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プロローグ はじめに

六十歳を迎える2、3年前から、このホームページを拝見し、退職後の海外旅行を心待ちにしてい ました。
特に、ロングステイのような長期滞在型の旅行にも憧れており、時間をかけて異国の文化や 暮らしを楽しむことを夢見ていました。
退職後は、以前の職場で週3回働きながら、春、夏、冬の長期休暇を利用して、5年間で11回の海外 旅行を実現しました。
そのうち4回は家族や友人と一緒に個人旅行を楽しみました。個人旅行の魅力 は、自由なスケジュールと、自分たちのペースで旅を進められる点にありました。
しかし、完全リタイア後に予定していた2020年春の海外旅行は、コロナウイルスの大流行により叶い ませんでした。
外出もできず、毎日テレビの前でお菓子を食べながら過ごす日々が続きました。コロ ナ禍が落ち着いた頃には、待ちきれずに台湾への一人旅、スイスのツアー、韓国への2人旅を実行 しました。
特にコロナ禍の前、今から5年前の夏に、妹と一緒に2週間ドイツ東部とチェコ西部を旅したことが、 今でも鮮明に思い出されます。妹は、クアラルンプールで3年間勤務していた経験があり、英語が堪 能です。そのため、切符の購入や変更、ホテルとの交渉など、旅行中の重要な場面ではすべて彼女 が対応してくれました。
2人で旅行することで、宿泊費が安くなることを妹は喜んでいました。
私がホテルの予約と一部のバスの予約を行いました。
そして今回は、退職した妹と共に、名古屋からソウルを経由し、ブダペストからエストニアのタリンま で、中欧5カ国7都市を巡る旅に出ることにしました。この旅は、妹との再びの旅の機会であり、ヨー ロッパの美しい街々を訪れる素晴らしい冒険となりました

ハンガリー・ブダペストからエストニア・タリンまで5カ国 7都市の旅の日程

1 ブダペスト(ハンガリーの首都) 5月14日~16日
①国会議事堂とドナウ川散策、中央市場(ペスト地区)、王宮見学 (ブタ地区)
② 寝台列車(ブタペストからポーランドのクラコフへ) 5月16日PM7時半5月17日 AM 5時50分
2 クラコフ(ポーランドの古都) 5月17日~5月19日朝
① 旧市街とお城 ② アウシュビッツ博物館
3 ワルシャワ(ポーランドの首都)5月19日~5月20日
① 旧市街、 ショパン博物館、
4 カウナス(リトアニアの古都)5月21日~5月22日
①旧市街からバスに乗って旧日本領事館へ
5 ヴィリニュス(リトアニアの首都)5月22日~5月23日
① 旧市街 ② 郊外のトゥラカイ城
6 リガ(ラトビアの首都)5月23日~5月25日
① 旧市街 ② スイグルダとトゥライダ城
7 タリン(エストニアの首都) 5月25日~5月27日
① 素敵な円屋根の城壁に囲まれた旧市街
② 民族野外博物館
8 タリン空港からヘルシンキ空港へ→ ブダペスト空港 →ソウル
 27日 pm2:55→npm3:55 pm16:50→pm18:10  pm20:00→28日pm1:50
 ソウル→ 名古屋 pm19:05→pm21:05
この旅程は、歴史的な都市と世界遺産を巡る多彩な内容となっており、ヨーロッパの文化と歴史に触れる充実した旅となるでしょう。
この旅の日記を通して、5カ国7都市でのさまざまな発見や感動、時には失敗も含めた、全ての体験を記録していきます。

ソウルからブタペスト空港へ 大韓航空にて13時間15分 膝痛発症

5月13日名古屋発13時50分発ソウル着15時45分。
仁川国際空港第2ターミナルから3つ目の駅雲西 (ウンセ)から5分のホテルに宿泊。
翌日ソウル発12時35分 ブダペスト着20時。時差は7時間。ブタペストへ満員の大韓航空にて13時間15分。しかし、出発は1時間ぐらい遅れました。 名古屋空港での出発も30分近く遅れました。
この航空券は16万6570円でした。
当日乗り継ぎ便は、これより2万円ぐらい高かったです。trip.comで購入しました。
台湾も韓国もこの会社を通して航空券を買いました。

ブダペスト空港に着いて、荷物を待っていると、30 分経っても同じ荷物がくるくると回って私たちの荷物は全然出てきません。 私達だけではなく、大勢の人が身動きせず、荷物を待っています。
荷物の回るカウンターがとても小さいので、今、回っている荷物が取り出さなければ、 新しい荷物は出てこないのです。1 時間近く経ってからその原因がやっと分かりました。
団体客がやっと説明を聞き終えてやってきたら、どんどん 荷物が減っていきました。
こんな風に荷物がいつまでも出てこなかったら、帰国する時に、乗り継ぎ時間が少ないので、乗り継ぎで出国できなくなってしまうのではないかと心配になりました。 ブタペスト初日は長時間フライトの上、夜8時過ぎにホテルへ到着したので、疲れて外出しませんでした。
2日目に、ドナウ川沿いを15分程歩いていたら、右足の膝に痛みが出てきました。 左足は今まで、膝痛になったことがあるけれど、右足は一度もなかったので不思議でした。 結局、この右足の膝痛は旅行の最終日になっても治らず、帰国してから、エコノミークラス症候群ではないかと気づきました。
大韓航空の満員の飛行機の中で、両隣に挟まれて身動きもできず、トイレにも二回位しか行かなかったのが、原因かと思われます。 長時間フライトでは、適度な運動をたくさん心がける必要性を痛感しました。

1 ブダペスト(ハンガリーの首都) 5月14日から16日

両替とバスの切符

外国で空港を出たら、まず両替所で両替が必要です。
久しぶりのヨーロッパで、しかも初めて来た国ハンガリーなので、カードがどのくらい通用するか分かりませんでした。
はじめは、イギリスのポンドで両替するつもりでしたが、係員が両替できないとジェスチャーをしました。
そういえば、7年前にイギリスを旅した時、「来年新札が出る」と言っていたことを思い出しました。
約3万円分のポンドだったのでショックでした。
帰国した時に空港のUFJの係員に聞くと、イギリスの中央銀行に行かなければ変えてもらえないと言われました。
「3万円のためにイギリスに行くのもなあ。30万円以上使うことになるよ」と、諦めました。
結局、そこでは以前の旅の残りのユーロと、2万円分ぐらい両替しました。
ハンガリーのお金はユーロではなく、「フォリント」と言います。通貨コードは「HUF」です。
日本円との為替レートは日々変動しますが、2024年5月現在、1フォリント(HUF)はおおよそ0.4~0.5円(JPY)でした。

