家内の父は90歳で、要支援2である。配偶者(要介護2)を昨秋に亡くし、こちらに引っ越してくる事になった。
本人は、住み慣れた場所に暮らしたい意向で、「一人で暮らせる」と最初は言い張っていたが、折れた。
二人が住んでいたのは、我々の住んでいる町からは、電車・飛行機・レンタカーで約6時間の町である。
かつては鉄道が走り、空港からのシャトルバスもあったのだが、廃止され、公共交通機関で辿り着こうとすると、
一旦逆方向の大都市まで行って、そこからバスを使うしか手がなく、レンタカーを使うのが現実的な手段である。
家内は年3回程、様子を見に行ってはいたが、遠隔地に出かけるのは大変な事だった。
母親に「来てほしい」と頼まれても、行けなかった事も、何度かあった。ヘルパーさん、ケアマネ・介護士、ご近所さんが、
心配するようになり、父親を説得した。
義父には、我々の近くの町のサ高住に住んでもらう事になった。
90歳を超えての見知らぬ土地への移動は、我々も不安だが、とりわけ本人が不安であったろう。
今回の引っ越しに当たって、自分達のこれからに参考になった事もある。
義母は昨年の6月頃から足に水が溜まり入院していた。その時点で、家内は近くに呼ぶ事を考えて施設を探した。
老人施設は多々あるのだが、夫婦二人で住める施設が少なく、しかも、要介護と要支援の夫婦で暮らせる施設は、
ごくごく少数であった。やっと見つけた施設に仮契約をして数日後に病院から連絡があり、
唐突に義母の余命を宣告されてキャンセルしたのだが、後に義父一人だけがお世話になる事になった。
見学させて貰うと、色々な人がいた。元気で、どうして入居しているのか不思議な人もいれば、車いす生活の方もいる。
ほぼ寝たきりの方もいるらしい。
老人ホームではないので、皆で運動みたいな事はない。だから、入居者同士の付き合いは薄いとの事。
(これは良いのか悪いのかわからない)
一応、看取りまでして貰えると説明を受けているが、認知症になった時の事は、相談だそうだ。
まあ、初めての事だから、そんな筈ではなかったと思う事があっても(既に、最初の説明と違う事があるのだが)
仕方がないと思おう。
部屋のタイプ、料金は図・表の通り。選んだのはCタイプである。
本来夫婦用であるが、
家族が遊びに行って寛げるスペースがほしいのと(そうでないと、行かなくなるだろうと思うし、
遠方に住む義弟が来た時に泊れるスペースがほしい)、車いすでの移動が窮屈にならないようにと思った事、
そしてたまたまこのタイプには日当たりと眺めの良い空きがあったからである。勿論、費用がなんとかなりそうだというのが前提。
このタイプの場合、風呂・ランドリーは共用である。
ミニキッチンがついているが、共用の大きなキッチンもある。
料金は食費や介護費用ぬきで月額20万円位になってしまう。これに食費がかかり、介護サービスの利用料とか、
その他雑多なもので、月30万円位になってしまう。思っていたのよりかなり高い。
義父は教員をしていたので、年金は恵まれている方だが、年金だけでは大幅赤字であり貯金を崩す事になる。
試算すると、少なくとも100万円/年の取り崩しが必要である。
本人は、年金で足りるのかどうかを随分気にした。老いて貯金が無くなるのは心配なのだろう。
年金では足りないけれど、そんなに生きないのだから貯金でなんとかなるし、体が弱って動けなくなったら、
狭い部屋に変更したら良いと思っている。
契約者は入居者本人だそうで、実印・印鑑証明だの戸籍謄本だの、収入証明やら貯金残高だとか、色々必要だと言うのだが、
本人は遠方にいるので、用意できない。
結局、仮契約(審査)しておいて、父の移動と本契約と入居を同じタイミングで行う、忙しい手続きとなった。
家内が父を迎えに行って、必要書類を入手し、引越し荷物を出し、残ったものを処分して、連れて帰ってきた後、契約し、
