年が、一部上場企業では、全社員一人一台のパソコンに突入した年でした。
退職して、地域の趣味のクラブや、市民活動団体とのお付き合いが多くなりました。
退職した2003年、まだ、市民活動団体単位ではパソコンは必須ではありませんでした。
しかし、この時期、急にふえだしたのが、パソコンを女性・高齢者・初心者に教える団体です。
早期退職した私より5~10才、年齢が上の退職シニア男性が中心でした。
一度、この方々が教えている教室の生徒さんから相談を受けたことがあります。
デジテルカメラのメディアの消し方、削除の方法で、この生徒さんが「どうしても納得しない、どちらが本当
なのか、教えて下さい。」というものでした。
この教室のシニア先生は、カメラからメディアを取り出して、パソコンで全消去すると云います。
この生徒さんは、メーカーの取説では、カメラ本体で削除・消去する、と書いてありますが、どちらが良いのかを
かの先生に聞いたところ、「オレの云う事を信用しないのか」と怒られたそうです。
正解は、もちろん、カメラ本体です。
パソコンで消去すると、間違って記録メディアにプレインストールされている、カメラのベーシックアプリまで消されて
しまう危険性がある為です。
年齢的に見ても、専門職でない限り、この年代の方々は、ワード・エクセル・パワポ、メール、ネット、が出来て、
年賀状をテンプレで造り、プリンターで印刷出来れば、パソコンが出来る、と思っている世代です。
私は退職してから、このような環境の団体、クラブをサポートする立場を長く続けてきました。
ともかく、自身満々の方々に、それは違っているよ、それは古いよ、ちゃんとプログラム言語で書かないと
崩れるよ、ウインドウズだけがパソコンじゃないんだよ、と云うのに疲れています。
それも後一年、来年は東京オリンピックで、取り敢えずの目標72才の年。
もう、こんな団塊世代オジサンがパソコンを教える時代ででもないのです。
7/28 湯治を兼ねて万座の温泉三昧と、思い出の結婚式の地軽井沢
旅行会社からのダイレクトメールは日増しに厚く、重く、毎週のように届きます。
恐らく、私たちと同じリタイヤシニア夫婦のご家庭も同じなのでしょう。
づっと前から「万座温泉」の格安プランリフレットを目にしていましたが、食指は伸びませんでした。
万座プリンスに二泊三日、一番安い梅雨時では、二人で五万円ほどです。
・東京と最寄新幹線駅の軽井沢 往復
・軽井沢と万座ホテル シャトルバス 往復
・夕食二回 和・洋・中・ブッフェ選択 朝食二回ブッフェ
・ラウンジケーキセット 一回
と、かように、個人レベル旅行と比較すると、一人一万円ほど安い設定です。
でもこれまで行きませんでした。
一番大きな理由は、万座温泉は現在、白根火山の噴火による交通路制限下にあり、万座温泉を拠点にしての
周辺観光は、足がないとほとんど動けず、二日間、どんづまりの万座で過ごすしかないのです。
車がある方は、遠く志賀高原や渋峠、遠くは長野まで日帰り往復はできるのですが、足のない私たちのような
シニア個人旅行者は、一日万座のお風呂に浸っているしかない、条件の地なのです。
だから、子供たちの夏休み前、梅雨真っ只中の6月~7月末までは、万座は安いのです。
※万座と草津は直ぐ近くですが、現在2019・7この道路は閉鎖されて使えません。
万座は私が生まれ育った長野市の中学校1年生の夏の一泊林間学校の地で、良く覚えています。
昭和35年、万座温泉の老舗日進館の木製プールのような巨大の露天風呂に入り、その頃ちょうど子供から
大人の体に変化する思春期で、同級生と下半身を比べっこしたのを覚えていますし、同級生のマドンナ的
同級生の私服姿にときめいていました。
日本全国、長雨の時期、どんづまりの地、動けないのを承知で7月の旅行を万座にしました。
理由は
・湯治です。先月の帯状疱疹の大きな原因が過労とストレスでした。
今までのように、大きな都市を拠点として、3日間周辺を毎日歩き回る観光旅行から、齢相応のゆっくりと
毎日、乳白色の露天風呂に浸かり、のんびりと本でも読む旅でもしようと考えました。
・万座へのシャトルバスが出る軽井沢へは新幹線で東京から1時間と近い