公共交通機関

ブダペストの公共交通機関は、地下鉄、バス、トラム、電車があり、市内の移動がとても便利です。
切符は通常、駅の自動販売機やキオスクで購入します。
空港を出ると、すぐに市内へ直行する100Eのバス停がありました。
バス停で切符の販売機の前に立った時、若い外国人の購入の様子を見てやろうとしましたが、全く知らない言語が出てきて、 一瞬頭がどうにかなってしまったのかと思いました。多分、ハンガリー語やドイツ語が出てきたのではないかと思います。
英語に切り替えると、スムーズに行きました。切符は1回乗車用、1日券、72時間券など、旅のスタイルに合わせて選べます。
乗り方:は乗車前に切符を刻印機で打刻します。特に地下鉄では改札がなく、検札員がいる場合があるので、 無打刻の切符は罰金の対象となります。
しかし、この後も旧市街では、切符の販売機を探すのに一苦労しました。また、機械操作に慣れるのには数回、練習が必要でした。

なんと65歳以上無料

ところが、2024年9月、インターネット上で最近知ったのですが、2024年3月からブダペスト市内のバス、トラム、地下鉄は、 以前は、EUの人達だけの特典でしたが、パスポートを見せれば、どこの外国人でも65歳以上無料になったそうです。
名古屋の大きい書店で探しても『地球の歩き方』は2020年の古いバージョンしかなく、5月に旅した私たちは気づきませんでした。 とても残念です。膝を痛めた私は、無料ならバスやトラムに気兼ねなく乗れたのに、とても残念です。
これからブダペストに行かれる方は、市内の交通機関が無料なので、遠慮なく使ってくださいね。
私たちの分まで、存分に乗ってくださいね。

ブダペスト 観光

①ドナウ川からの景色、国会議事堂、ブタ城

今回の5カ国 7都市の旅行の中で、 やはり一番、雄大な景色が眺められたのは、 ブダペスト観光だと思いました。
おすすめ 1番の観光地です。
観光の中心は、ドナウ川を挟んでブダ城があるブタ地区と国会議事堂、聖イシュートバン聖堂。、 マリオットやコンチネンタルホテル等の有名ホテルが並ぶペスト地区から見る景観です。両岸の景色が素晴らしいと思います。 まさにドナウの真珠と言われる所以です。
私達のホテルカルビンハウス ブダペストは、kalvin terMの近くでした。
空港からノンストップで30分ぐらい、バスを降りてから5分ぐらいの距離でした。
ここに決めたわけは、古いけど、バスタブがあり、部屋が広く安かったからです。
ロケーションもよいHOTELでした。今回の旅のホテルの中で唯一 バスタブがありました。
バスタブに浸かると旅の疲れの取れ方が違いますよね。
ホテルの近くには 中央市場もありました。中央市場は、観光客用なので値段が高く、 お値打ちな昼のパンを買うぐらいでした。しかし、地下一階には スーパーマーケットがあり、お土産を買いました。
たくさんのお客さんが来ていました。
 最初にホテルから中央市場の前を通って、国会議事堂を目指してドナウ川沿いを歩きました。
本当はトラムで行きたかったけど、切符を買う場所も見つからず、健脚な妹に誘われて、途中膝が痛くなったけれども、 とうとう最後まで歩き続けました。
ドナウ川 にはたくさんの大小の観光船が行き交っていました。
もう少し長く滞在したなら、観光船も体験したかったです。夜景の素晴らしさにも圧倒されます。

夜はトラムに乗って、ドナウ川の反対側の岸辺から国会議事堂や橋のライトアップされた美しさを眺めました。
朝も昼も夜も散歩したり、トラムに乗ったりして、ドナウ川の左右両岸からの景色を楽しんだりすることができました。 券売機はカルヴィン ティア M の地下鉄構内と国会議事堂 北側のバス停のそばに見つけました。
日本の地下鉄のように数が多くないので、広い 構内では見つけるのが大変です。

国会議事堂は、尖塔やアーチ型の窓は典型的なゴシック建築です。
内部の中心の高さ 96m 巨大なドームがあります。外から見た外観も壮大で見事でしたが、 中も豪華な内装で金箔が使われた絢爛豪華な雰囲気です。
天井が美しいフラスコ画でステンドグラスもあります。
特に心に残ったのは 議事堂内の柱やアーチにハンガリーの王たちや英雄たちを描いた 彫刻が目を引きました。 とても素晴らしいものでした。
また、入場者の言語がバラバラでもそれぞれの人にあった言語のイヤホンガイドを渡されるので、気になりませんでした。 ただ、入場料がユーロ市民以外には5319円と高かったです。申し込んだ時期がユーロが高かったせいもあります。
温泉で有名なブタベストですが、市内にいくつか温泉がありますが、やはり、 高くて4000円ぐらいします。

温泉というよりは、温水プールといったものではないかと考え、水着持参の必要もあり、行きませんでした。 日本の温泉の方が体が温まり、疲れが取れていいという予想でした。
 ブダ城はケーブルカーで上る方法もありますが、バスで坂を上り下りしながら、ブタ地区の観光名所を見ることができました。
膝痛の私為に妹が1回観光した後に、私を楽な方法で連れてきてくれました。
乗り換えは必要ですが、 お城のすぐ下のバス停で降ろしてくれる経路を見つけてくれたのです。

階段はあったものの、エレベーターを使えて最低限の徒歩ですみました。
ただ、お城は工事中のために、たいしたものは見られませんでした。
そのかわり高台からドナウ川と対岸の国会議事堂などの美しい景色を見ることができました。  心残りは、リスト 博物館に行けなかったことと、聖イシュートバン聖堂の中に時間外で、入れなかったことです。 妹によると素晴らしく豪華できらびやかな大聖堂だそうです。
外の外観からは想像できないと思いました。

