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2022/5 投稿者 Rocky
人生の終い方

古代インドでは人生を四つの時期に分ける「四住期」という考え方があった。
この「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」は現在に置き換えることが可能だと、作家五木寛之氏が書いていた。
心身をきたえ、学習し、体験をつむ「学生期」や就職し、結婚し、家庭をつくり、子供を育てる「家住期」を終えて、 その後の人生のあり方を考える「林住期」をロングステイやシーズンステイを取り入れて過ごした。
その様子はこの管理人さんのサイトに投稿。
その結果、「遊行期」の方向性を見つけることができた。
「遊行期」とは
その後コロナの流行やカミさんの発がんを機に、人生の最期を悔いなく迎えるための「死生観」を整理してみた。
「過去を追うな。未来を願うな。つまり過去は過ぎ去ったものであり、未来はまだわかっていない。
だから今日一日を精一杯生きろ」とお釈迦様がおっしゃったように、「一日暮らし」を愚直に実践していけば 自然死も夢ではないと思えてきた。


西洋医学と東洋医学

「国民皆保険制度」のおかげで、世界最高レベルの平均寿命をめざしてきましたが、結果として自分では食事ができない 寝たきり老人を増やすことになり、老老介護や介護の為に仕事を止めざるを得なくなっています。
このことが虐待や殺人をも招いているんじゃないでしょうか。
そもそも西洋医学による胃ろうや点滴をしなければ、安らかな尊厳死で終われたと思われる事例を聞くと、 生老病死に逆らわない東洋医学を見直したいと思います。

在職中は軽々に休むわけにはいかないので、西洋医学に頼って酷使してきました。でも退職後はサンデー毎日なので、 不調を感じれば消化の良いものをとり、体を温めて寝ることを心掛けたので病院に行くことは歯医者と持病だけになりました。
また日々の体調管理に心掛けて早めに養生すれば、医者のお世話にならなくても済むことと気付かされたので、 今では健康保険による特定検診は受けていません。 仮に受けたとしたら、検査結果により再検査となることがあるんじゃないでしょうか。
そもそも検査データーが衰えてくるのは健全な老化であって、早期発見による辛い手術をしてもどれだけ延命できるのでしょう。 だって立派な高齢者なんですから。
思い返せば、毎年季節の変わり目には風邪で寝込むことが多々ありましたが、不養生で無理を続けたことだったと悟れたことは、 お釈迦さんのようにブッダ(悟った人)になれたのかもですね。


免疫力と自然治癒力

ではなぜ、養生をすれば大事に至らないのでしょうか。これは持って生まれた免疫力と自然治癒力によるものですよね。
長い人間の歴史はこの免疫と細菌やウイルスなど病原体との戦いの歴史でもあります。
この免疫力を維持できていれば、多くの場合発症せずに済みます。
仮に発症しても的確な養生をすれば自然治癒力によって回復します。
皆さんご存知のように口の中っていろんな病原体が存在していますが、唾液によって守られていますよね。
ただ年齢とともに量は衰えていくので、病気を発症する確率が高くなります。
年寄りが病気に罹りやすく、やがて死に至るがゆえに「生老病死」なんでしょう。
また皮脂や汗なども体を守ってくれているので、アルコール消毒もやりすぎると罹患しやすくなるので気を付けたいものです。
私は乾燥肌で冬の時期の下肢は痒くてたまりません。体質的に手や顔は脂性なのでたっぷりの石けんを使っていましたが、 このことを知ってから下肢には石けんを止めたところ痒みが解消しました。同様に石けんを使いすぎるから保湿液を使うのですよね。江戸時代の洗顔は石けんではなく糠だそうで、ビタミンやミネラルなどが多く美容効果がある上に、紫外線を防いだそうです。 保湿を保つのが皮脂なので、身体を清潔に保つことは大切ですが、洗いすぎるのは考えものです。
また薬の使い方も考えないといけませんね。服用による副作用によって新たな薬を必要としていることがあります。
でも、なかなか改善しないので諦めて薬を止めたら直ったなんてことを聞きます。
実際、頭痛持ちの知り合いはなかなか治らず、徐々にきつい薬になっても改善しないので薬を止めたら痛みが消えたそうです。 薬のコマーシャルを見ない日は無いと思いますが、いまこそ薬に頼るのではなく「免疫力と自然治癒力」にシフトしたいものです。