今回の新幹線は行きも、帰りもある程度時間帯を指定でき、往路・復路とも軽井沢で3.5時間とれるので
41年前、二人だけで結婚式をあげた、星野の教会を再び訪れてみよう、と云う思いがありました。
万座プリンスホテルは、沢山のシニアグループでいっぱいでした。
中華系の団体客も3グループほどみかけました。
ホテルの仕様は、プリンスとは名ばかりの、冬のスキー客用のホテルです。
ロビーは貧弱で、暇な時間、ゆっくりと本を読んで過ごすスペースは皆無です。
客室は私たちが泊まる目安の21平米は届かなく、都市型ビジネス仕様で17平米と狭く、設備も古く
この地のリゾートホテル客室とは思えないレベルと云って良いでしょう。
※一度、星のやグループの宿に泊まると、このような宿泊客がホテルで過ごす場所がないのが気にかかります。
それでも、やはり万座温泉、標高1,800mの露天風呂は、時々の小雨模様ですが、十分に楽しめました。
そして、プリンスの姉妹館、直ぐしたにある「万座高原ホテル」の露天風呂も自由につかえました。
3日間小雨模様と云うネツトの天気予報でしたが、外出できないほどの雨ではなく、時々青空が見えました。
万座には温泉街はなく、周辺観光は登別温泉と同じような湯畑・地獄谷を廻る、周遊ハイキングコースだけ
です。
車のない私たちは、この周遊コースを歩き、昔中学校の時に泊まった「日進館」で時間をつぶしたり
プリンスの裏にある名前は何の情緒もない「牛池」、実際に行って見ると綺麗な湿地帯にある美しい池の周り
の散歩で2日間を過ごしました。
カミサンの感想は、「次回はもういいわ」でした。
41年前の思い出の地を訪ねる
1978年、私29才、カミサン26才は二人だけの式を挙げる為に、中軽井沢の駅に降り立ちました。
その当時、本当に小さな駅だったのが、今では、星野エリア観光の最寄り駅として、大勢の若い観光客、外国人の
姿が多い駅と変貌していました。
ちいさな軽井沢の木造の温泉宿だった星野温泉旅館は、名前をブレストンコートと名を替え、新たに星野リゾートbeb5
が今年春開業し、若者たちのあこがれの地となっていました。
私たちが式を挙げたた教会は、移設して残っており、訪ねると「おかえりなさい」と迎えてくれました。
41年前のあの頃、私たちと同世代でこの高原教会で式をあげた方は結構いたようで、同じ青春を過ごした仲間として
親近感が湧く思いがしました。
今では、この教会よりも、その奥にある「石の教会」で式をあげるカップルが増えているそうです。
確かに、このネット時代、インスト映えするは、この内村鑑三記念堂「石の教会」の挙式は、中国の若者の間では大人気
です。
もしこの記事を読んで、軽井沢観光のさいに行ってみようと思う方は、挙式がある日は、周辺にも立ち入りできません
ので、事前にネットで調べてから行くことをお勧めします。
https://www.stonechurch.jp サイト内フッターに見学予定と云うメニューがあり、挙式のない日カレンダーが表示されます。
ここを出ると、もうひとつ星野エリアのおしゃれスポットハレニレテラスがあります。
園内を流れる清流沿いに、おしゃれなカフェ・ショップが並ぶエリアです。
数年前まえまでは、軽井沢南口から無料の送迎シャトルがあったのですが、現在は北口から路線バス460円で行くしか
ありません。少し健脚な方は、しなの鉄道中軽井沢駅から一本道、1.35km徒歩18分です。
もう何回、軽井沢に来たことでしょう。
子供の頃は地元長野市から軽井沢へは、大旅行でした。
今では、東京駅から新幹線で1時間かからない距離なのです。
しかし、新幹線ができて在来線が「しなの鉄道」に代ってから、長野から在来線で軽井沢へは1時間28分・1.640円もかかるのです。
ちなみに新幹線だと32分3,880円もするのです。
新幹線は誰の為にあるのか?考えてしまいます。
7/21 古稀を迎えて知る、老人会・町内会・初めて自治会・教養センター・太極拳愛好会などなどの組織
現役時代に住んでいたのは、関東首都圏・JR横須賀線新駅、駅前開発大規模集合住宅群のそれも第一期の一号棟ですからなにも住民組織