寝台列車 ブタペストからポーランドのクラコフへ

 中部ヨーロッパ5カ国7都市を巡る2週間の旅は、時間を有効に使うために夜間の移動が不可欠でした。
ブダペストからエストニアのタリンまでの長い旅路では、少なくとも2回は寝台列車か夜行バスを利用する必要がありました。 この移動手段の選択は、旅の快適さと費用に大きく影響を与えました。
 まず、ブダペストからクラクフまでの移動手段が問題となりました。
寝台列車はゆっくりと横になって休める一方で、費用が高く、1人分の料金が27,800円(23,800円+4人部屋料金4,000円)かかりました。 これに対し、妹が提案した夜行バスは、費用が抑えられ、一人あたり4,375円で済むものでした。
迷った末に、最終的にはバスをキャンセルし、寝台列車を選びました。
そのために「FlixBus」のキャンセル料がかかりました。
クーポンという形でのキャンセル料なら1年間有効でしたが、知らなかったので2200円支払いました。
日本で聞いていた情報とは異なり、寝台列車ではいくつかの問題が発生しました。
まず、女性専用の4人部屋と聞いていたのに、実際には男性が2人も同室にいたことに驚きました。
さらに、小さなスーツケースを2つ置いただけで、身動きが取れないほど部屋が狭く、快適とは言い難い状況でした。
ポーランド人の車掌さんに交渉して、なんとか空き部屋に移ることができたものの、今度はベッドの灯りが点かず、 夜間の移動が非常に不便でした。

 また、朝食も期待外れで、下車30分前にバームクーヘン2切れと紙コップの紅茶1杯が提供されただけでした。
スイスやドイツの特急電車とは異なり、期待していた快適さやサービスには程遠いものでした。
寝台列車の選択が期待通りの結果をもたらさなかったことが残念です。
一方で、Warszawa西駅からカウナスまでの夜行バスは、予想以上に快適でした。
この時期は乗客も少なく、スーツケースの出し入れも簡単で、リラックスして過ごせました。
時間が許せば、昼間に景色を楽しみながらバスで移動し、ホテルに宿泊する方が、寝台列車よりも安く、 そして快適に旅を楽しむことができると感じました。

結論:どちらを選ぶべきか?

 寝台列車に乗るという体験を求めたものの、結果的には期待を裏切られた形となりました。
費用面や快適さを考慮すると、夜行バスや早期に予約した飛行機の方が良い選択肢である場合が多いでしょう。 次回の旅行では、移動手段の選択を慎重に考え、 状況に応じて最適な方法を選びたいと思います。皆さんなら、どちらを選びますか?
旅の予算や求める快適さによって、答えは変わるかもしれません。
 ヨーロッパも夜行バスは料金がリーズナブルで、利用しやすいのが特徴です。
特に「FlixBus」などの国際バス会社は多の路線を持ち、 予約もオンラインで簡単に行えます。
乗車中に眠れるかどうかは人によるため、移動の快適さを重視するか、費用を抑えるかで選択すると良いでしょう。
私は今回も「FlixBus」で、夜行バス1回、昼間のバス2回乗車しました。
どちらの移動手段を選ぶにしても、中欧の美しい風景を楽しみながら、効率よく旅を進めることができるのが魅力です。

2 クラクフ(ポーランドの古都) 5月17日~5月19日朝

① 旧市街とお城

クラクフは、チェコ共和国との国境に近いポーランド南部の都市で、中世に栄えた旧市街とユダヤ人街には、当時の面影が色濃く残っています。
私たちは5月17日の早朝6時半頃に夜行列車でクラコフ駅に到着し、アウシュビッツへ行くためにすぐバスターミナルに向かいました。
しかし、バスのチケットが10時発しかなかったため、アウシュビッツ博物館の訪問を翌日午前6時20分に予約し、当日は旧市街を回ることにしました。
バスターミナルのロッカーに荷物を預けてから、トラムの停留所に向かいました。
クラクフはコンパクトな町で、電車の駅、バスターミナル、トラムの停留所、 旧市街がすべて隣接しています。

また、駅には直結した巨大なショッピングセンターがあり、旅行者や乗客にとって便利なスーパーマーケットもあります。
私たちが宿泊したホテルは駅から徒歩5分ほどで、キッチンが付いていたため、何度もこのスーパーで食材やお土産を買い出しに行き、とても便利でした。
この時期、スーパーにはさくらんぼ、いちご、ブルーベリーが山積みにされていました。
さくらんぼはアメリカンチェリーのようで、アメリカから輸入されているのかと思いました。
フランクフルトとアスパラガス、卵も購入し、夕食や朝食に活用しました。とても美味しかったです。
地元で購入した食材で自炊するのも、旅行中の楽しみの一つです。

旧市街の入り口はホテルから約500メートルの場所にありましたが、トラムで行くことにしました。
ただ、ポーランドでもチケット1日券を購入するのに少し手間取りました。
旧市街の入り口には、1498年に建てられた円形の砦「バルバカン」があります。
これはヨーロッパで現存する数3つの貴重なものの一つで、最大規模だそうです。
ワルシャワにもあります。さらに進むと、旧市街の北側の入口に位置する、1300年に建てられたフロリアンスカ門があります。
この2つは古き良き大昔への郷愁を感じました。

旧市街のストリートを歩いて中央広場で聖マリア教会や旧市庁舎の塔、織物会館を観光した後に、妹と別行動で、ヴァヴェル城に向かいました。
その途中で、水笛を売っている民族衣装を着た2人の男性にお会いしました。
水笛は1個25ズウォティで約1000円でした。
少し高いけど、水笛の音色と民族衣装にひかれて、水笛1つ買いました。
そして 、気さくな年配の方とポケトークでお話ししました。
一体この方は何歳ぐらいだろうと思い、失礼ながら お年を聞いてしまいました。
背中が丸くなっていたので、私の見立てでは80歳以上だったのです。激しい労働をしたのか、それとも圧迫骨折をしたのかなと思いました。
ところが、返事は70歳と言われるじゃないですか。
私と同じ年齢。え?、信じられないと思い、「何年生まれですか ?」と聞くと「 1954年5月」と言う。
やっぱり、嘘じゃなかった。彼とは同じ年齢でした。
彼はショパンコンクールで入賞した 中村紘子を知っているかと、話しかけてくれました。
ここは クラクフでワルシャワ ではないけれど、ポーランド だから ショパンコンクールの日本人入賞者のこともよく知っていたことに驚きました。
お客さんが来たので、それ以上のお話はできなくて別れましたが、ポーランド人の方とポケトークを使って短い会話もできてよかったです 。
楽しい思い出になりました。