医食同源

子どもの頃はドラッグストアなんてありませんでした。
薬は医師に処方してもらう以外は、富山などから来る行商の薬屋が置いていく「置き薬」を常備薬として、風邪、腹痛、頭痛や目薬、点鼻薬、消毒薬、うがい薬、はり薬、ぬり薬などを使ったものです。 また風邪には置き薬ではなく生姜湯や卵酒などを飲んだり、擦り傷や切り傷なんかは「舐めておけば直る」とまで言われたものです。
ところが今では、ドラッグストアが食品スーパーのように気軽に利用できるので、ついつい購入してしまうものです。
そもそもかぜを治す薬は無く症状を緩和するだけで、あとは自然治癒力により回復するのを待つだけなので、 「日薬」とも言われます。
この自然治癒力を高めたり病気を予防できるのは、バランスの取れた美味しい食事をとることが有効なんですね。 そのため徳川家康は具沢山の「五菜三根の味噌汁」を好んだと言われています。


不老不死

人は等しく老いるものであり、アンチエイジングなんてマスコミに踊らされるのは悲しいものです。
歴史を紐解けば不老不死を求めた権力者は居ましたが、誰一人得た者はいません。それにもかかわらずエクササイズや サプリメントなどのカタカナ言葉に乗せられて、無駄な出費をさせられる人がいます。
また髪を染める人がいますが、しわや肌のつやが年相応に衰えているのに、髪だけがカラスの濡れ羽色なんて極端に アンバランスですよね。その上、風が吹けば分かれ目の白さが際立つので気の毒としか言えません。

以前はロマンスグレイなんて粋な老人がもてはやされましたが、近頃は白髪を気にしないご婦人も見かけるようになり、 年相応の魅力と言うか色気さえ感じられて好いですね。
BS日テレの「小さな村の物語・イタリア」に登場するお年寄りはお洒落で、毎日バールに出かけてはおしゃべりを楽しんで いるのを見ますが、我々が喫茶店に行きモーニングサービスを楽しむのと通じるものを感じます。
ただ彼らと違うのはお洒落の度合いでしょうね。 いくつになっても異性を意識し、粋な老人と見られるようなお洒落を心掛けたいものです。


生きるために働く

自営業と違ってサラリーマンは定年があり、退職を余儀なくされます。
そして平均寿命が延びているので、しっかりとした老後の生活設計を立てておかないと、悲しい老後を迎えることになります。
在職中は休暇を取りにくいこともあり、退職したら思い切り遊ぶぞと思い描くものですが、毎日が休日と言う現実は辛いものが あります。

以前は会社のスケジュールに合わせていれば規則正しい生活ができましたが、この糸が切れてしまうと 「今日用」「今日行く」に悩まされることになり、こんなハズではなかったと思い知らされるものではないでしょうか。
こうしたことにならない為には働くことだと思います。
そして適度に遊べるようなパートタイムがいいでしょう。

言うなれば「デカンショ デカンショで半年暮らす ヨイヨイ あとの半年ゃ寝て暮らす ヨ―イ ヨ―イ デッカンショ」 程度が楽しいですね。
仕事に生きがいを持つなんて考えないで、規則正しい老後を生きるために働くことで小遣いが得られるなんて 、有難いことではないでしょうか。
もっとも遊び感覚では雇い止めもあるので、感謝の気持ちを忘れず脇役に徹することが長く続ける秘訣でしょう。