のない地域、生活でした。
そして子供のいない私たちの生活は、全く地域住民、生活とは関わりないの生活でも何の
不自由を感じぜずに過ごしてまいりました。
そして、退職後、鎌倉の地縁・血縁の濃い地域に引っ越してきて、町内会費なるものの存在を知り、払い、自治会館
内での催しを知りました。
それでも、新築マンションに住む新住民ですから、鼻から地域活動への参加、協力はあてにされておらず、ちゃんと
町内会費は払い、地域のお祭りにそれ相応のマンション全体としての寄付をおさめれば良いだけの新住民です。
しかし、この地域に越して来て15年、古稀と云う、昔ならお年寄りと云われる年齢になってくると、何時しか、老人会・町内会との
接触が増えてきますし、顔見知りも増えてきます。
理由の一つは
・私が市の市民活動活動センターを運営するNPOのメンバーであること。
・それを通じて、この地域のリーダー的存在の方々とつながりが出来たこと。
・目の前が地域の公園のラジオ体操で顔見知りになり、朝夕の散歩でご挨拶をするようになってきたこと。
町内の神社脇にある町内会の掲示板に「元気カフェ」、毎週金曜日、町内会館で開催中と云うポスターがあり、担当監事
の欄に、私がサポートしているボランティア組織の監事さんの名前がありました。
先日、このボランティア団体の一年の締めくくり、懇話会にお招きいただき、その場で歓談しました。
「元気カフェ」は、地域の老人会が主催するもので、とかく引き籠りがちなお年寄りを週に一度来ていただき、お茶・お菓子
をご馳走し、歓談し楽しい時間を過ごしてもらいたい、そして、興味がある方には、パソコンやスマホやゲーム、
麻雀、習字などを楽しんでもらうのが目的で、昨年からやっているそうです。
この担当される方に、「私、今年、古稀を迎えました、これからは幾らかでも地元に何らかの貢献、お手伝いをしますので、何か
あったら、お申しつけ下さい。」と申し出ました。
すると、あの公園前のマンションにお住まいとは存じていました。
ボランティアで大変お世話になっています。
「○○さんのような、立派な経歴、技術をお持ちの方に参加していだけるとは、恐縮です。是非宜しくお願いします。」
と云われました。
しかし、今日のブログのテーマはここからです。
定年後シニアの世界での「○○さんのような、立派な経歴の方に参加いただけて助かる」をまともに受けてはいけません。
本当に必要とされている場合もありますが、今の自分の地位、生き甲斐を侵食する部外者と見ているケースも
相当の確率であるのです。
せっかく、退職後、この方たちは自分で勝ち取ってきた定年後シニアの生き甲斐・今日行く場所・今日行く用事が失われるのかも知れません。
私のは、この経験を15年味わってきました。
そして、古稀を迎え、反対の立場に近づいてきています。
日本の地域、組織には昔は公民館と云われた建物がありましたが今は色々と名前を変え、用途を変えて存在します。
・生涯学習センターは、生涯学習の趣味やお勉強の為の場所です。
・市民活動センターは、自分の為ではなく、公益為に活動する団体のために無料で使える場所です。
そして、今回のテーマの一つ、教養センターと云う建物が鎌倉には2か所あります。
古稀近くなるまで、このような建物があることは知っていましたが、用途については知りませんでした。
ここの使い方は、生涯学習センターと同じなのですが、一つだけ特徴があります。
ここの運営組織は、行政の縦割り構図で、社会福祉協議会です。
お年寄りむけの生涯学習センター的なもので、住民票を持つ60才以上でないと利用できません。
そして、大きな特徴のひとつとして、無料の大浴場があるのです。
まさに老人、シニアの為の施設です。
先日、初めてこの教養センターに行ってきました。
自宅から徒歩15分ほどの場所にあります。
行ったのは別に大浴場が目的ではなく、この施設をベースにして活動する、太極拳クラブのホームページ作成の為
の撮影と打ち合わせの為です。
太極拳はれやかクラブ 鎌倉・大船・玉縄
のホームページ立ち上げを、知合いから頼まれました。