少し歩くと 坂の上にヴァヴェル城が見えてきました。
この辺りは観光馬車が行き来しています。登り切るとヴィスワ川も見えてきて、素晴らしい眺めです。
旧王宮のチケットを買うつもりが、ヴァヴェル大聖堂のチケット売り場に並んでしまい、ここは違うと3人のチケット販売係に言われてしまいました。
入り口の近くの建物に旧王宮のチケット売り場がありました。
ガイドブックの地図をよく見ていれば、良かったと反省。
膝痛があったので、ヴァヴェル大聖堂を見学しませんでしたが、旧王宮見学よりよかったかもしれないと後で思いました。

② アウシュビッツ博物館

5月18日 AM 6時20分にバスに乗り込みました。
このバスは、地域の人を乗り降りさせながら、アウシュビッツ博物館に行く路線バスです。
片道800円でした。AM 8時少し前頃に着いたと思います。
土曜日ということもあり、すでに大型バスが10台近くいました。
ガイドブックで見た自由見学できるという情報と違っていて、早朝から指定された言語のガイドと一緒にツアーで回るということになりました。
ポーランド語ツアーが8時と8時半。私達の英語ツアーは9時半なので、1時間以上待たされました。
入場料は約4,000円払いました。私は英語のリスニングも全くダメなので、目だけを使って、見学しました。
妹は、ガイドさんの ポルトガル 訛りが英語だったので、聞き取りにくかった場面もあったと言っていました。
日本語ガイドがつく見学ができれば、一番いいですよね。

敷地が広いので、博物館の入り口からずいぶん遠くに見学場所がありました。
5月でも結構、日差しが強く、温度は30度を超えてはいませんが、暑かったです。
いくつもの建物を入ったり、出たりしました。建物の中は 展示室として整備され 当時の様子を写真や図で分かりやすく説明されていました。
見学者が多いので、いくつかの グループと一緒になったり、すれ違ったりしました。
強烈な印象は、亡くなった方々の遺品が大量に展示されていたことでした。
靴が何万人分?何十万人分でしょうか? 靴がいっぱい、部屋中に置かれていました。
また、別の部屋では、メガネや旅行カバン、髪の毛をすくくし、ブラシ、お気に入りの食器がそれぞれ部屋いっぱいに展示されていました。
体が不自由な人が使っていた義足や義手、松葉杖まで取り上げるとは、なんとむごいことでしょう!いったい、どれだけの人の分でしょう。
どの部屋にも部屋中にぎっしりと山積みに置かれていました。私達はガラス越しに廊下から、それらの山積みにされた遺品を目にしました。
だんだん、気分が悪くなり、吐き気がしてきました。建物の中では、カメラの撮影をする気にはなれませんでした。

1940年6月14日にこのアウシュビッツの収容所が稼働してから、1945年1月27日に解放されるまで、およそわずか4年半で、130万人の人が連行され、 そのうち90万人が到着してすぐ殺され、収容された20万人のうち10万人が殺されました。ここには、ヨーロッパ中、南はギリシャ、イタリアからもユダヤ人が集められたことを知って、驚きました。
また、ポーランド人の支配層の人(政治犯)、ロシア兵、ジプシー等も集められ、言語は19にも及んだそうです。
なんの罪もない人がはるばる遠い町まで連行され、家族と引き離され、身ぐるみ奪われて、残酷な死に方をさせられるとは、やりきれません。
現在、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦争でも、罪のない大勢の人がむごい死に方をしていると思います。
アウシュビッツ収容所から約2㎞にあるビルケナウへシャトルバスが出ています。妹だけ見学に行きました。
クラクフでは、時間があれば、シンドラーの工場、シナゴーク、近郊のヴィエリチカ岩塩坑にも行きたかったです。

3 ワルシャワ(ポーランドの首都)5月19日~5月20日夜11時

クラクフから午前8時7分発の電車(乗車賃7008円)に乗って、ワルシャワに午前10時35分に着きました。
ただ問題だったのは、高校の修学旅行と思われる団体が乗ってきて、彼らは列車の後部座席にもかかわらず、 前の方から乗ってきたので、身動きできない状態になり、自分の座席に移動するのに20分ぐらいかかりました。
5月は花が咲き、緑の木々も美しく、とても気候が良く、 5カ国 7都市のどこでも保育園から小学生、中学生、高校生、大学生まで集団で観光している様子が見られました。
ワルシャワ駅に近いヒルトン系のホテルまで、徒歩7、8分で着きました。
ラッキーなことに、まだ午前11時半頃でしたが、12階の部屋に早速入れていただき、小休憩することができました。
おまけにこのホテルは、出発10日ぐらい前に、リーズナブルな価格、朝食付き13,000円の宿泊を見つけました。
今回の旅の中で一番高級なホテルでした。
予約していたホテルは広かったけれど、同じぐらいの値段で朝食がついていなかったのでキャンセルしました。

① ショパン博物館

ベッドで休憩した後に、ショパン博物館を目指しました。
1日券15plを買った後、徒歩で行動する妹とは別れて、トラムに乗りました。
すると、クラクフで見たヴィスワ川を渡って郊外へ進んで行きました。
慌てて反対側のトラムに乗り換えました。日曜日のためか、新世界通りは歩行者天国になり、観光客で一杯でした。
ショパン博物館は地上3階・地下1階のエレベーター付き最新設備を用いているおしゃれな建物でした。
1時間に70人という人数制限を設けているそうですが、私は予約せずに入場できました。
チケット1枚20pl購入は博物館の下にある別の建物でした。
その日は日曜日で、若手の演奏家がショパンの曲を45分間演奏してくれました。
週末には無料コンサートが行われるようです。
知らない曲でしたが、演奏を聴いて雰囲気を味わうことができました

② 旧市街

初日はショパン博物館から王宮を目指したのですが、旧王宮を見上げるところで疲れ果て、トラムに乗って帰りました。
途中トラムの中に切符の検札員が乗り込み、一人の若い女性が外へ連れ出されました。
多分、切符を持っていなかったのだと思います。次の日も同じ場所で検札員が乗り込んできました。
初めての体験でびっくりしました。
2日目は旧王宮とキュリー夫人博物館を目指しましたが、どちらも日曜日で休館でした。とても残念でした。
キュリー夫人の博物館は旧市街からバルバカンを抜け、まっすぐ少し北へ行ったところにありました。
コペルニクス像の斜め向かいに建っている聖十字架教会は、石柱の下にショパンの心臓が埋め込まれています。
金銀がふんだんに使われていて、荘厳な雰囲気がする教会でした。
深い森のようになっている広大なサスキ公園では、毎時間、衛兵の交代式が行われます。
時間になると、たくさんの小学生や中学生の集団が衛兵の交代式を見にやってきました。
5月の木々の葉の美しい公園を歩いているだけで心が癒される感じがしました。
ワルシャワのシンボルタワーは、何と言っても文化科学宮殿だと思います。
ワルシャワ中央駅の東にそびえる37階建ての高層ビルです。
遠くから見ても圧倒的な迫力があるタワーです。