人と比べない

ところで私たち団塊世代は、第二次世界大戦後のベビーブームに生を享けたが故に、常に競争の渦中を生きてきましたし、 この先火葬場の順番も狭き門となることでしょう。

ただ幸運だったのは敗戦からの経済復興や朝鮮戦争の特需など右肩上がりの経済成長により、 一所懸命に働けば人並みに所帯を持てたので、独身を通そうという人は少なかったですね。 と言うより、まわりと比較されるので結婚せざるを得なかったものです。

またその後の人生の節々において、他人と比較されるたびに辛い思いをしてきました。 でも何とか我が子の成長に区切りがつくと、周りと比較しない生き方の大切さがわかってきました。 「人と比べたときから不幸が始まり、あと先考えることから不安が生まれる」と言われるように、 他人の生活と比較しないことで心にゆとりが出来ます。
だって「人生いろいろ、人それぞれ」なので比べること自体意味のないことです。


知足安分

とは言え他人と比べないと目標をどこに置くか迷うものです。
そこで仏教では「小欲知足(欲少なくして、足るを知る)」と教えています。
スポーツの世界では無欲の勝利なんて言いますが、勝ち負けを競うものに無欲なんてありえません。
五欲と言われる「食欲、性欲、睡眠欲、財産欲、地位名誉欲」を無くすことは出来ませんが、少なくすることは可能です。
ただ人それぞれなので孔子は「知足安分」と言って、高望みせず自分の境遇に満足することが大切だと言っています。


利己から利他

退職後は時間的に余裕が出来たので、いろんなことを深掘りできます。 70代半ばになって改めて人生について考えてみました。
これまで就学を終えて就職し、伴侶を見つけて家庭を築き、退職を節目に余生を楽しもうとその節目ごとの 目標を立てて進んできました。でもその先の死と言うものの目標はありませんでした。

そもそも生き物の第一の目標は種の保存ではないでしょうか。そのために外敵から逃れる知恵を学習し、生殖期にはパートナーと子育てに集中します。そして生殖機能の終焉とともに命を絶っていくもので、生まれた川に戻って産卵すると死んでいくサケがそうですね。 ところが人間だけは、生殖期を過ぎても長々と生き続けます。
この時「老いては子に従う」年寄りであればまだしも、過去に拘り上から目線の口出しをするから厄介者扱いされるのです。
退職前後に自分自身の来し方を振り返り、行く末を考えて老後の目標をたてることが大切です。
お釈迦様はサーキャ族の王子として生まれ何不自由ない生活を送っていましたが、29歳の時に「生老病死」 の苦から解放される真理を求めて苦行に出ました。そして35歳で悟りを開き、その後45年間にわたって悩める人々に 如何に生きるかを説いて回り、80歳で病に侵され静かに生涯を終えたのです。
このことを知ってから、在職中の「利己の心」から「利他の心」を目指すことにしました。


無財の七施

1.眼施(がんせ)   常に温かく優しい眼差しを施すこと
2.和顔施(わがんせ) いつもニコニコ笑顔で接すること
3.言辞施(ごんじせ) 優しく時には厳しく叱る愛情のこもった言葉
4.身施(しんせ)   自分の身体を使い奉仕すること
5.心施(しんせ)   心配り・気配り、思いやりの心を持ち、相手の立場になってみること
6.床座施(しょうざせ)座席や場所、地位を譲ること
7.房舎施(ぼうしゃせ)家や部屋を提供すること


と言っても「財施・法施・無畏施」の如き施しは出来ませんが、「無財の七施」のひとつ体を使って奉仕する 「身施」ならできるので、北海道の援農を皮切りに今では近隣の援農を続けており、断られることなく続いているのは 嬉しいことです。
時々、援農を断られるシニアに出会いますが、私が見ても「利他の心」に欠けるのが分かります。