鎌倉に越してきてから、自分の健康のために、バドミントンやラケットテニスなど色々なスポーツに参加してきて
いろいろなシニアの方と知り合いになっていくなか、ある程度年齢を重ねると、少しづづ参加する回数が減っていくシニアが
多くなるのは、加齢によるもので、これらの方々は自然に、激しい運動よりも太極拳のような、ゆるゅかな動きのスポーツに
移行する方々が増えていくのは、自然の摂理なのでしょう。
私は56才で参加した、バドミントンクラブを、今月退会しました。
理由は、加齢による筋力不足が建前ですが、本音は、新しく入って来る若い、高校時代にバドミントンを
経験してきた、40代の女性たちに全く勝てないのです。勝てないよりも、シニアおじさんとみられ、
手加減してくれるのが、明らかなのが、耐えられないからです。
71才。古稀前にしてはいささか不甲斐ないのですが、無駄な足掻きはせずに自然に任せる
つもりです。いつか私も、半分お風呂を目的として、この太極拳クラブに参加する日が来るかもしれません。
7/14 70代男性の真の「大人のおもちゃ」を買いました。
大人のおもちゃと云うと、卑猥な、セクシャル的なものを想像するかも知れませんが、かなり枯れて来た
(多少の水分は残っていますが)古稀を迎えたオジサンさんたちにとっての「大人のおもちゃ」とは、
さして実生活の実用品・必需品ではなく、女性からみれば、
・くだらない、
・それでも結構なお値段がする
・すぐに飽きて使わなくなる
・何がいいの解らない、趣味・道楽の世界に属するもの・・・・なんです。
パソコン一台は、家庭の必需品、退職老後生活になくてはならないものですが
二台目のパソコン、それもハイスペックな高価なものは必需品ではなく、オジサン達の趣味の範囲に
属くする「大人のおもちゃ」の部類に入ります。
パソコンは仕事柄、幾つか持っています。
web講座授業で使う、軽量・小型・SSDのWin10パソコン、来月でちょうど三年目になり、そろそろ買い替えを考えなくてはならない
のですが、wib10が安定しているのと、SSDなのでメカニカル的に寿命は長いので、買換えはまだ先のようです。
もう一つ、同じノートでwin8.1、HD750GB、CPUi5、メモリー4G、ブルーレイと云う一般的なものですが、これはビデオ動画編集専用
に使っています。
このパソコンを使い始めた日付けをテプラで本体貼り付けてあり、来月でちょうど5年になります。
普通、私たちパソコンハードユーザーはノートPCの寿命は3~4年と考えていますが、このようにある特定目的でしか使わない
PCは、壊れるまで使う予定だったのですが・・・考えなくては。
原因は新しく買った「大人のおもちゃ」、
超小型ジンバルビデオカメラ オズモポケットです。
車のテレビCM トヨタイムズに記者として登場する「香川照之」が手に持っているのが、世界のドローンメーカーDJIが開発した
最先端ジャイロテクノロジーを駆使し、ブレない画像撮影が出来る、民生用として最先端のカメラなのです。
これまで、アメリカのGoproやソニー、パナなどが、アクションカムとか、ウェラブルカメラ云う名称で、発売して人気になっていますが、
ジンバル(1つの軸を中心として物体を回転させる回転台の一種)とか
スタビライザー(車のサスペンションのように、振動を抑える役目)は、別物が基本で、それも大きく、重く、値段も高かったのです。
そこに、あの世界一の民生用ドローメーカーDJI(中国)が、ビデオアクションカム市場に撃ってでてきたのです。
これまでウェラブル・アクションカム小型ビデオカメラは、ビクターやソニーを使ってきましたが、画像モニターが別だったり、
振動・ブレを制御するジンバルは、他社(これも中国のFEIYU TECH)がダントツで世界を牽引しています。
ここまで書いて、ビデオカメラに興味のない方には、馴染みのないカタカナの会社名が頻繁に登場してきます。
DJI、Gopro、FEIYU TECH・・・技術立国われらが日本のメーカーの名は全く登場してきません。
こら辺が「大人のおもちゃ」と、私たちの間で自虐的に云う理由なのです。
・最先端、おもしろそう、でも何を撮影するの?