③ 若いカップルの日本人に会う

妹が見つけた現地のミルクバーに行く途中、道に迷ってしまい、結局、すぐ近くにあるミルクバーに入りました。
ところが、メニューが全部ポーランド語で書いてあるので、手間取りました。
夕方で大勢の人の行列が後ろにできていたので、会計の女の子が嫌がっていました。
食事後、地下鉄のどれに乗ったら良いか迷っていると、声をかけてくれた日本人の青年がいました。
彼は現地でITの企業を立ち上げたそうです。
彼は稚内出身で、彼女は熊本生まれの熊本育ちですが、ポーランド人です。
日本で育ったので、日本語も話せて、普通の日本人のようです。
ワルシャワ大学を卒業して彼の会社に勤めているそうです。
2人ともここに永住し、日本には戻らないと話していました。
でも、ご両親は日本にいるそうです。
彼らはホテルまで送ってくれると言ったので、せっかくだから、日本から持ってきたおせんべいをあげたいと思い、 ホテルまで戻って手渡して、お茶をごちそうしました。
海外で頑張っている若い日本人に出会えて、本当に勇気づけられました。美男美女で、心根の優しい素敵なカップルでした。

④ 夜行バス遅れる

ワルシャワ中央駅を探しても隣国に行くバスターミナルがなかったので、インフォメーションで聞くと、 ワルシャワ西駅にあることが分かりました。
早めに確認しておいたので、スムーズにバスセンターに行くことができました。
ところが、待っている間にトイレに行きたくなり、日本のつもりで行くと有料でした。
すでにポーランドの小銭はなく、要求される半分ぐらいしかお金がありませんでしたが、これでダメかと頼んでも断られました。
結局1ユーロ渡して入れてもらいました。
また、ベルリンから来る夜行バスが30分も遅れ、ハラハラしました。
途中で遅れのメールが入っていることに気がつき、ほっとしました。
また、バスが何番線に停まるのか分からず、右往左往しました。
バスが来る直前に電子チケットを他の乗客に見せたら、「Eight8」と教えてくれました。
見過ごしていました。
バスは乗客が少ないので、2席を1人で使えました。 楽な格好で寝ることができました。バスは平原をまっすぐ進んで行きました。

4 カウナス(リトアニアの古都) 5月21日~5月22日

旧市街からバスに乗って旧日本領事館へ

カウナスのバスステーションに朝6時少し前に着きました。
ホテルは新市街にあり、バスステーションや駅から離れていました。
バスに乗っても7分ぐらい歩くので、徒歩で行くことにしました。 途中、道に迷ったので20分以上かかりました。
スーツケースを持ってこれだけ歩くと少しきついなと思いました。
ホテルで荷物を預けて、小休憩をした後、新市街のメインストリートを並木道に沿って歩きました。
両側には、おしゃれなカフェやレストラン、お土産屋さんがありました。
1.5キロメートルぐらい歩くと旧市街に出ました。
最初に聖ペテロ&パウロ大聖堂を見学しました。赤レンガの美しい15世紀の大聖堂で、リトアニア最大のゴシック様式の教会です。
壁一面に描かれたフレスコ画と彫刻で飾られた祭壇がとても素敵でした。
広場まで来ると、白鳥と呼ばれる美しい建物の旧市庁舎、15世紀に建てられたゴシック様式のヴィタウタス大公教会、 ヘルクナースの家等があり、外観を鑑賞するだけでも十分、楽しめる建物群でした。
ネムナス川の橋を渡って、ケーブルカーで展望台へ行こうとしましたが、6月から開始との貼紙があり、登るのは諦めました。

ちょうど来たバスに乗って、旧日本領事館・杉原記念館に向かいました。
記念館の辺りは高台にあり、緑の木々に囲まれた高級そうな邸宅が道に沿ってありました。
想像していたより小さな記念館でした。受付にリトアニア人の女の人が1人いるだけです。
コロナ前よりも日本人の来客が激減したそうです。
私が在館している間も、来客は後から来た妹だけでした。
入場料は 6ユーロです。最初に杉原さんの功績と当時の戦時下の様子がわかる映画を15分ぐらい見せてもらいました。
その後、館内を自由に見て回りました。
ユダヤの難民を助けたオランダの外交官を顕彰する部屋もありました。
お土産に1枚4ユーロのコップ敷を4枚買いました。
約2,800円と高かったですが、半分寄付、そして、思い出のつもりで購入しました。
帰りは近道の階段を下って、ホテルに戻りました。夕飯は価格が安いリトアニア料理の素適なお店を妹が見つけたので、そこで食べました。
ベストバルティックカウナスは古いですが、老舗のホテルだけあって、美味しく上品な朝食が出されて満足でした。

5 ヴィリニュス(リトアニアの首都) - 5月22日~5月23日

カウナスを午前8時半に出発し、ヴィリニュスに午前10時半に到着する電車に乗りました。
チケットは10ユーロでした。駅から徒歩8分ほどの距離に宿泊の「ドムス・マリア」ホテルがあり、夜明けの門の近くでした。
ホテルはすぐそばにあったものの、場所がわからず、しばらく探し回りました。
実は、聖テレサ教会の敷地内にありました。
修道院のような落ち着きと安らぎがありました。
部屋はコンパクトで使いやすく、午前11時頃に到着した際には、早めのチェックインをしてもらい、荷物を置くことができました。
有難かったです。身軽になって町へ出発しました。

① 旧市街散策

旧市街で特に印象に残ったのは、夜明けの門と、旧市街北側の丘にそびえるゲディミナス塔でした。
かつて9つあった城門の中で、夜明けの門だけが今も残っています。門の2階にある聖母像のイコンの前では、祈りを捧げる人々の姿が通りから見えました。
ゲディミナス塔へは、箱型のリフトで上ることができます。
最初はリフトを動かしてくれる係員を待っていたのですが、どうやら自分でボタンを押す必要があることに気づきました。
行きは親切なアメリカ人カップルがボタンを押してくれました。
アメリカ人の若い女性が明るい笑顔で、ハローと言ってくれたので、いっぺんに明るい気持ちになりました。アメリカ人って、本当に陽気だなあと思いました。
帰りは私1人だったので自分で操作しました。
距離は短いとはいえ、少し緊張しました。経費節減なのか、日本では考えられない体験でした。
丘の上からは、旧市街と新市街、ネリス川が一望でき、素晴らしい眺めでした。