荷物を入れた。家内は「激動の一年、怒涛の三日間」と言っている。
同じような事情の人はいる筈だから、手続きが子供達にもできるようにしてもらいたいものだ。
入居者である義父当人は、この施設を全く見ずに契約した事になる。
入居数日して、「この施設は、手摺が少なく、介護度の軽い人の入る所で、自分にはふさわしくない」と不満をもらした。義父の状態は家内が十分わかっている筈で、その家内が良いと判断したのだし、義父の介護認定は「要支援2」なのだから、私としては、まさかの不満だった。しかし確かに私達は、どんな施設があるのか、ほとんどわかっていなかったし、義父の使い勝手を十分に考えていなかった。やはりなんとか方法を考えて、義父と一緒に探すべきだったと反省している。介護付き有料老人ホームが良かったのかもしれない。幸い、本人の不満は、歩行機を買う事で解消された
サ高住の提供する生活支援サービスとは「安否確認」と「生活相談」である。
具体的には日中、2度安否確認してくれている。
一度本人が、脈が変だと相談したら、血圧と酸素濃度を測ってくれ、
頭を低くして寝るようアドバイスされたそうだ。その時は、食事を部屋に運んでくれもしたとの事。
これが、生活支援サービスと言う事なのだろう。
色々な所にナースコールがあり、24時間スタッフがいる。
夜中も希望すれば、簡単な安否確認(部屋に居てベッドで寝ている事のみ)をしてもらえる。
介護サービスの手配も、このサービスの一つなのだろう。
訪問介護事業所を併設しているので、そこを利用するのが一番簡単だが、どこでも利用できる。
もしも、我々の自宅で同居するとなると、我々が、義父の様子を見ていて、具合悪ければ病院に連れていき、
またケアマネジャーと相談して、介護サービスを依頼する事になるが、
そうした手配をしてくれていると理解できる。
私達夫婦は所謂マンションに娘家族が居候しているので、義父に暮らしてもらう事は物理的にかなり苦しい。
しかし、例えスペースがあっても、家内は同居したくないらしい。
私の父の面倒を見ての彼女の教訓なのかもしれない。
確かに、ずっと義父と一緒にいたら息が詰まりそうな気がする。
いくら介護サービスを使ったとしても、家内の負担はあるし、食事もしなければならない。
今の「スープが冷める位の距離感」が私達にとっては丁度良く、義父が「自由で嬉しい」というのも、
自分のお金で独立して暮らしているという事が作用しているのかもしれない。
生前、私の父が同居して家内に面倒見てもらっていた頃、二人の仲が上手く行かず、
施設に入ってもらおうかと考えたのだが、父から良い返事が得られず、本人を無理やり施設に入れるのは
可哀想で、結局そのまま看取りまで同居してしまった。
父の貯金は貯まったが、家内には申し訳ないし、父にも悪い事をしてしまったように思う。
家内には都内に住む退職した弟がいる。この弟の住まいなら、夫婦2人住まいで自宅介護できそうな気がするが、
そのような話が出た事は一切ないし、「自宅の近くの老人施設に」との話も出なかった。
決して親を姉任せにしている訳ではなく、とても親思いの弟なのだが・・・。
家内は、面倒見るのは実の娘が良いと、元々弟の事を当てにしていなかった。
義弟には、少なくとも1回/月、ゴルフの帰りに立ち寄って泊って行くように言ってある。
金銭面を考えれば、言うまでもなく自宅介護が良い。
また、自由に手摺をつけたりできるのも自宅介護のメリットである。
両親が住んでいたのは、「町」であるけれど、スーパーのAEONもある比較的大きな町である。
手術・入院のできる町立病院もある。しかしペースメーカーの手術や肺癌の精密検査といった
高度の医療はできない。また義母が退院間近と告げられていて、突然に余命宣告された事には不信感がある。