・今持っている沢山のビデオカメラでも、十分じぁないの?
その通り、無くても特段困らないし、このカメラが活躍しそうな場面は年に一度あるかないか?なんです。
・その為に、ソニーやGoproよりも高いカメラが必要なの・・・
・直ぐに飽きて使わなくなるんじゃないの?
だからーーー、それだから「大人のおもちゃ」なんです。
云わせて、老後はお金は大切、もう入ってくるのは年金だけなんだから・・・解っています。
でも節約、節約して、お金を残して逝きたくない。
数百万もする道楽だったら考えるけど、5万円を切る価格で、この機能、それも二人の老後資金からではなく、
自分の小遣い口座、NPOセンターの講座時給970円で貯めた小遣いから買うんだから、ほっといて下さい。
テスト撮影したものをYouTubeにUPしてあります。
飛鳥路の旅のなかで、石舞台を撮影したシーンがオズモです。
手持ちでヌルヌルと大きな石の建造物を嘗め回すように撮影した映像は、石舞台の大きさを表現していると、
ビデオ仲間の間では、高い評価をいただきました。
YouTubeで見る
話はパソコンに戻ります。
この最先端のビデオカメラで撮影した映像データーを自宅のビデオパソコンで編集できないことが判明しました。
CPUはi5、メモリーは4G、グラフックボートオンボードの一般的なパソコン、編集ソフトは慣れ親しんだ
グラスバレーEdius2.5では、パワー不足で編集途中でスタックしてしまうのです。
今回は、これに気づいてビデオクラブ所有のハイスペックPC、編集ソフトはEdius3.0で何とかレンダリングして書き出しできましたが、
最終的に、自宅で作業するには、これから主流となるだろう4K動画を編集できる、新しいハイスペックPCと、新しい動画編集ソフトが必要になります。
5万弱で購入した「大人のおもちゃ」の為に、かなりの出費が必要となってきています。
さて、どうしようか? お金はあるですが・・・
7/7 のんびり奈良 西ノ京と飛鳥路古墳群と桜井長谷寺の旅
定年退職したご夫婦の旅行先は、まずは京都というのが定番です。
春の京都の寺社仏閣の桜の美しさは、関東首都圏の公園・河川の土手の桜とは違った絢爛さ、華やかさがあります。
また、京都の紅葉は、計算して造られた庭園の紅葉美として数百年の歴史があり、東日本の自然の山々・渓谷の紅葉と全く違い、退職後始めて秋に旅した時の東山「永観堂」の美しさは、55年生きてきて初めて知る日本の紅葉の美しさでした。
退職後、毎年、春と秋の2回と、三大祭りの時期に旅するようになりました。
退職して16年経過し、私たち夫婦の間では、海外特に、ハワイ・ホノルルを卒業したように、今、京都卒業時期を迎えています。
京都卒業の理由としては
- 定宿の、鴨川に近い河原町三条のホテルが確保出来なくなったこと。
- アジアを中心とした外国人観光客の増加で、何処へ行っても、静かな京都が少なくなったこと
と云う、インバウンド(「inbound」からきている言葉で、内向きに入ってくるという意味が転じて旅行関連では外国人が
訪日することを指す。)の皆様に失礼な、勝手な理由なのでが・・・・
16年前に比べて、圧倒的にアジア系の観光客が増えました。
その影響で、定宿としていた京都市内観光に絶好なロケーションと、60代夫婦にお似合いのある程度のレベルの宿が、私たちの予算の範囲から大きく外れてしまいました。
どこのホテルも外国人団体客でいっぱいです。