② 郊外のトゥラカイ城訪問

ヴィリニュスから約30km離れたトゥラカイ城へは、バスで30分から50分かかります。
妹がバスの切符を買うために先に行きました。
私は、妹に「ヴィリニュス駅で待っているよ。」と後ろから声を掛けました。
ところが、10分経っても20分経っても来ません。
それで、バスセンターのほうへ探しに行ったり、戻ったりしましたが、全く姿が見つかりません。
40分過ぎた時に、遂にauの1日1000円のWi-Fiを接続しました。
しばらくすると、近くのバスセンターのWi-Fiにつないで、返事が来て、ようやく会えました。
妹も来た道を三回も往復したそうです。お互いにハラハラしたようですが、会えてよかったとほっとしました。

ヴィリニュスから約30km離れたトゥラカイ城へは、バスで30分から50分かかります。
行きはバスセンターから路線バスに乗ったので、地元の乗客を降ろしながら進み、そのため時間がかかりました。
帰りはヴィリニュス駅直行の大型ワンボックス車に乗ったため、時間も料金も節約できました。
トゥラカイ城は赤レンガの美しい古城で、30以上の湖と森に囲まれた自然公園にあり、景観が保護されています。

湖ではヨットや遊覧船、ボートが行き交い、タンポポの綿毛が風に揺れている様子が美しかったです。
また、湖の岸辺には葦が茂り、実がなっていました。
私は膝が痛かったため、お城の中は見ず、湖畔のベンチで涼しい風に当たりながら景色を楽しみました。
リラックスできて、最高のひと時でした。
ただ、トゥラカイのバス停からお城までは約2.5kmあり、片道徒歩40分ほどかかりました。
帰りも歩きましたが、小型のミニバスが運行していたようです。
バスセンターで事前に情報を確認すればよかったと思いました。

6. リーガ(ラトビアの首都) - 5月23日~5月25日

ヴィリニュスからリーガまでは、Flixバスで約4時間30分かかりました。
乗車券は2688円でした。リーガのバスセンターのすぐそばに中央市場があり、青果市場や花市場を見ながら進みました。
さらに進むと、高層ビルである科学アカデミーがあり、その威容に圧倒されながら、宿泊先の「ハンザホテル」へ向かいました。
旧市街とは反対方向にありますが、バスセンターが近いこと、朝食付きで1泊2人で8500円というお得な価格が決め手でした。
1泊目の朝食は種類が豊富で上品な味付けでした。特に感激したのは、早朝出発の際にお弁当を用意してもらえたことです。
中身はサンドイッチ2つ、リンゴ1個、水のペットボトル1本、ドーナツ1個で、これだけでも1000円以上の価値があるように思いました。
サンドイッチは朝食だけでなく、昼食にも回せてとても助かりました。

旧市街散策

初日と2日目の観光は、夕方から夜10時頃まででした。
そのため、多くの観光名所は閉館しており、外観のみの見学となりました。特に印象に残ったのは「ブラックヘッドの会館」です。
この建物は1941年のドイツ軍の空爆で破壊されましたが、1999年に再建されました。
大時計の下にある4つの紋章やギリシャ神話の神々の装飾が特徴的で、その外観に圧倒されました。
また、トラムから見えた運河に浮かぶ遊覧船も素敵でした。
運河沿いには緑豊かな公園が続いており、その公園内を歩くだけでリフレッシュできました。
次に行く機会があれば、ぜひ船に乗ってみたいです。
夕食は公園の端にあるリーズナブルと評判のお店で、セルフサービスのレストランでした。
値段を気にせず取った結果、19ユーロという高額に驚きました。
常連さんはもっと安くて量が多いものを選んでいるのではないかと思いました。

スィグルダとトゥライダ城訪問

妹はラトビアの民族野外博物館へ行きましたが、私はさらにバスで約30分かかるスィグルダを目指しました。
バスのチケットはバスセンターの窓口で購入しました。
市内の乗り物のチケットはキオスクで売っていますが、郊外行きのバス券はバスセンターの窓口で購入するのが一般的です。
帰りのチケットは運転手から購入するよう指示されました。
スィグルダとトゥライダ城訪問のツアーは1人2万円ほどかかりますが、私は路線バスを使い、片道2.5ユーロ、往復5ユーロ(約900円)で済ませました。 ヨーロッパの公共交通機関は安いですが、外食は高く感じました。
結局、この旅で使ったのは、下の巡回観光バス代20ユーロを含め、およそ、40ユーロ・(7千円)でした。
旅行者のツアー代金の半分以下の値段で済みました。
膝痛の中、痛みを抱えながら、歩くのは大変でしたが、この先に何があるのだろうという期待やわくわく感が、上回っていました。
スィグルダ城まではバス停から1.5km歩きました。城はきれいに整備され、庭園も手入れが行き届いていました。 見学後、トゥライダ城への行き方を考えながら駐車場に戻ると、ちょうど観光用のバスが来ました。
運賃は1人20ユーロでしたが、タクシーと思えば安いと考え、利用することにしました。
2時間後、運転手は時間前に迎えに来てくれ、グートゥマニャ洞穴やロープウェイの入口、アドベンチャーパークなどの名所を5~10分ほど観光させてくれながら、 駅に送ってくれました。
私は唯一の乗客だったため、運転手はフレンドリーに対応してくれました。

トゥライダ城の入場料は10ユーロです。
ここは城跡だけでなく、小作人の家や領主の館、教会などの建物が点在していました。
それぞれの建物間は離れていますが、主要な建物には民族衣装を着たガイドがいました。
旧領主の館のガイドは私に声をかけ、中を案内してくれました。
当時の家具や調度品が展示されていて、当時の領主の家の様子を楽しめました。