化学的輪廻・物質不滅の原理

まぁ、こんな具合に生きたとしても「死」は避けられません。 また生き方としてお釈迦さんの教えに共鳴することはありますが、個別の宗教信者ではないので生まれ変わる来世が あるとは思いません。

ただ松田ゆたか医師が書いた「孤独死ガイド」(幻冬舎)にある「物質不滅の原理、質量保存の法則」は理解できます。
我々の体を作っている水素、酸素、炭素、窒素等々の膨大な数の原子は滅びることなく、 分解されて地球全体の物質循環の流れに戻っていき、植物の肥料や魚介類の餌となった後は家畜などを介して 我々が食することもあるので、動植物を構成する原子に組み込まれることはあります。

こうした「化学的輪廻」を考えると、遺骨を墓に閉じ込めるのではなく散骨などで自然界に戻すことは特異なことではなく、 いわゆる自然葬なんですね。
親鸞聖人は「自分が死んだら鴨川に流して魚の餌にしてくれ」と言ったそうです。
これは「生前に多くの生命を奪い、その肉を食べてきた。中でも多く食べてきたのは魚である。 いかに生きるためとは言いながら、まことに済まんことであった。 せめて死後なりとも、この肉体を魚にたべてもらおう」との御心だそうです。

海洋散骨

そう言えば、昔の映画では船上で亡くなった亡骸を海に流すシーンを見ましたし、鳥葬や風葬も自然葬なんですね。 こんなことを考えながら、自分の終い方は海洋散骨にしようと情報収集を始めました。

ところがこちらでは、火葬後の骨上げをしない「遺骨不要」を申し出れば火葬場で処分してくれるので、 海洋散骨もなく葬儀を済ませることができます。
そもそも関東の全収骨と違って部分収骨なので、残った遺骨は斎場が始末しています。 ただどちらも大部分は灰となって斎場が始末することを考えれば、特異なことではありません。 私としては家族の負担を軽くしたいので、この2案を話し合って決めていきます。 また年賀状を卒業して付き合いを減らしたこともあり、葬儀は家族だけで行う火葬式(直葬)を考えていますし、 仏教に帰依していないので僧侶も呼びません。

ささやかな希望は、我が家の庭に咲く花を一輪だけ棺に添えてくれればと願うだけです。
どちらにしても楢山節考の「楢山まいり」は遠くないと覚悟しなければなりません。と言っても即身成仏や自刃 できるわけではなく、散り際は悩ましいものです。
昔のように住み慣れた自宅での旅立ちは少なく、介護施設が多くなっていますが、これは現在の楢山送りじゃないんでしょうか。 私は嫌ですね。

特に食べさせてもらう映像を見ると、そこまでして延命させることをお年寄りが喜んでいるのか考えさせられます。
中には「しっかり食べないと死んじゃうよ!」って言っていますが、冥土への一里塚を歩んでいるんだから死ぬのは当たり前なので、 無理やり食べさせるのではなく自力で食べれる工夫をしてあげるべきだと思います。
テレビで見た南米アマゾンのハンモック生活の部族では、食事の配膳はしても食べさせることはせず、時間が経てば片付けます。 これを繰り返すうちに体力が衰え老衰していくのですが、これこそが尊厳死だと思いましたね。

お釈迦さまが80歳で死を悟られた時には「わたしは疲れた。横になりたい」と言って延命を望むことなく生涯を終えたそうです。

無為自然

そこで、終末期は延命をしないように日本尊厳死協会に「尊厳死の宣言書」を登録しており、 いざという時に医師に伝えることで自然死が叶うと思っています。
それまでは、一休さんの「有露路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ風吹かば吹け」や老子の 「無為自然」あるいはサントリーの「何も足さない。何も引かない」の如く、あるがままを受け入れていきたいと願っています。

以上、家族に残すエンディングノートとして整理したものです。


Copy right all reserved by Rocky 2022 May 6