16年前も確かに外国人団体客はいたものの、西欧人グループが多かったのですが、今や、どのホテルのロビーも、広東語・北京語を声高に話す、中華系の人達でいつぱいです。
これは、日本・京都に限ったことではなく、ハワイ・ワイキキも同じです。
私たちが年に2回行っていた、ワイキキのお気に入り、リーズナブルなホテルも、中華資本に買収され、ロビーは南国に浮かれたお行儀の悪い、中華系の団体客でいっぱいになってしまいました。
私は特に人種偏見がある訳ではありません。
アジアの国々、特に今まで長年旅してきたタイやマレーシア・インドネシアの中産階級の人々が、日本に観光で来れる状況を微笑ましく、嬉しく感じていました。
しかし、中国の経済成長に国民の民度、成熟度、公共マナーが追い付いていないのが起因で、ヒンシュクを買っているのは確かです。
しかし、それも私たち日本社会が過去に通ってきた同じ路なのです。
何時か、静かな、落ち着いた京都に戻ってくるのを期待して、当分、京都は卒業です。
で、奈良なんですか?
奈良は高校の修学旅行が初めてで、その後退職してから二度きており、今回が四回目です。
奈良には、そんな喧しい外国人はいないのか?
いいえ、やはり奈良の観光名所、東大寺・奈良公園は、遠く数十メール先から大きな声で話す広東語・北京語が聞こえてきます。
京都ほどではない・・・程度です。
今回の奈良は、梅雨入りが遅れている西日本の奈良の静かな田舎を廻るのが目的でした。
これほど多い、外国人観光客、特に中華系団体客なかで、全くその姿を見かけない観光名所がありました。
奈良市内では西ノ京を中心とした、「薬師寺」、「唐招提寺」は個人旅行と思われる、ご夫婦や女性の一人旅姿が多く見受けられました。
ここでは、若干の西欧人観光客はいるものの、中華系団体客は皆無でした。
大和西大寺を中心とした、平城京跡に至っては、外国人観光客は皆無でした。
どうやら、インスタ映えする風景もなく、トリップアドバイザーにも記載が少ないのが原因でしょう。
私たち日本人にとっては、子供の頃から歴史教科書に登場し、誰でもが知っている一度は訪れてみたい場所なのですが。
飛鳥路もまた、外国人観光客の姿はありませんでした。
飛鳥路は退職したその年の晩秋を、ゆっくりと歩いたことがあります。
その時に、カミサンが気に入ったのでしょう。
今回の旅のメインとしてこの飛鳥路と、今年のJR東海のキャンペーン寺「長谷寺」「室生寺」を一日で廻る計画をたてました。
免許証のない私たち夫婦の足は、公共交通機関しかありません。
奈良市内のホテルを8時前に出て、最初の目的地「キトラ古墳」へ向かいました。
「キトラ古墳」の最寄り駅は、近鉄吉野線の「壺阪山」です。
ここから歩い15分で、古墳公園に到着します。
空は快晴、飛鳥路の山々は新緑が映え、田圃はちょうど田植えの時期でした。
「キトラ・亀虎」の大目玉は、四神館と云う資料展示館なのです。
現地に到着して開館が9:30と知りました。
私たちは9:21分のバスで次の高松塚古墳に行かなくては、本日の最終目的地「室生寺」のバスに間に合わないのです。
キトラ古墳の外観だけを画像に納めて、バスで高松塚古墳に向かいました。
高松塚古墳は、当然ながら内部には入れませんが、展示館は開いていました。
高松塚古墳は、周辺の広大な土地を国が買い入れ、まるで公園のように整えられ、新緑の緑のなか、静かにゆっくり贅沢な時間を過ごせました。
高松塚から石舞台へ向かいます。