緑豊かな森の中を散策しながら、丘の上にそびえるお城と塔にたどり着きました。
中は博物館になっており、騎士団の武具や兜、城の歴史が展示されていました。
妹が訪れた野外博物より、こちらの方が整備されていて、手ごたえがあり、観光して楽しいのではないかと思いました。
おすすめの一つです。建物の反対側の庭には、巨大な彫刻作品がいくつも間隔をあけて展示されていました。
ここで、半日をかけて珍しい建物や美しい風景を眺めながら、ゆっくりと過ごすことができ、心から癒されました。

7. タリン(エストニアの首都) - 5月25日~5月27日

リーガを朝7時10分発のflix バスで出発。
11時40分にタリン 到着。
チケット代は18.25ユーロ、日本円で約3000円です。
この道の両側はやはり、平原です。
所々に村々があり、町がありました。
タリンに近づくにつれて、大きな住宅やビルディングが増えてきました。
バスセンターで降りて、港方面にあるホテルへの乗り物を探しました。
その乗り物がトラムなのか、バスなのかよくわからず、乗り場を右往左往しました。
結局、番号からバスだということが分かりました。バスに乗ると運転手が後方を指さしました。
戸惑っていると、ちょうど日本人の若い女性がいて、vizaのクレジットカードで乗車券が買えることを教えてくれました。
さすがIT 王国のエストニアです。
バスのチケットがクレジットカードを使って、バスの中で買えるという体験は初めてでした。
1人2ユーロでした。近くても遠くても 2ユーロという感じでした。
結局 4回 バスに乗って、日本へ帰ったら、349円×4回=1396円の請求が来ていました。
つまり、手数料を含めて1ユーロ 約175円というわけでした。
ユーロも私達が行った5月から8月ぐらいまでは高かったけど、今は、少し安くなりましたよね。

① 素敵な三角屋根の城壁に囲まれた旧市街散策

私のホステルは、旧市街の北側にある太っちょマルガレータ、現在の海洋博物館のそばにあります。
ガイドブックの地図には、その場所に丸を打ちホテル名にも下線が引いてあるのですが、当日、スマホの地図でホステルを探す時には、そのことを全く忘れてしまっていました。
20分間ぐらい、なかなか見つかりませんでした。
若い時には考えられた2つのことを結びつけることができなくなっています。
この場合で言えば、スマホで見ながら、「 そういえば 地球の歩き方のタリンの地図の中に、ホステルが掲載されていた。
」 とスマホと地球の歩き方を結びつけることです。
やっと、ホステルを見つけ、荷物を倉庫に入れて、さあ、出発です。

タリンの旧市街は丘の上にあるので、坂道を上り下りします。
太っちょマルガレータの手前で右折し、坂を登って行くと、城壁と三角屋根の円塔が見えてきました。
おとぎ話にスリップしたような気分です。
その上、北国の春が、一度に来たように色々な花が咲いていました。
城壁に沿って歩くと、塔の広場やトム公園は木々の葉も緑鮮やかで、とても気持ちが良かったです。
シュネリ池を見下ろしながら、大聖堂やトームペア城へ続く土手からの眺めも最高です。
展望台にあがると、タリン市内と海まで素適な景色が広がりました。
近くに別の展望台もあり、いろいろな 景色を楽しむことができました。
トームペア城にあるのっぽのヘルマンには、エストニアの国旗が掲げられています。
トームペア城には、政府の一部と国の議会が入っているので、中を見学することはできません。
向かい側には ロシア聖教会アレクサンドルネフスク聖堂があります。
玉ねぎ型のドームは メルヘンチックで可愛らしいです。
観光名所の一つです。
サイクリングツー もやって来ていました。
聖ニコラス 教会では、オルガン演奏を聞くつもりでしたが、すでに チケットが完売でした。
旧市庁舎前のラエコヤ広場では、たくさんの人が行き来したり、レストランで食事をしたりカフェでお茶をしたりして、賑やかでした。
大ギルトの会館を見た後、ブラックヘッドを見学しようとしたら、地元の合唱発表会が始まるところでした。
受付の方に勧められて30分間ぐらい聞かせてもらいました。
やはり、言葉がわからないので、退屈になってきて外へ出ました。
しかし、エストニアの人たちの合唱を楽しむ様子が分かりよかったです。
夕食は、ラエコヤ広場近くの店員さんが 民族衣装を着ていることで有名なオルデ・ハンザのスープにしました。
タリンの旧市街は 城壁の中にあり、まだ、 城壁の大部分が残っているので 当時の様子が味わえる街だなあと思いました。
残念なのは、その城壁に上れる場所があったのに、上ることを忘れてしまったことです。

② 民族野外博物館訪問

リトアニア、ラトビア、 エストニアの三国は、それぞれ、野外博物館があります。
どこの国の野外博物館に行こうかと考えていましたが、日程的に一番、余裕があった エストニアにしました。
ラトビアの野外博物館に行った妹は、特に、催し物もなく、農家の建物を見て回るだけで、つまらなかったと、残念そうに言いました。
一方、エストニアでは、ちょうど週末には、フォークダンス ショーが開かれると聞き、楽しみにしていました。
ところが、入場の時に来週6月から開催と言われてしまいました。残念です。
野外博物館は タリン市の西部にあり、海と森に囲まれた 広大な区域に17世紀から20世紀初頭にかけてのエストニア 各地の木造建築が当時のままの姿で 移築されています。
展示されている家々も生活用具や家具がきちんと整理されていて、まるで昨日まで本当に人が住んでいたかのようです。
主な建物には、ガイドさんがついていて、詳細に様子を話してくれる方もあれば、入り口でのんびり、座り込んで動かない人もありました。
全て担当のシルバー ガイドさんに任されているみたいです。
観光馬車もお客さんを乗せて、リズミカルに走っています。
カフェもあり、ランチもできます。
入場料は10ユーロです。
21番か21 Bのバスで、30分ぐらいで着きます。
クレジットカードでは1回2ユーロ、 往復で4ユーロです。
野外博物館では、なかなか使えなかったポケトークを出して、熱心に働くシルバー ガイドさん3人とお話ししました。
うまく作動しなかった時もありましたが、最後のロシアの家のガイドさんとは、椅子に座って、ゆっくりお話を聞くことができました。
タリンで、一番気候がいいのはいつですかと聞くと、5月から8月と言われました。
「後は寒くて、動けない。あなたの国は暖かくて、いろんなことができてい いわね。」とも言われました。
彼女は衣服を細く割いたもので絨毯を編んでいました。
昔の人の冬の仕事だと思いました。
この野外博物館には、馬の他 ニワトリ、アヒル、羊、山羊、兎などの小動物が飼われて、子供達に人気でした。
海側には、点々と大きな石があり、かもめや白鳥のつがいが水浴びを楽しんでいました。
日本のようにたくさんの鳥が、仲間と一緒に行動する様子は、見かけませんでした。
敷地には、農家以外に教会、水車、 井戸、 小学校、村の消防署、ブランコ などの遊具、タリンの子供達のための野外教育施設がありました。