医療の事を考えたら、都会に暮らさないと駄目だ。
一方、家内も義弟も、病院含め、役所・銀行、葬儀屋・引越しや・不動産屋さん、近隣の方々、
皆さん信じがたく親切だったと感謝している。
お隣さんは、ずっとゴミ出しをしてくれていたそうだ。
皆さん助け合っている。これは田舎暮らし(もしかすると、この土地特有のものか)の素晴らしい点である。
調査では入居の一番の理由は、「独り暮らしが不安になったため」である。
確かに、一人になったら、家で倒れてもそのままになってしまう。
子供に「心配だ」と言われて住んでいる人もいるかもしれない。
私個人的には、そもそも年老いて伴侶を失った一人暮らしは、寂しくなるのではないかと思う。
施設に入れば、多少の会話はできるが、家にいたら何日間も会話した事ないと言う事もありそうだ。
最初に施設を見学した時には、老人ばかりで奇異で寂しく、また虚ろな目をしている老人が気になったが、出入りしていると、
老人が適度な距離感で寄り添って生活している姿がほほえましく感じ、これはこれで良いのかもしれないと思えてきた。
とは言っても、私達には早々とここに入居するお金はない。夫婦二人でというのも苦しい。
結局は家内の両親と同じように二人で頑張れるまで頑張って、どうにもならなくなったら或は一人になったら、
特養が空くまで、入居するという事になるだろう。
今回の事で他に、趣味を持っておくのがやはり重要だと思った。
義父のハーモニカを見習って、昔いじったギターをもう一度始めよう、また碁もこれを機会に勉強しようと思う。
人生100年とか言われて、100歳までピンピンしているかのように囃されるが、健康寿命と寿命の差が示すように、
人の助けを必要とする期間が10年以上ある。
この間をどう生活するかを考えておくことは、重要な事かもしれない。
そう簡単にコロリンとは逝けないのだし、介護で生活破綻する人だっているのだから。
私達は、両親に勉強させてもらっている。
管理人追記編集後記;
私のごく身近な友人二人が最近「サ高住」暮らしを始めました。
お一人は、スポーツ仲間の女性(推定77歳)
鎌倉のかなり奥の大規模開発された、ひな壇の住宅街にお住まいでした、が数年前にご主人をなくされました。
そして二年前、隣の横浜市のURの「サ高住」に引っ越しなされました。
彼女は山ガールでヒマラヤ・トレッキングにも行くような本格派でもあり、東海道53次を何回から分けてあるくような
健脚家でもあります。
なんで、立派なご自宅を売却し、やや不便な横浜市の公団住宅に移ったのか、聞きました。
理由は:
夫が亡くなり、子どもたちが巣立っていくと、戸建ては一人暮らしに広すぎる、庭の手入れも面倒、ご近所のお付き合い
もあるし、この住宅街にも空き家も目立ち、商店も無くなつていく、その割には固定資産税は安くならない。
特に老後資金に困るということではないが、これから年老いていくのに一人暮らしは少し不安がある。
子どもたちに面倒を見てもらおうとは思わない、その為、子どもたちには、家の売却したお金を一切渡さずに、
自分のこれから先の介護・老後の為に使う。
公団のサ高住ってどうなの:
「サ高住」と云っているけど、NTT+SECOMの電子機器による見守りサービスだけがついて
いるけど、他はなにもない、一般の公団賃貸と何も変わらない。
公団だから、保証人とか敷金とかないけど、建物は結構古く、家賃もそんなに安くはない。
ネット回線も自分で引かなくてはならなかった。
よく話に聞く、介護付きサ高住とは、全く別物と云っています。
もうお一人は、先々月、生まれ故郷のサ高住に引っ越しました、やはり77歳男性・独身です。
詳しく内容は、
管理人の過去のブログ 「早期退職の先輩・師匠の帰郷、サ高住への入居」をご参照下さい。