前回15年前に来た時は、周遊バスはまだなく、明日香村のあぜ道を歩いて行ったのですが、今回は、事前にネットで周遊バス時刻表を手に入れ、バスで向かいました。
二度目の石舞台の目的は、先月購入した新しいジンバル・ビデオカメラの撮影です。
如何に水平を保ち、ブレなく、石舞台の周辺を一周する動画が撮れるかのテスト撮影でした。
出来上がったものは、後日、ユーチューブにUPします。
飛鳥路の散策を終え、近鉄「橿原神宮」・「大和八木」で乗換、「長谷寺」に向かいました。
長谷寺駅で、次に向かう「室生寺」の最寄り駅「室生口大野」への時刻表を尋ねた時、衝撃の事実を知らされました。
私たちの予定では、「長谷寺」で下車して、長谷寺観光を1時間として、次に室生寺に向かう予定でしたが、
- 近鉄大阪線「長谷寺」駅から「長谷寺」までは、徒歩20分はかかり、長谷寺は広大なので、山門から本堂までは、登りで
どんなに健脚で、大急ぎでお参りしても、駅から長谷寺往復は2時間は必要であること
- 室生寺の最寄り駅は「室生口大野」であるが、徒歩では室生寺までは行けない、徒歩だと1時間以上の登山となる。
バスはあるが、1時間に1本だけ、帰りの最終バスは室生寺発16:30だから帰りは歩くことになる、バスで15分の距離だから
1時間以上かかると思うと云われました。
最寄り駅までルート、時間は調べていましたが、お寺と駅の間にそんなに距離、高低差があることを思いもつきませんでした。
つい最近まで、バスで15分なら歩けるという意識でしたが、古稀を過ぎ、極端に筋力が落ち込んできている今、一時間以上の登りは、ご遠慮致します、との心境です。
今回は、室生寺を中止して、ゆっくりと「長谷寺」の紫陽花と「大回廊」を撮影して私たちの2泊3日の大和路の旅は終りました。
旅先観光地での夕食に苦労しています。
私たち夫婦は飲みません。
カミサンは夕食時に発泡酒を時々飲む程度で、私は全くの下戸です。
観光地で私たちは、特別その地名物料理を絶対に食べたいとかは思いませんし、先ず旅先ではついつい、間食が
多くなり太りやすいので、帰宅して乗る体重計を考え、旅先では普段の食事に比べて減る、野菜類を沢山食べられる
ような夕食を選択するようにしています。
でも、なかなか、美味しそうな、リーズナブルなレストランを見つけることは難しいのです。
私たち夫婦の旅先での夕食予算は決まっており、二人で3,000円です。
旅先の繁華街や駅近くの夕食を食べる所は、圧倒的に「居酒屋系」が多く、魚・肉が中心になり、飲まない夫婦には
入りづらい場所です。私たちの予算で目的とする野菜がとれる、和食系となるとチェーンの「大戸屋」とかになってしまい
、流石に奈良の都でチェーン店はないだろう・・・とウロウロとしているうちに、コンビニで野菜サラダとヨーグルトを
買って、ホテルの部屋で・・・なんて事になることもあるのですが。
今回、私たちのホテルは奈良の銀座通り「三条通」にあり、昼間歩いた時に今晩の目星をつけておきました。
「大和CAFE」です。
基本の和食小鉢7種類に、選択できるメイン3種類のうち一つで1,580円、ですから私たちの嗜好・予算に納まりました。
この日メインは、豆腐を使ったつくねハンバーグでした。
ネット上での評判も良く、奈良の夕飯はコンビニでも、チェーン店でも、ラーメン屋でもなく、健康的に摂れました。
動画の紹介
奈良の旅第一部「西ノ京」と奈良市内ビデオ
奈良の旅第二部の飛鳥路、キトラ・高松塚・石舞台と、長谷寺は現在編集中で、今週末UP予定です。