大きな森に囲まれたところをマイナスイオンを浴びてゆっくり歩きながら、色々な施設を見学して、楽しみました。
お昼は入り口の近くにあるカフェ レストランで、15ユーロ2625円のランチを食べました。
ここは自然が好きで、ウォーキングが好きで、古い建物が好きな人にぴったりの癒やされる場所です。
何しろ、膝痛に悩まされても、休みながら歩き通した私が言うので、間違いありません。
是非お出かけください。
今回、行けなかったけれども、行きたかった場所は、ラヘマー国立公園です。
次は、ヴィル湿原やバルムセの館やサガディの館を見たいと思います。そこで、2泊から3泊して、大自然を満喫したいと思います。

8 帰路(タリン空港 → ヘルシンキ空港 → ブダペスト空港 → ソウル)

チケットを買った会社から4時間前から空港に行くようにとメールが入ったため、早すぎると思いながらも11時過ぎにバスに乗り込みました。
空港は近くて30分ぐらいで着きました。
結局旅行の最終日になっても、右足の膝痛は、まだ、治りません。
とても空港内を走って行けないので、機内持ち込みにするべきではないかと思いました。
ただ、そのことを空港で相談したいと思い、早めに出ました。
しかし、小さい 空港なので、3時間前にはまだ、チェックインしてくれず、もう1時間待たなければなりませんでした。
出国検査では、はちみつが荷物チェックで引っかかりましたが、確認してからオッケーが出ました。
問題のスーツケースは、やはり大きくて機内の頭上の荷物置き場に入りませんでした。
ベテランの乗務員に睨まれました。

タリン空港出発: 5月27日 PM2:55→ ヘルシンキ空港到着: PM3:55

そこで、ヘルシンキ発の飛行機には、他の乗客に迷惑にならないように、一番最後に乗り込みました。
そして、乗務員に荷物が大きくて入らないことと膝痛のことを英文で書いて渡しました。
すると、感じの良い若い方が、即座にすぐそばのロッカーにスーツケースを入れてくれました。
もう一人の方は 写メで私のチケットを撮影しました。
ホッとしました。
 ブタペストの空港のカウンターでは、膝痛で足が悪いので、足が伸ばせる席にしてほしいと頼んだところ、偶然 一番前があいていたので、変更してもらえました。
妹の通訳のお陰で、助かりました。
1時間50分という短時間で出国の検査と入国検査がスムーズに終わりました。
時間が余って、taxfreeのお店で、お土産を買うことまでできました。
私の最大の難関と考えていたことが、無事成功したので、安堵しました。

ヘルシンキ空港発pm4:50→ブダペスト空港到着:PM6:10 → ブダペスト空港発PM8:00→
ソウル到着: 5月28日 PM1:50→ ソウル出発: PM7:05→ 名古屋到着: PM9:05


9.おわりに会計報告

会計報告
・飛行機代 大韓航空 名古屋、 ソウル、 ブダペストの往復代金 166,570円
フィンエアー・ブダペスト、タリンの往復料金 27,446 =エアー総合計194,016円
・寝台列車と電車代金 27,800円 + 7,008円+ 1,750円 =36,558円
・遠距離バス代金+キャンセル料 4,066 + 3,054+ 2,688+ 2,17=11,985円
・wifi代金 8,000円
・ホテル代 + 市税 = 56,904円
・入場料・昼食 夕食 レストラン・市内バス代金・スーパーでの買い物 お土産=102,812円
・合計 =398,290円
※出し入れの記入忘れがあると思うので、旅行費用は、およそ40万円だったと思います。

旅の感想

 コロナ前の2019年夏に、2カ国7都市ドイツ東部とチェコ 西部を旅した時は、 2週間の旅行期間でした。
しかし、今回5カ国7都市の旅は距離が離れていて、遠かったので、3週間は必要だったと思いました。
1つの都市(街)に2日間ないし3日間は泊まりたかったです。
そうすると、観光の見落としがなかったのではないかと思います。
また、長い旅行で1日疲れをとるために、のんびりする日も作れたのではないかと思います。
3日間いると、街の様子がわかるようになり、乗り物の乗り方も街の歩き方も上手になり、 暮らすように旅することに近づけるのではないかと思いました。
年齢的に体力がなくなっているので、2つか3つの都市に絞って、ゆっくり滞在する旅にしてもいいなと思いました。
 5年前のヨーロッパの旅では、妹と意見の食い違いでよく喧嘩しました。
しかし、今回は、はじめの内はしましたが、後はあまりしなかったような記憶です。
そのわけは、私が膝痛の為に、一緒に歩けないので、昼間は、各自で観光したからだと思います。
15日間のうち 乗り物に乗っている時を除いて、1日観光が1回、半日観光が5回一緒だけでした。
最後の2日間は、妹がヘルシンキに行ってしまったので、私1人で行動しました。
若い時と違って、それぞれの体験と体力差があるので、時に現地で別れて行動するのは、いい方法かなと思いました。
今回のホテル選びでは、リーズナブルで駅近の良いホテルが見つかりました。
全部、ツインの部屋があるホテルを探しました。
朝食付きのホテルは、どのホテルも美味しかったです。
長く滞在するホテルでは、キッチン付きだといいなと思いました。
お風呂では、シャワーだけで浴槽のないホテルがほとんどだったのは残念でした。
ヨーロッパは多いみたいです。でも旅の疲れを取るには日本人には、浴槽が必要ですね。
ツアー旅行ではなかなか、土地の人とお話をすることができません。
個人旅行の良いところは、偶然、その国の土地の人とお話ができたり、知らない日本人と偶然会ったりできることができたことです。
とても楽しかったです。
ハンガリー、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニアと日本ではなじみの薄い国でしたが、今回 旅してみて、 キリスト教中心とする優れた文化遺産が、旧市街に残されていると思いました。
 次は ニュージーランドかオーストラリアへ行った後に、ヨーロッパでは、旧ユーゴスラビアの国・クロアチア やスロベニアに行きたいと思います。


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